ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その三「諸侯」




 その日、トリステインの王城では新年を祝う園遊会が開かれていた。先々年、王が崩御したために王妃こそ未だ喪に服してはいたが、その年の国政を左右する重要な社交の場とあっては、そう中止するというわけにも行かないのだ。
 華やかで優雅ではあったが、そこかしこで挨拶と共に様々な謀略や情報が飛び交う様は、ここがトリステインの中心であることを物語っている。無論、単に再会した知人との会話を楽しむ者も多い。前者は王都にて役職を持つ宮廷の法衣貴族に多く、後者は地方に領土を持つ封建諸侯に多い。
 その一角の余り目立たない場所で、老貴族と青年貴族が杯を傾けていた。

「お久しぶりです、エルランジェ伯」
「おお、しばらくじゃな、アルトワ伯。
 お主、少し腹に肉が付いてきたのではないか?」
「いやいや、これでも鍛錬は欠かしていない方ではありますよ?」
「ふむ。
 ……娘はどうしておるかのう?」
「こちらにはジャンもおりますから、今頃は家族水入らずで楽しい時間かと」

 エルランジェ伯爵の愛娘は大恋愛の末にアルトワ在住の下級貴族の元に嫁ぎ、今ではアルトワ伯爵家の侍女頭をつとめている。その縁もあって、両家は仲が良くなっていた。年回りも領地の方角もその産業も違う為に利害が重ならず、人の縁によってのみ結ばれた関係故にお互いが気楽さを有していることが大きい。
 
「そうそう、リシャールがなかなかに頑張っておるようじゃな。
 あの商才は、さすがアルトワ育ちというあたりかの。
 わしも鼻が高いわい」
「イワシの油漬けはもう食されましたか?」
「もちろんじゃ。
 たぶん、王都で一番最初に食べたうちの一人じゃと思うぞ?」
「ほほう。
 それはよろしゅうございました」

 そのまま話題は、彼らにとっては孫であり、または元従者であった、リシャール・ド・ラ・クラルテという少年の話へと移っていく。

「リシャールの場合は自分で自分を育てた、というのが正しいかも知れません。
 それだけに、心配なこともあります」
「ほう?」
「聞き分けの良い素直な子ですが、昔から一人で物事を進めすぎるきらいがありました」
「ふむ……」
「そしてもう一つ」
「なんじゃな?」
「彼は、身の回りのことを綺麗にし過ぎようとするきらいがあります。
 清濁併せ飲む、ということが苦手なのでしょう」
「なるほどの、難儀な性格じゃな」
「まあ、十三になったばかりの子供に何を無茶な要求しているのかと言われれば、返答に困るのではありますが……」
「確かにな。
 リシャールとはまだ会うて数ヶ月にしかならんがの、話しておると、時々その年の子供ではのうて大の大人と話しておるような錯覚に襲われるわい。
 しかし、それ故の歪さも感じられるの。
 そのあたり、あ奴はまだまだ子供でもある、ということかのう」
「はい。
 彼の父親も心配しておりました」
「何とかしてやるのが大人の務めかもしれんの」

 若者は挫折を味わうものだが、彼らは決してリシャールにそれを味合わせたいと思っているわけではない。ただ、何れ避けては通れぬ事ならば、乗り越える後押しぐらいはしてやりたいと思っていた。

「そういうことなら、わしも一枚噛ませて貰おう」
「ギーヴァルシュ侯爵様、ご無沙汰しております」
「なんじゃ、折角年も明けたと言うに、まだくたばっておらんかったか」
「それはこっちの台詞じゃわい。
 まあ、この爺いはそこらに放っておくとして……。
 リシャールのことならば、わしにも他人事ではないからのう」
「彼はそちらのご領地で、随分と手を広げているようですね。
 私の方にまで噂話が舞い込んでくるぐらいですよ」
「今月は一人で五百エキューほども税を納めてくれるそうだ。
 油漬けに絡んだ税収ということでは、他の商人も合わせれば月に千は余裕で越えるわ」
「さすがわしの孫じゃな」
「うむ、クリステル夫人の血を受け継ぐだけのことはあるな」
「ふん!」
「まあまあ、お二人とも」
「まあ、冗談はさておきな、あ奴の危うさについては、わしも少々考えんこともない」
「なんぞいい手でもあるのか?」
「ないわけではないがの」
「あるのですか?」
「うむ、内々の話であるが……。
 近々な、幾つかの王領が売りに出されることになっておる」

