ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第四話「決意の夜」





 初陣から数日後、その日の仕事を終えて帰宅したリシャールは、夕食後に自室で色々と考え込んでいた。

 コボルド鬼を殺したこと自体については、自分自身でも納得した。
 戦闘の反省もした。ゴーレムはもっと柔軟に使えばセヴランの手を煩わせることもなかったろうし、ジョエルが銃を撃たなくてもよかった筈だ。次はもう少し上手くやれるだろう。
 また、僅かながらも恩賞が出たのは、リシャールにも嬉しいことだった。コボルド鬼二匹の戦果に対して合計二十スゥが銀貨で支払われた。日本円にしてみると五、六千円ほどの額になろうか。
 後で聞いた話だが、固定給が貰える分討伐の恩賞は安くなっているのだそうだ。それでも、領地勤めの兵にとっては割に重要な収入源である。兵士達にはちょっと申し訳ない気分になったが、初陣だし勘弁して貰おう。
 傭兵などだと、リシャールが討伐したコボルド鬼では一匹大体四十スゥ、オーク鬼ではその五倍程度が相場らしい。その代わり、首は持ち帰って依頼主に報告しないと報酬は受け取れないし、普段の生活の全てをそれらで賄わなくてはならないから、一部の強者はともかく、収支としては似たり寄ったりとのことだった。

 金に関して言えば、リシャールは決して困っているわけではない。伯爵家から給金は出ているし、食事も伯爵の居城もしくは自宅のどちらかで食べさせて貰っている。衣服にしても、お仕着せは支給品だったし普段着は兄や父のお古で十分だった。
 しかし、欲しい物も多いのである。日本から流れ着いてくるかもしれない『好事家に売れる珍品』の類は出来る限り収集したいし、ここ数日は武具、特に胸甲と小手は是非欲しいと考えていた。
 胸甲は、後からジョエルの射撃を思い出して特に欲しくなった。多少なりとも銃への対策となるだろうし、魔法では咄嗟に急所は守れないと感じた。それなりのものを手に入れたい。
 小手の方は、斥候の最中に薮を漕いだ際、手に擦り傷が出来たり服が破けたりしたからだ。こちらは、剣戟や殴打を受けきれる程本格的なものでなくてかまわない。いや、軽い方が良いかもしれない。
 それよりもむしろ……。
「やっぱりお金、だよなあ……」
 子供に渡すには十分過ぎるが、少し手の込んだことは無理な収支である。今のところ、衣食住には困ることはないだろうし、月々の給金も半分は自分の取り分である。僅かながらの貯金はしているが、大人のような買い物は出来ない。その程度なのだ。
 先ほどの胸甲にしても、既製品の中古で三十エキュー程度からあるにはあったが、リシャールの目に敵うようなものは最低でも百エキュー前後。概して金属製品は高価だったし、用途の限られる軍装品はその上を行った。
 自作も考えたが、クロードに仕える手前、大きく時間を取れないことが問題だった。作業を錬金で行うにしても冶金学の知識などないから、材質を特定した後は手探りで強度を高めていかなくてはならないだろう。前世では小学校の時に社会見学で製鉄所に行ったこともあったし、刀鍛冶を特集したテレビを見たような記憶はあったが、内容はまでよく憶えていなかった。

