ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第五十一話「陞爵とその対価」招待客らの大きな祝福を受け、花嫁の手をとって大聖堂を出たリシャールだったが、馬車に乗るなり四の五の言わさず花嫁を眠らせた。 結婚式直後に酷い夫もあったものだとは自分でも思うが、カトレアが無理をしているのは一目瞭然であった。顔色が悪いという程度だが、無理はさせられない。彼女にも疲れている自覚はあったのか、多少不満そうではあったが大人しくリシャールの肩を枕にして眠った。 結婚式は無事に済んだ、とは思う。 しかしそれ以上に、大聖堂から帰ってからがまた大変なのだ。お披露目があるから、カトレアにはもう少しだけ頑張って貰わないといけない。 体力よりも気疲れの方が問題だろうなあと、小さな寝息を立てる花嫁を見ながら、リシャールも居眠りを決め込むことにした。 結論から言えば、お披露目の方は叙爵後の祝宴以上に大変だった。 招待客の数はやはり尋常ではなかったし、目の回る忙しさだった。知り合いなどは気楽で良いのだが、そうでない客の方が多い。昨日祝賀会で紹介された者も大勢いたが、到底憶えきれるものではなかった。 それでも、自分の両親と公爵夫妻が楽しそうに歓談しているのを見ると、嬉しくなったりもする。 だがリシャールは挨拶続きで、カトレアの衣装を褒める間もなかった。時間があれば気を使って彼女を奥の間で休ませ、母をこっそり呼んで癒しの魔法をかけて貰ったりもしていたぐらいである。水の秘薬がカトレアの身体から抜けるとともに、多少は魔法の効き目が良くなっているのは確認していた。残る水の精霊の欠片も三分の二、カトレアとアーシャには頑張って貰わねばならない。 祝宴の後半になって妹姫たちを連れて挨拶に訪れたクロードからは、祝いの言葉と共に多少呆れられたりもした。馴染みの顔とあって、リシャールも気を抜く。 「リシャールが意外と面食いなのは知ってたけど、お嫁さんを見てわかった。 そりゃあ絶対、諦めようなんて思わないはずだよ」 クロードは叙爵の本当の理由も背負った借金の額も知っていたし、何よりも親友となってからは遠慮がない。おまけに、クロードの妹たちまでうんうんと頷いていた。 「ふふ、当たり前だよ。 自分が好きな人から好きだと言われて、諦める理由なんて考えたら駄目だと思う」 もちろんリシャールは、のろけを返してクロードの口を封じてやった。 カトレアも、リシャールの親友とのことで興味深そうにしている。 「まあ、リシャールのお友達は、リシャールのことを良くわかっているのね」 「そりゃあ、親友だもの。 でも、クロードもかなりの面食いなんだ」 「リシャール!」 妹姫たちは、またもうんうんと頷いていた。 やたらと長いお披露目も夕刻には終わり、延々と続くようにも感じられた招待客の列を見送った後、身近な親族のみで食堂に移って晩餐となった。もちろん、カトレアは最初の挨拶だけにして、大事をとって別室で休ませている。 「これで無事、式もお披露目も済んだわけだが、どうだリシャール?」 「はい、まだ目が回っております」 「流石のお主も疲れが出たか」 「これだけ大勢の人と挨拶を交わすのは、初めてでありましたから、緊張いたしました」 昨日は他人事のように見ていたが、アンリエッタ姫はすごいなと、リシャールは思った。そのような日常は、自分には無理だろう。 「しかし、所々慌ててはおったが、なかなかどうして、立派じゃったぞ」 「ありがとうございます、お祖父さま」 祖父は相変わらずの上機嫌であった。 「明日は王宮へ向かうのであったな」 「はい、アンリエッタ姫殿下から直々にお言葉を頂戴いたしました」 「ほう、それは目出たいことじゃ」 そのようにして、楽しい時間が過ぎていった。これでカトレアがいれば尚更良かったのだが、流石に今日は無理をさせすぎている。それでも出会った当初に比べれば、大きく違うのだ。リシャールが見ていない間も、カトレアは頑張っていたに違いない。 褒められつ祝われつしながらも、リシャールはほんの少しだけ、この場にカトレアがいないことを寂しく思うのだった。 やがて夜も深くなって祖父母や両親らを見送り、公爵家の一同にも挨拶を済ませると、リシャールは少々どころではなく疲れた身体を引きずり、宛われた客間へと戻った。 「おつかれさま、リシャール」 「カトレア!?」 彼の部屋には、夜着に着替えたカトレアが待っていた。 