ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第五話「家族」長兄との夜話のあと、数日の内に祖父まで交えた家族会議が開かれた。 母に泣かれるか祖父に説教されるかと、針の筵に座る覚悟で戦々恐々としていたリシャールだったが、その場は和やかに話が進んだ。兄が予め手回ししておいてくれたのだろうか。 内容も、どちらかと言えば具体的なことに重点的を置いて話し合われた。 実際にどのように一旗揚げるのかとの質問に、まずは各地、出来れば大国の首都を回ってみたい、その上で魔法に重きを置くか、商いに重きを置くか決めたいと答えたリシャールだった。 魔法はともかく、商いについてはあまり良い顔をされなかったが、リシャールは、旅には移動が伴うので、向かう先が、ある物品について産地から消費地への旅程になっていれば、大きな利益は望めずとも大した苦労もなしに必ず利益が出るのだと説いた。このあたりの流れるような説明には、貿易都市であるアルトワに長く在住し、伯爵の片腕でもある祖父をも唸らせた。基本は農村に海産物を、漁村に農作物を、である。 その間の路銀はどうするのかとの問いには、土のメイジとして仕事を得るか、拙いながらも小さな刃物なら作れるのでそれを売るかすると、錬金で作ったナイフを取り出して見せた。 しばらく質問は続いたが、少々早いが一人立ちを認めようと言うことで決まった。余りにもあっさりし過ぎていて、リシャールが躊躇う程だった。 「まあ、自活できるんならいいんじゃないかな」 兄リュシアンは当然のように賛同してくれた。 「うん、少し早い気もするけど、しっかり者のリシャールなら大丈夫だろう」 父クリスチャンも賛成。 「概ね賛成だが、この小刀の作りはまだまだ甘い。旅の間に精進せよ」 祖父ニコラは条件付きで賛成。 そして母には。 「無事に帰ってくること、その時にはお嫁さんを連れて帰ってくること」 賛成はして貰えたようだが。リシャールは難題を突きつけられることになった。 家族の了承は一応取れたが、他にも色々と条件を付けられてしまった。 中でも一番気が重いのは、クロード様にきちんと了解を取り付けることだった。 しかし元々避けては通れない問題なので、翌日、真正面からぶつかることにした。 「午後のお茶をお持ちしました」 「ありがとう、リシャール」 午前中から幾度か話を切り出そうとしたが、妹姫様が同席されていたりして、なかなか機会がなかったのだ。 「クロード様、少しお話があるのですが宜しいですか?」 「うん、どうしたんだい?」 リシャールは近々家を出ることと、それについて家族の了承が得られていることを正直に告げた。 「そう……」 「本当に、勝手を言って申し訳ありません。 もちろん、クロード様のことやアルトワのことが嫌いになった訳じゃありません」 「うん、それは知ってる」 「ありがとうございます」 本当にありがたい言葉だった。何せ、一年差でクロードが生まれて、彼が物心ついてからは主筋といえ遊び相手でもあったし、今も御学友兼従者として常に彼の側にいたリシャールだ。絶対に口には出来ないが、大事な弟分である。 また、この時点ではリシャールはまったく気が付いていなかったが、アルトワで一番リシャールの影響を色濃く受けた人間はクロードだった。物事の捉え方や考え方、貴族と平民についての関係性や、人と人との関わり合いなど、封建領主の子息としては異例なほどに開明的思想を植え付けられていた。 そんなクロードであったから、人の気持ちを無理に縛ることは出来ないと言うことを、リシャールからは十分に教え込まれていた。 「リシャールは、さ」 「はい」 「これからどうするの?」 先日、家族で話をしたときそのままに、クロードにも判りやすいようにかみ砕いて話すリシャールだった。 「まずは王都に行きます」 「賑やかですごいところだったよ」 伯爵家は、年に数回トリスタニアを訪れている。年始の挨拶に園遊会にと、領地の経営の比重を貿易に置く手前、面倒でも居城に引っ込んでいるわけにもいかなかったのだ。もちろん、王都にも別邸は持っている。 「はい、でも私は行ったことがありません」 「あ、そうか。 リシャールはいつもお留守番だったね」 「ええ。でもそのおかげでクロード様からお土産をいただいたりしますよ」 「うん。 ……じゃあそれなら、王都で何をするの?」 クロードの興味は尽きない。 「路銀を稼ぎながらになりますが、あちこちを観光してみるつもりです。 あと、久しぶりに兄に会いたいと思います」 「ジャンはセギュール伯爵家におつとめしているんだっけ?」 