 王領とは、文字通り、王家の直接支配にある領地である。
 不名誉による取りつぶしや減封、子孫の断絶によって召し上げられた領地、または戦勝によって得られた敵地などが王領に組み込まれる。
 逆に功績ある者に下賜したり、場合によっては上級貴族が家を継げない次男三男に一家を立ててやるために、爵位を含めて買い取ったりすることもあった。また、国家財政を一時的に補強する為に、国内の下級貴族に爵位をつけて売り払う事もある。
 トリステインでは貴族に限って領地の売買も許されてはいたが、それでも一旦は王領に組み込まれ、その後に買いたい者に与えるという型式を守っていた。もちろん、王による采配か、貴族院の承認が必要であった。
 ゲルマニアなどではこれが平民にまで門戸が開かれている上に、皇帝の許可が必要なほどの領地は大きいものに限られている。故に、成り上がりのにわか男爵が掃いて捨てるほどいた。もっとも、これは国力を支える底辺が広いことや土地自体が余っているせいでもあったから、トリステインとしてはやっかみ半分に平民貴族と陰口を叩くしかないのが現状だった。

「あ奴に領地を?」
「大胆でありますね、侯爵」
「うむ。
 しかし、有効ではあろうて。
 今は商売をしておるが、将来的にはどこぞの家中に婿入りするのは確実であろう?
 こ奴の孫であることをさっ引いてもな、家格は低くともあの能力を考えればのう」
「うるさい、お主は一言余計なんじゃ」
「表向きは、このくそじじいが孫かわいさに一家を立てさせる、ということになろうかの。
 話を元に戻すが、領地の経営の厳しさはお主らも身に染みておろう。
 リシャールには酷かもしれんが、清濁併せ飲まねばまともには立ち行かん。
 どうせ将来悩み抜くことになるならば、今から慣れておいても悪くは無かろうて」
「なるほど……」
「育てるという意味では、これ以上ない環境でもあるわな。
 最初は代官の一人でも雇えば良いじゃろうし」
「これであ奴がまだ伸びるようなら、わしの孫娘と娶せてもいいくらいじゃぞ?」
「ふん!
 間違ってもお前の家にはやらん」
「まあまあ、お二方とも。
 しかし、金額的にはどういうものになるのでしょうな?
 いかな我々でも、おいそれとは出せる金額ではありませんでしょう」
「ん?
 そのまま与えるのは本人の為にもならんだろうが、将来性を見越して立て替える分にはよかろう。
 それにあ奴の商才なら、なんとかしてしまいおるのではないか?」
「なるほどのう。
 それぐらいの才覚は期待してもええかもしれんの」
「我らは舞台を整えるのみ、ということですな」
「そう言うことだ。
 二人とも、それでよいかな?」
「まあ、異論はないがの」
「お任せします」
「ではそのように致すぞ。
 ……わしとしてもな、話を聞いたはいいが少々困っておったのだ。
 うちの跡継ぎは息子と孫娘だけであるし、この老いぼれのところも直系は一人息子とその孫が一人きりだ。
 他にも声は掛けてみたが、信頼出来るあたりは皆芳しくない返事での。
 だがお主らを見つけてな、リシャールの事が頭に浮かんだんじゃ。
 どこぞのろくでなしの次男坊三男坊に持って行かれるよりは味方、しかも優秀と言える人間がそこに納まる方が何倍も良い。
 ……話しておるうちに気付いたが、購入金を貸し付けるにしろ、三人で割れば負担も少なく済むか」
「ふむ、まあ筋は通っておるな。
 お主の都合が含まれすぎとるのは、ちと気にいらんが……」
「リシャールであれば、何とかするでしょう」
「巻き込んで済まぬな。
 貴族院にはわしから話をつけるが、お主らもそのつもりでおってくれ」