名前を口に出してから、もう夫婦なのだから驚くこともないのかと苦笑する。昨日までは多少気を使っていたが、今後はそういう心配もない。 「あー、ただいま。 もう大丈夫そうだね」 「ええ、良く寝かせて貰ったわ」 儀礼用の錫杖も返したので、いつものように腰に戻していた軍杖をよいしょとサイドボードに置き、リシャールはカトレアの隣に座った。 微妙に沈黙が降りる。彼にも少し、迷いがあったのだ。 もちろんそれは、彼女を妻にしたことではなくて……。 とりあえず会話に隙間が出来るのを嫌って、リシャールはふと先ほど聞いた話題を口に乗せてみた。 「……そうだ、さっき聞いたよ。 一代伯爵の位、返上しちゃったんだって?」 「ええ、お父様には悪いかなとも思ったけれど……。 嫁げそうにないほど身体が弱かったから、その名前を貰ってきて下さったのだもの、やっぱりきちんとお返ししないといけないわ。 お父様たちもね、名前をお返しするって言ったとき、本当に嬉しそうになさってたの。 だってそれは、わたしがお嫁に行けるということだから。 ……それにほんの僅かだったけれど、ラ・ヴァリエールに戻れたことは、私にとっても家族にとっても良いことだったと思うの。 だからこれからはね、セルフィーユだけでいいのよ」 カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・セルフィーユ。 今日から彼女は、新しい名前になった。 「たくさん甘えたんだ?」 「もちろんよ」 「そっか、よかった」 リシャールは、そっとカトレアを抱き寄せてみた。 うん、あたたかい。 彼はまだ、迷っていた。 それでも彼女に嘘をつくのは良くないかと、正直にうち明けてみる。 「実は、ちょっと迷ってることがあるんだ」 「どうしたの?」 「明日は王宮に行くし、その後は領地までの移動もあるから……」 「ええ、そうね……?」 「その、記念すべき日なのにこんな事を言うのはどうかと自分でも思うし、夫として失格なのかもしれないけれど……まじめに考えたんだ、怒らないで聞いて欲しい。 今、カトレアを抱いてしまって、もし明日倒れたりしたらと思うと、心配でね。 特に今日はかなり無理もしただろうし、こちらへ来るのも大変だったんじゃないかとも……」 「リシャール、大丈夫よ」 リシャールの言葉を遮ったカトレアは、妙に自信たっぷりに答えた。但し、少々顔には朱がさしている。 「さっきね」 「うん?」 「こっそりとアーシャに診て貰ったのよ。 ……『リシャールがやさしいなら大丈夫』、ですって」 リシャールの心配は、どうやらお見通しだったらしい。 カトレアの方が、一枚上手のようであった。 「……やさしくするよ、いつだって」 リシャールは一度は置いた軍杖を手に戻して一振りし、部屋の明かりを落とした。 翌朝。 もちろん腕枕には、満足げに眠るカトレアがいた。 流石に、情熱のおもむくままというわけにはいかないと多少は自制心を働かせたので、太陽が黄色く見えるほど頑張ったわけではないが、それでも夜半過ぎまでは頑張っていた。……と思う。 その太陽は、まだそれほど高くない。誰も呼びに来ないところを見ると、起床にはまだ少しはやい時間のようだった。 「んー……」 「おはよう、カトレア」 「……リシャール?」 まだ夢心地なのか、初めはとろんとした瞳をこちらに向けてリシャールに身を任せていた彼女だったが、やがてしっかりと目が覚めたようだった。 「お、おはよう、リシャール」 くるっと、彼女は反対側を向いてしまった。 どうにも顔を合わせるのが恥ずかしかったらしい。 妙に勘が鋭かったり、時には大胆さでリシャールを驚かせることもあるのに、こういった可愛いところも多々あるのだ、カトレアは……。 鼻の下が伸びていることを自覚しつつも、リシャールは後ろから彼女を抱きしめた。 「つらかったりしない?」 「ええ、大丈夫よ」 「よかった」 「うん」 控えの間から足音が聞こえるまで、リシャールはカトレアを抱きしめていた。 朝食中は、物言わぬ義父に義母、あからさまにイライラとした視線を向ける義姉、真っ赤な顔でチラチラとこちらを見る義妹と、微妙に居心地の悪い時間を過ごしてしまった。 メイドたちも、どこか上気した顔をリシャールとカトレアに向けている。 カトレアは表面だけはどこ吹く風と受け流していたが、それでもリシャールと目が合うと、少しだけ照れているようだった。 