 コンコン。
 考え込んでいると部屋をノックされた。
「リシャール、いるかい?」
「兄上」
 部屋に訪ねてきたのは、上の兄リュシアンだった。
 リュシアン・ド・ラ・クラルテは二十歳、ラ・クラルテの例に漏れず、アルトワ伯爵家で執事見習いの従者として伺候している。領内では、祖父ニコラの後を直接継いで筆頭の執事になるのではないかと噂されているが、半ば事実であった。父クリスチャンは十分祖父の後を継げる能力も人格も備えていると見られていたが、常備軍の方の責任者とあっては無闇に動かすわけにも行かず、引き抜くにしても代わりがいないのだった。
「どうぞ……といっても何もありませんが」
「考え事でもしていたのかい?」
 勧められるまでもなくベッドに腰掛けたリュシアンは、リシャールに質問を投げかけてきた。
 上の兄も下の兄も、リシャールには昔から優しかった。少し歳が離れていたせいもあり、小さかった頃は子守を兼ねて、本の読み聞かせから初歩の魔法の練習までを兄達から与えられていた。もちろん、今でも何くれとなく面倒を見て貰っている。
「はぁ、どうしたもんかなと……」
「困りごとでもあるのかい?」
「切羽詰まっていたり誰かに迷惑をかけてまで行うような事でもないので、逆に困っていたのです」
 リシャールも、父に雰囲気のよく似た兄達のことは好きだったし信頼もしていたから、正直にうち明けてみた。前世がどうのとは関係なく、間違いなく家族だった。
「ふむ。……具体的には?」
「お金です」
「何か欲しい物でもあるのかい?」
「具体的にこれ、と言えるものではないのですが、市に出かけた時などにですね」
「うん」
「本当に欲しいなと思った物を、手持ちで買えたことがまずないので……」
「確かに、切羽詰まってもいなければ、誰かに迷惑を掛けてまでするようなことではないね」
 なるほどなと、兄は頷いた。
「そうなんです。
 でも、やっぱり欲しい物は欲しいんですよね」
「ここで『兄上、お金を貸して下さい』、とでも言うようなら兄らしく怒鳴って叱れるんだがなあ……」
「そんな恥ずかしいことしませんよ」
 二人で顔を見合わせて笑う。
「まあでも、知恵なら多少は貸してやれるぞ」
「兄上?」
 リュシアンには、何か考えがあるようだった。