「はい、家庭教師としてお仕えしているそうです」 リシャールの次兄ジャン・マチアス・ド・ラ・クラルテは、王都で家庭教師の職に就いていた。 貴族お抱えの家庭教師の職は、なかなかに門戸が狭い。なぜなら、家督を継げない次男次女以下の貴族子弟の就職先としては、比較的待遇が良かったからだ。それだけに、優秀な人材が集まってくる。もちろん、そうでなくては雇う方も困るのだ。何せ、御家の将来がかかってくる。給金もつり上がろうというものだった。 「その後はどうするの?」 「そうですね、各地を回ってみようかと考えています。 トリステインだけでなく、アルビオンやゲルマニアには行ってみたいですね」 「僕も行きたいなあ……。 でも、絶対に無理だよね」 ちょっと拗ねたような表情をするクロードに、リシャールはそんなことはないと教えた。 「クロード様も、もう何年かすれば家をお出になるのではありませんか?」 「え!? 僕も旅に出られるの?」 きょとんとしたクロードに破顔せざるを得ない。 「いいえ、旅ではありません。 ですが、クロード様も魔法学院には入られるおつもりでしょう?」 「あ、そうだった」 トリスタニア近郊にハルケギニアでも屈指とされる名門の魔法学院があり、トリステインの名門権門の子女の多くがそこに通う。クロードもその下の妹姫たちも、十五あたりになればこの魔法学院に通うことになるはずだった。年頃になったトリステインの貴族の子弟は、魔法学院に通うのでなければ、それまでと同じように家庭教師について家で学ぶか、王軍の士官学校の門を叩くかするのが通例だった。軍人貴族の跡継ぎなどは、若干士官学校へと進む方が多いだろうか。私塾の類は、リシャールも聞いたことがない。 「じゃあ、リシャール」 「はい」 「僕が魔法学院に入学したら、一度でいいから遊びに来てよ」 「では、なるべく沢山のお土産を持っていくことにしましょう」 「約束だからね」 「はい、クロード様」 どうやら許可が下りたらしいと、ほっとするリシャールだった。 その後もしばらくクロードの質問責めにあっていたリシャールだったが、祖父ニコラが言伝を携えてやってきた。 「若様、失礼いたします」 「ニコラ?」 「お祖父様、何かありましたか?」 「ああリシャール、クリストフ様がお呼びになられている。 西館の二階の方の応接室だ」 「はい、直ちに。 クロード様ごめんなさい、一旦失礼いたしますね」 「うん、いってらっしゃい」 「若様にはわしがついておるから」 「はい、行って参ります」 わずかに緊張しながらも、おそらくは旅立ちについてのことなんだろうなと考えながら、リシャールは応接室の扉をノックした。 叩く回数は儀礼が必要な場合は四回、親しい仲なら三回などと、幼い頃から礼法は厳しく叩き込まれていたリシャールである。何せ、伯爵家への奉公は生まれた瞬間から決まっていたようなものなのだ。 「リシャールかい? 入ってきなさい」 本来なら名乗りを上げて入室の許可を得るのだが、中にいる主人はそれらを全部すっ飛ばした。 「失礼いたします、クリストフ様」 「ああ、リシャール。 こちらに来て座りなさい」 既に香茶と菓子が用意され、お客様のような扱いだった。 目の前に座っているクリストフ・モリス・ド・アルトワ伯爵は三十三歳、のんびりとした人当たりのいい人物として周囲に知られているが、貿易都市アルトワを治める封建領主として、若いながらも一目置かれている存在だった。 リシャールは少し戸惑ったが、それ押し隠してソファの向かいに腰を下ろした。 「失礼いたします」 「リシャール、話はニコラから聞いたよ」 「はい、勝手を言って申し訳ありません」 クロードの事もあり、難色を示されるかともおもったが、伯爵は賛成のようだった。 「もっと反対されると思ったかい?」 「正直を言えば、戸惑っております」 「まあ、うちのちび達はともかく、ニコラ達は反対しにくいだろうからなあ」 「そうなのですか?」 「え!? ちょっと待ってくれリシャール、もしかして聞いていないのかい?」 口にしたクリストフの方が驚いていた。普段落ち着いている伯爵にしては珍しく、目を丸くしていた。 「なにか、大事なことでしょうか?」 「ああ、いや……。 うん、そうではないんだ。 ……ニコラの方は直接は知らないが、ニコラもクリスチャンも一度アルトワを離れているんだよ」 確かにそういうことなら反対もしにくくなるはずだ。 「クリスチャンが戻ってきたときのことは、今でもよく憶えてるよ。 エステルを連れて帰ってきて大騒ぎになったからなあ」 「母上を!?」 