居たたまれなくなってきたリシャールが、お茶も早々にカトレアを連れて王宮へと出かけてしまっても、仕方のないことだっただろう。 「アーシャ、王宮までお願い」 「きゅー」 「昨日はありがとうね、アーシャ」 「きゅ」 しかしリシャールも、己の使い魔にまで追い打ちをかけられるとは思いもしなかった。 上空に出たので、お喋りを許したせいかもしれない。リシャールの方も新妻と使い魔しかいないからと、確かに気が緩んでいた。 「カトレア」 「なあに、アーシャ?」 「リシャールは優しかった?」 「ええ、もちろんよ」 カトレアを置いて空中へと逃げ出すわけにも行かず、さりとて昨日も気を使ってくれた使い魔を怒るわけにもいかず、リシャールは朝食以上に居心地の悪い時間を過ごす羽目になった。 使い魔の言語表現が直接的過ぎたのが、原因である。 カトレアは王宮に来るのも初めてとあって、物珍しそうにきょろきょろとしていた。もうすこし体が丈夫になったら、あちらこちらへと旅行に連れていくと喜ぶかも知れない。リシャールは、楽しげな様子のカトレアを見ながらのんびりと考えていた。 「カトレア殿!」 「まあ、姫殿下! 大きくなられましたこと!」 アンリエッタ姫は、満面の笑みでカトレアを迎えた。 ルイズとの仲の良さから想像はしていたが、ずいぶんと親しげである。 「ご結婚おめでとう、カトレア殿。 それに、すっかりお元気になられて……」 「ええ、お嫁に行けるのも、こうして王宮に姫殿下をお訪ねすることが出来るのも……夫のおかげです」 「素敵な旦那様ですのね」 「はい」 そこで初めて、アンリエッタはリシャールに向き直った。 「リシャール、おめでとう。 あなたはトリステイン一の果報者だわ」 「はい、ありがとうございます」 「そうそう、お二人に来て貰ったのは、お祝いのためですのよ。 少し待ってらしてね」 アンリエッタは、テーブルの上にあった古風な呼び鈴を鳴らして、メイドを呼んだ。 「ド・ゼッサール隊長とマザリーニ枢機卿を呼んで頂戴」 「かしこまりました」 アンリエッタの指示を受け、メイドが素早く出ていった。 「わたくしはお母様を呼んでまいりますから、しばらくはここでゆっくりとなさっていてね」 メイドと同じように、アンリエッタまでがささっと部屋を後にする。 リシャールとカトレアは、何事かと顔を見合わせた。 しばらくして、アンリエッタが母親であるマリアンヌ王后を伴って戻ってきたのを皮切りに、がっしりとした騎士と宰相がその場にやってきた。 カトレアはマリアンヌ王后とも面識があるらしく、やはり親しげに会話していた。リシャールは流石に跪いたが、マリアンヌ自らに手を取られて立たされ、祝辞の他にもカトレアの快復への賛辞まで頂戴し、恐縮しきりだった。 「リシャール、マザリーニ宰相のことは、ご存じよね?」 「はい、つい先日もご無理を聞いていただきました」 「あら、そうでしたの?」 「はい、姫殿下」 んーっと、しばらくは不思議そうな顔をしていたアンリエッタだが、一度頭を振ってから取り敢えず先を続けた。 「こちらの騎士、ド・ゼッサール隊長は王宮魔法衛士隊のマンティコア隊隊長です。 今日は宰相と二人、この場の立会人としてお呼びしたのよ」 立会人という言葉が気にかかるが、それは後である。 「初めまして、ド・ゼッサール殿。 リシャール・ド・セルフィーユです」 「マンティコア隊のド・ゼッサールであります。 『鉄剣』殿のお噂は聞き及んでおります」 「光栄です、ド・ゼッサール殿」 リシャールは、力強い手で握手された。マンティコア隊ならばこの人は義母の後輩になり、自分の兄弟子になるのだと思うと、少し嬉しかったリシャールだった。もちろん、口には出さない。 「カトレア殿、リシャール。 本当はお披露目も必要だと思うのだけれど、あまり目立つのも問題らしいの。 申し訳ないけれども、この場でお祝いをさせて下さいましね。 ……リシャール、跪いて下さる?」 「はい」 リシャールは素直に跪いた。 何か、祝福を頂戴するのだろう。 アンリエッタは咳払いを一つしてから、掲げた杖をリシャールの肩に置いた。 「男爵リシャール・ド・セルフィーユよ、我と祖国への汝の忠義と功を鑑み、本日ただ今を以て子爵へと陞爵する」 男爵になって一年足らず、流石にリシャールも驚いたが、なるほど、確かにお祝いである。 「……謹んで、お受けいたします」 「よろしい」 叙爵に比べてなんともあっけないなあと気抜けしたリシャールだったが、もうひとつおまけがあった。 