 こうして、本人の全く預かり知らぬところで、彼を土地持ちの貴族にする計画が進んでいくことになったのであった。
 三人は彼の成功を信じて乾杯をし、談笑を続けた。

「しかし、リシャールには驚かされてばかりじゃぞ」
「またなんぞあったのか?」
「年末にな、コリンヌが少し体調を崩しての」
「夫人が?」
「加減はよいのか?
 先ほどお見かけした時は大丈夫そうじゃったが……」
「うむ、領地に戻ってすぐの、しばらく伏せっておったのだが……。
 リシャールがな、医者が来る前に治してしまいよった」
「なんと!?」
「ほう、しかし彼は土のメイジだったはずですが……」
「よくわからんが、コリンヌの様子を見て、すぐにてきぱきと手当をしてくれてな。
 次の日にはいつもより元気なぐらいに快復しておったわ。
 ここしばらくは以前よりも調子がよいようでな、食も進むと言うておる」
「礼を失して済まぬが、その話、少し詳しくお伺い出来ぬか?」
「おお、ヴァリエール公ではござらぬか」

 三人に突如声を掛けてきたのは、トリステインの封建貴族の中でも重鎮中の重鎮と云われる、ヴァリエール公爵だった。
 彼はトリステイン東部の国境に領地を構える大貴族であり、その血統や立ち居振る舞い、高潔さなどからトリステイン社交界では貴族の見本のような人物とされていた。
 談笑する三人とは親しいと呼べるほどの間柄ではなかったが、公爵の側から声を掛けたのであるから気にする必要はない。また、好を結んで悪い相手ではないのも事実だった。

「ほう、では件の人物は水のメイジですらないのに、ギーヴァルシュ侯夫人の病を治してしまったと?」
「いかにも」
「むう……。
 侯爵、その者を紹介していただくわけにはいかぬか?」
「ヴァリエール公、確かご令嬢が長く病に伏されているとか……」
「うむ、その通りだアルトワ伯。
 これまで数々の医者に頼ったが、一向に快方に向かうことがないのだ。
 優しい娘に育っただけに、文句の一つも言うわけでないのがまた……」
「それは痛ましいのう、心中お察ししますぞ。
 ……くそじじい、リシャールに連絡は取れるか?」
「あ奴なら、降誕祭の休暇が明けたら王都に来るわい。
 ほれ、例の酒の件で呼んであるんじゃ」
「それは好都合じゃな」
「……モリス殿、リシャールはまた何かを始めたのですか?」
「うむ、今度は酒じゃ。
 香味酒というものを作ることになっての」
「お三方、そのリシャールなる人物はどういった者なのだ?」
「その前にですな、ヴァリエール公」
「なんですかな、エルランジェ伯?」
「紹介するに吝かではありませぬが、あ奴は医者ではありませんでしてな、過度の期待は禁物ですぞ」
「まだ十三歳ですからね、彼は」
「十三!?」

 ヴァリエール公が驚くのも無理はなかった。病に伏せっている公の次女よりもなお、リシャールは年下であった。

「ほう、その歳でトライアングルのメイジかつ竜を喚び、商会を一から興し、病も治すとは……」
「わしの自慢の孫ですじゃ」
「若いのに立派なことですな。
 いやしかし、逆に若いからこそ発想が柔軟であるのやも……」
「そのようですな。
 わしもこ奴の孫には驚かされてばかりおります」
「とりあえず、孫にはこちらに来た折、ヴァリエール公の別邸をお訪ねするようにさせましょうかの」
「かたじけない、エルランジェ伯」
「孫かわいさに度々口を挟んで申し訳ないのじゃが、治療についてはですな、わしにも正直なところはわかりませぬ。
 こ奴の奥方を快復させたのは事実でありましょうが、それがご息女にも効果のあるものか……。
 ただ、あれは聡い子でもあります。
 治療はともかくも、ご息女の無聊をお慰めするぐらいの機転は期待してもよいかと、わしも思いますがの。
 じゃが、くれぐれも過度の期待はせぬようにしてくだされ」
「うむ、ラ・ヴァリエールの名に賭けてお約束しよう」

 こうしてもう一つ、リシャールの知らないところで彼の今後が決まってしまったのだった。
 本人がここにいれば頭を抱えていたのだろうが、仮にいたとしても話を止められるはずもなく、心の中で半泣きになりながらも首を縦に振ったに違いないだろう。彼の性格では、もしかしたら彼ならば病の娘さんを助けることが出来るかも知れないと言われて、それを無視することなど出来ない。
 ただ、予期し得ぬ道でも後々振り返れば、彼にとっては人生最大の幸運に繋がるきっかけとなったことは間違いなかった。







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