「ああ、その時のことは直接エステルに聞くといい。 リシャールもきっと驚くぞ」 「はい、必ず」 出立前には絶対に聞いておこうと決めたリシャールだった。 「クリストフ様のおかげで、家族会議がスムーズに進んだ理由がやっとわかりましたよ。 ありがとうございます」 「なんでもニコラをやりこめたんだって? 是非見たかったな」 「やりこめたつもりはないのですが……」 リシャールとしては、聞かれるままに答えていただけである。家族しかいなかったせいもあるが、兄との夜話以降、色々と吹っ切れていたリシャールだった。 「経験もないはずなのに商取引の根幹を理解していて、その説明には淀みもなく、ニコラに口を挟む隙を与えなかったそうじゃないか」 「あー……えーっと、まあ、暇なときは市場を見て回ってますし……」 とても苦しい言い訳にならざるを得ないリシャールである。まさかこっちで生まれる前には、店を一軒任されていましたとも言えない。 「まあ、そのあたりも含めて私はリシャールなら大丈夫だと思っているよ。 流石にちょっと早いと思わないではないけれどね」 「ありがとうございます」 「それで……、そう、肝心なことを聞いていなかった。 旅に出るのはいつになるんだ?」 「はい。最初に王都に向かうことだけを決めた以外は、日取りも含めて何も決めていません。 もちろん、旅の用意もこれからです」 仕事の引継もなにも、今の時点では進んでいなかった。子供とは言え給金を貰っているので、後はお任せしますの一言だけで済ますというわけにもいかない。第一、兄との約束に反する。 「そうなのか。 ああ、そうだリシャール、私からも一つ頼みたいことがあるのだが」 「はい」 クリストフは、意外と真剣な目でリシャールを見た。 「行った先々から手紙を書いて欲しいのだ」 「手紙、でございますか」 「うむ。 そうだな、その地の特産であれ人々の噂話であれ、何でもいい。 リシャールが感じたように書いてくれればいい」 ああなるほど、とリシャールは納得した。要は各地の情報である。例えば、一見、アルトワと縁がなさそうな他国の寒村の情報であろうと、見る者が見れば立派に使える情報になるものだ。 「調べがつくならでいいが、小麦の価格と両替の相場が書いてあると、私としては非常に助かるな」 「可能な限り、ご期待に添えるよう努力します」 「それから、これも渡しておこうか」 クリストフは、テーブルの上に書類と小箱を取り出して広げた。 「餞だ。 これが工匠組合への紹介状、こっちがアルトワのギルドへの紹介状、そちらはラ・クラルテ商会の営業許可証と印章指輪だな」 「ラ・クラルテ商会!?」 「うん、今朝出来たばかりだ。もちろん会頭はリシャール・ド・ラ・クラルテになっている」 してやったりと笑うクリストフだった。どうもこれがやりたかったらしい。困った伯爵様だ。 「工匠組合とギルドへの保証金はもう支払い済みになってるから、あとは行って手続きを済ませるだけでいいかな。 ラ・クラルテ商会の方は自分でやれよ?」 「はい、その、ありがとうございます……」 声が上擦るほどの、なんとも豪勢な餞であった。 「ええそうよ、私はお父さんに連れられてアルトワにお嫁に来たのよ」 帰宅して夕食をとった後に、昼に応接室で聞かされた話を母にしてみた。 リシャールの母エステル・ド・ラ・クラルテは四十手前の筈だったが、まだ三十そこそこに見える若々しさを保っていた。息子の目から見ても美人である。伯爵家にあっては、侍女頭を務めている。 「それはもう、嬉しかったわよ。 何と言っても、私を救いだしてくれた王子様だもの」 「はぁ!?」 父には似合わない形容だったが、母の目は本気だった。ちなみに現在の父の容姿は、どちらかと言えば線の細い学者風である。一見軍人には見えない。 「二十五も年上の顔も知らない男性と結婚させられそうになっていたところに、颯爽と現れてくれたのよ」 「……大問題になったのでは?」 「そうね、最初はね」 「最初だけ、ですか?」 よくわからない。 「ええ、しばらくしてからかな、角も立たずに婚約は解消されたの。 家族もクリスチャンならばいいだろうって送り出してくれたわ」 父は何をどうしたんだろう……? どうも話がうますぎるような気がするリシャールだった 「そうね、でも私にもわからないの。 お父さんが頑張ってくれたようなんだけれど、その事だけは未だに話してくれないのよ」 これは是が非でも、父に話を聞かなくてはならなくなったようだ。 リシャールの頭からは、旅のことなどすっかり抜け落ちていた。 さて翌日。 