「では、子爵リシャール・ド・セルフィーユよ」 「はっ!」 「汝に命じます。 王領を含む子爵領周辺の土地に対して、道路網を整備するよう。 期限は十年を目処とします。 詳しいことは宰相と相談なさい」 なるほど……。 これはまた面倒なことになったと、リシャールは思った。 ただ、宰相が絡んでいるとなると、少なくとも王政府にとっては、という注釈はつくものの、さほど悪い話ではないような気もした。いずれにせよ、リシャールに拒否する権利はない。 「御意!」 「よろしい、見事やり遂げて見せなさい」 ここまでを一気に終えて、アンリエッタは普段の顔に戻った。はうっ、とため息が聞こえたので、リシャールも顔を上げる。 「アンリエッタもようやく慣れてきたようね?」 「もう、お母様ったら……。 お二人は立会人として、何かありますか?」 アンリエッタの言葉に、ド・ゼッサールとマザリーニも跪いた。 「セルフィーユ子爵の陞爵、確かに見届けました」 「始祖ブリミルに誓って、私も確かに見届けました」 畏まる立会人たちに、アンリエッタも頷いて見せた。 「リシャールもお疲れさま。 頑張って下さいましね」 「は、ありがとうございます、アンリエッタ様」 命を下した本人からその場で気遣われると言うのも妙なものだったが、これでいいのだろう。 ド・ゼッサールは本来の職務である城の警備に戻るとのことで、先に退出していった。 「ではセルフィーユ子爵、早速ですがよろしいですかな」 「はい、猊下。 えーっと……」 リシャールは、カトレアの方をちらりと見た。 「ならばカトレア殿は、こちらでお茶でもいかがかしら?」 「あら、わたくしも久しぶりにお話ししたいわね」 「ありがとうございます。 ……リシャール、そちらのお話が終わったら迎えに来てね」 「もちろん」 リシャールは王家の二人に一礼し、宰相に付き従って別室へと移動した。 「度々申し訳ありませんな、セルフィーユ子爵」 「いえ、こちらこそ猊下にはいつもお骨折りをしていただいております」 リシャールは、深く一礼した。推測でしかないが、子爵への陞爵もこの人の意図に因るところが大きい筈だった。無論、街道整備もこの人物の差し金であろう。 「早速ですが子爵、こちらの地図をご覧戴きたい」 マザリーニが広げた地図を見ながら、リシャールは色々と考えを巡らせてみた。 「子爵もご存じでありましょうが、トリステインの北東部は、南東部や東部中央に比べ拠点になるような都市も諸侯領もありませんでな、実際、王政府の目が行き届かぬ地域でもあります」 確かに、トリステインの南東部にはアルトワなどの交易都市を結節点にした大きな街道があり、中央にはラ・ヴァリエールが一際大きな存在感を放っていた。 それに対して北東部は、海路が西部のラ・ロシェールやロリアンとゲルマニアの北方都市群とで結ばれてはいるのに、間にある北東部の諸地域は見事に開発が遅れ、取り残されていた。数ばかり多い王領と小さな諸侯領は、寒村と痩せた畑のみで構成されていることが殆どで、鉱山などがあっても、シュレベールのようにまともな開発が行われていないことも多い。 「そこで子爵には、そしてセルフィーユには、これら諸地域をまとめる北東部の柱となって戴きたい」 「……なるほど」 やはり、面倒事のようだった。 だが、悪い話でもない。セルフィーユの発展は、リシャールにとっても大事なことである。 「柱があれば、自ずと周囲は発展を遂げましょう。 これらを加速する為の道具として、道路網の整備を行われて構いませぬ。 これについては、子爵の裁量に一切をお任せいたします」 リシャールの裁量で自由に道を敷いても良いということは、人や物の流れる方向を自分で作っても良いと言うことに他ならない。費用は莫大だが、見返りもまた大きかった。 リシャールは、再び地図を注視した。 「猊下、具体的にはどの辺りまで道を自由にしてよろしいのでしょうか?」 「西はトリスタニアの手前まで、南はラ・ヴァリエールまで、ご自由にお任せします。 諸侯領については、当該地の領主の許可次第ですが、必要とあれば王政府の方でも令を発します」 相当に広い範囲であった。トリステイン北東部のほぼ全域である。 しかし、とリシャールは少々頭を働かせてみた。 一本は従来の街道をトリスタニアまで拡幅するとしても、それだけではセルフィーユで詰まってしまうからあまり意味はない。 となると、残りは……。 「猊下、道はどの方向に伸ばしても良いのですか?」 「と、申されると?」 