リシャールは父をつかまえて早速聞いてみた。 「誰にも言わないと誓えるか」 「はい、父上」 「よろしい。 ……リシャール、母さんは美人だよな?」 「はい、身内の贔屓目でなく綺麗な人だと思います」 「うん、そうだな。 父さんもほとんど一目惚れだった」 しまった、のろけ話になったかとリシャールは身構えた。 「あの頃私は王都にいたんだが、母さんの家も王都でね。 割と近所だったかな、時々見かけていたんだよ」 昔を懐かしむように微笑むクリスチャンに、リシャールは内心ではやはり地雷を踏んだかと冷や汗を流していた。 「ところがしばらくして、母さんが結婚するらしいと聞いてね。 もちろん、まだ付き合っていたわけでもなかったんだが……」 「はい」 「そのせいで、彼女のことがが本当に好きなんだと気づいた。 だから、婚約を潰そうと本気で考えたんだ」 無茶苦茶です、とは口に出せなかった。現に父と母は結婚しているのだ。 「そこでまず父さんは、母さんの実家と婚約相手のことを調べ上げた。 そうすると、意外なことがわかったんだ」 「何がわかったんですか?」 「その相手というのが、当時の上官だったんだ」 「上官!? え、あれ? ということは、父上は王軍にいらしたのですか?」 初耳である。今日は驚かされてばかりのリシャールだった。 「当時はね。 ……ああ、リシャールには話したことがなかったかも知れないね。 まあ、それは横に置いておこう。 で、この上官が相手というので少々悩んだ」 「そうでしょうね」 「ただ、エステルの婚約相手がその上官であったからこそ、結果的には婚約を解消できたんだ」 そんな無茶なと思ったが、話の続きを聞くことにする。 「その上官はとても立派な人でね、私は今でも尊敬しているよ。 当時奥様に先立たれていて、親戚筋から再婚話を持ちかけられてね、その相手がエステルだったんだよ。 この親戚筋というのは、エステルの実家にとってもなかなかに断りにくい相手だったようでね、結婚は時間の問題になっていた。 だがここでもう一つの情報……というか、調べるまでもなく知っていることが父さんにはあったんだ」 話が複雑になってきたが、黙って続きを待つ。 「母さんとは別のある女性が、その上官の事を好いていたんだよ。 あとはそれを上手く結んでやれば良かった。 上官には、『ご婚約されたそうですが実は……』とその女性のことを切り出して、一度お会いになりませんかと声をかけた。 その女性の方にも、その人は自分の上官だから出会いの場は作って差し上げられると約束したんだ」 「上手く行ったのですね?」 「ああ、上手く行った。お似合いの二人だ。 そしてこの段階で、父さんは初めて母さんの実家に行って、娘さんを僕にくださいと頭を下げたんだ。 その頃には母さんとも、出会えば少し話しをするぐらいには仲良くなれていたしね。 もちろん、婚約しているからと断られたけれど」 「……もしかして、それも予定通り?」 「そう、予定通りだ」 なんとも意外な小狡さを見せる父であった。 「自分がエステルと結婚したいと思っている、というのをエステルと彼女のご両親に判ってもらうのが目的だったからね、それでよかったんだ。 で、その後だ。 婚約は上官からも断りにくい親戚筋からでていたけれど、上官には両想いの相手がいて、エステルが猛反対していることが生きてきた。 しばらくして、両方の側から婚約解消を申し出る形になったんだ」 「そんな都合のいい婚約解消が……」 「ああ、出来たよ。 それで婚約が解消された翌日に、もう一度結婚の申し込みに行ったんだ。 その時にはもう王軍をやめて、アルトワに戻る予定になっていたけどね。 ……ああ、別に暗躍がばれたわけじゃないぞ? 父から、十分に経験も積んだだろうからそろそろ戻ってこいと言われていたからね。 まあ、その事も含めて二つ返事とはいかなかったけど、エステルも了承……というか援護射撃をしてくれたし、今度は彼女のご両親にも認めて貰うことが出来たんだ」 「はあ……すごいことがあったんですね」 「うん。 絶対にゆずれないことだったから、全力で頑張ったよ」 そう言った父の顔はとても誇らしげだった。 母が惹かれたのも自然なことだったのかも知れないなと、リシャールは思った。 戻るときには嫁を連れてくるようにとの条件を出した母のこと。 不利な状況でも諦めずに母を射止めた父のこと。 今日からは、少しだけ父や母を見る目が変わることを自覚したリシャールだった。 「リシャール」 「はい、父上」 「……母さん達にはくれぐれも内緒にな」 色々と、台無しだった。 ←PREV INDEX NEXT→ |