「例えば、ゲルマニア方向はどうでしょう?」 「ほう……」 地図を見れば一目瞭然なのだが、セルフィーユに一番近いそれなりに大きな都市は、ゲルマニアの北部沿岸にあるハーフェン、次いで南へと内陸に下がったツェルプストーであった。トリステイン国内では、王都トリスタニアとラ・ヴァリエールがほぼ等距離だが、それでもツェルプストーよりは遠い。 ハーフェンは軍港を有する港湾都市で交易量も大きいが、残念なことにセルフィーユを素通りしてロリアンなどに船舶が流れていた。しかし、現在でも行商人らが細い街道を通って陸路で行き来しているぐらいであるから、呼び水としての街道整備は有効であろう。 ツェルプストーの方は内陸部の辺境伯領で、ラ・ヴァリエールとも国境を接する。中心部が北方寄りかつ国境寄りで、規模もそれなりに大きい。 ただ、ツェルプストーの方は、義父の逆鱗に触れる可能性もあった。国境を接するだけあって、何やら先祖代々の因縁があると聞かされている。 しかし、ほとんど開拓されていない市場と交易路であるから、対価は大きいが得られる利益も大きいと予想された。 「セルフィーユまで伸ばすだけなら、効果は薄いと思います。 貿易は流れてこそですから、セルフィーユで止まってしまっては、効果も半減しましょう。 そこでこのハーフェンとツェルプストーですが、比較的距離も近い上に、その奥はヴィンドボナやゲルマニア北部領域までしっかりと繋がっております」 「なるほど、そういうことであれば理解できますな。 ……しかし子爵、ラ・ヴァリエールと繋がる道を整備しなくてもよろしいのか? 子爵の義父殿の手前もありましょうに」 「ええ、別に構いません」 「何故に?」 「このように少し遠回りですが、海路と河川で既に繋がっております。 実際には、セルフィーユの側から送り出す物がないので有名無実なのですが……」 リシャールは地図に指を載せ、セルフィーユから西に河口の街リール、そしてリール川を遡ってラ・ヴァリエールまでをなぞった。その先にはアルトワもある。 マザリーニも納得したようだった。長距離になればなるほど、馬車よりも船の方が効率は良くなる。 「それと、もう一つお伺いしたいが……」 「はい」 「ゲルマニアからの軍事侵攻があった場合の対処については、如何様にお考えかな? 良道があらば、進軍も容易となりましょう?」 からかう風でもなく、マザリーニはそう口に出した。 ここまでリシャールが述べていたのはあくまでも経済面での効果であったから、当然の質問でもある。 「そうですね。 余り考えなくても良いのではないでしょうか」 「……どういうことですかな?」 「セルフィーユを落とすなら、陸路で軍を進めるよりも軍艦の方が明らかに楽だ、ということです」 大きな大砲を戦場まで楽に持ち込めて、その上、陸路であれば補給のために長い列を組んだ馬車が必要になるところを、船は一隻で大量に運び込めるのだ。道中の橋などを少々落としたところで、後々の統治や後詰めには影響を残せても、軍船とそれが運んでいる直接戦力には殆ど影響はあるまい。 「これは内陸部でも、空海軍のフネを使われることであまり違わない結果になる、と思います」 リシャールが考えていたのは、先日のカリーヌとの模擬戦でも思ったことなのだが、空からの攻撃に対して、陸からでは非常に対処しにくいということであった。 攻撃側が、空海軍のフネを利用した空爆と空挺作戦とを組み合わせた攻撃を選択した場合、守る側の取れる手段がものすごく限られるのだ。それこそ、数百メイル上空から砲弾の雨でも降ってくれば、地上にいるメイジがいかに優秀であったとしても防御以外に出来ることはほぼなくなる。ましてや反撃などおぼつかないことは、身をもって知った。 「商人が内陸でフネを使わずに馬車で陸路を通るのは、その方が初期投資が安価で品物の流通量に合わせて数の調節がしやすいからですが、軍にその理屈は通用しません。 無論、全軍をそれで動かそうとするのは、予算の都合上どこの国でも不可能でしょうが……」 「一部だけならそれもあり得る、と……。 戦にならぬことを、切に願わずにいられませんな」 マザリーニは聖印を切り、深いため息をついた。 その後もしばらく話し合いは続けられ、王政府による資金援助はないこと、当該地域内での諸侯領の道路整備については合意があれば自由にして構わないことなどが確認され、マザリーニもリシャールの案を基本的に了承した。 ←PREV INDEX NEXT→ |