「実際、どのぐらいの期間でどの程度の金額を得たいのかでかなり違ってくるな」
「はい」
 本腰を入れて話に付き合ってくれる気になったのか、部屋を出ていった兄は、ワインをひと瓶とグラスを二つ持って戻ってきた。
「例えば……さほど大きくない金額、十エキューぐらいなら、お前なら下手なことをせずに給金を貯蓄に回した方が堅実だろう?」
「はい、節約すればすぐに貯められると思います」
 実際、この二年で三十エキュー少しの貯蓄はできていた。給金にして約三ヶ月分になる。頑張ればもう少し手元に残ったのだろうが、それなりに使ってもいる。……発泡スチロールのトロ箱に二十エキューはちょっと無駄だったかもしれないが、欲しい物は欲しいのだ。
「では、これが百エキューならどうだい?」
「えーっと、給金や支出が変わらなければ十倍の期間が必要になります」
「そのとおりだね。
 更に一千エキューなら?」
「絶対に、とは言えませんが、この方法ではほぼ無理だと思います」
「じゃあ、一万エキューなら?」
「……先に寿命が来てしまいます」
「うん、期待したとおりの完璧な答えだ」
 にっこりと笑った兄に頭を撫でられる。嫌ではないが、流石に気恥ずかしさが先に出るリシャールだった。
「では、少し抜け道を考えてみようか」
「抜け道、ですか?」
「そうだよ。
 自分の持ち物の中で、売れる物を選んで買ってくれる人の所へ持って行くんだ」
「はぁ」
 部屋を見回してみても、これと言った貴重品があるわけではない。細々とした生活用品などにしても、二束三文が関の山だろうし、売るわけにもいかなかった。
「ああ、リシャール、そうじゃない。
 魔法だ、魔法を売るんだよ」
「それは考えてみましたが、無理があるんです。
 お給金を貰っている以上、仕事を放り出すわけにはいきませんから」
 単なる十二歳の少年としてなら商家の下働きや近距離の配達などがせいぜいで、間違っても今のように月に十エキューも稼ぐことは出来ないだろう。
 だが、土のラインメイジとしてならどうか。
 街道の整備や開墾、井戸掘り、城壁や建物の修理など、給金の高い仕事はいくらでもあるのだ。
「そうだね、その通りだ。
 伯爵家に対しては恩義もあるし、ラ・クラルテとしての信用もあるからそんなことは許されないね。
 でも、余暇にマジックアイテムを作ってそれを売ったりすることは可能だろう?」
「マジックアイテム、ですか」
「リシャールなら、何か変わった物を思いつけるんじゃないかい?
 錬金は得意だろうし、昔からちょっと変わったことが好きだったものな」
 リシャールは昔を懐かしむようにしてうんうんと頷いてみせるリュシアンに、やはり、どこか隠しきれていないものなのだなと苦笑いするしかなかった。
「まあ、私も時々魔法で稼いでいたし」
「兄上も!?」
 これは驚きだった。
 あまりそういうことをしそうにない雰囲気を持つ上の兄である。下の兄、ジャン・マチアスなら嬉々としてやりそうだったが。
「まあ、マジックアイテムではないのだけれどね」
「何をどうされたのですか?」
「氷だよ」
 なるほど、水メイジであることを活かした兄らしい選択である。
「夏の熱い時期だと、手桶一杯で五スゥは堅いからね。
 酒場なんかに行くと十杯単位で買ってくれるもんだから、魔力がかつかつになるまで頑張ったものだよ」
 この世界には、冷蔵庫も冷凍庫もない。その代わりを魔法が補っているのだ。
 はっはっはと笑う長兄には、いつもは感じない強かさを感じた。ちゃっかりしている。
「でも、兄上。
 僕が……例えば剣などを作っても、売ることが出来ません。
 市で露天を出していたなどとお爺さまや父上に知れたら、大目玉だけですむとは思えません」
 アルトワの市は、僅かな手数料さえ出せば子供でも店を出すことが出来る。農家の子供が親の代わりに野菜を売りに来て、一端の店主のように元気な声を上げている風景もよく見られる。
 さてリシャールだが、短剣やナイフなどの小物ならば、錬金と固定化で日用品程度の品質の物をさほどの苦労なく作ることが出来るようになっていた。普段持ち歩いているナイフも、自作の品である。
 余り高品質なものではないのだが、固定化の呪文の重ねがけで耐久性を無理矢理与えて実用品に仕上げてあった。
「そりゃ、直接売ろうとすればそうなるね。
 でも、間に人を立てるなり方法はあるよ」
「なるほど、小売りにせず卸売りするわけですね」
「実用品なら数も捌きやすいし、それがいいかな。
 業物や魔法剣を制作して売るのなら、鍛冶屋と渡りをつけて契約するのもいいだろうね」
「業物、ですか……」
「真面目に取り組んでいけば、魔法剣の名工として、トリステインのシュペー卿と呼ばれる日が来るかも知れないよ?」
「うわっ。いくらなんでもそれは……。
 でも、そこまでするなら、流石にクロード様に仕えることを辞さないといけなくなりますね」
「まあ、今すぐは無理だろうね」
 リュシアンは一旦言葉を切った。
「でもね、リシャール」
「はい」
「伯爵家の顔に泥を塗ったり、ラ・クラルテの信用を傷つけたり、自暴自棄になったりしないのであれば」
「……はい?」
「それは決して無理なことではないんだ」
 兄の口から、爆弾発言が飛び出した。

「いや、でも……」
 そんな勝手をしても許されるのだろうか?
「例えば……そうだな、ジャンは伯爵家に出仕していないだろう?」
 あっとなるリシャールだった。
 今年十八になる次兄のジャン・マチアス・ド・ラ・クラルテは、現在、王都で家庭教師の職に就いているが、伺候している先はアルトワ伯爵家とはほぼ無縁の伯爵家である。
「うん、ジャンは現に伯爵家には仕えていない。
 でも、不行状だからと縁を切られて家から追い出されたわけでも、喧嘩別れしたわけでもないだろう?
 ラ・クラルテの名も、もちろんそのままだ。
 家を出ることになったが、それはむしろ立派なことで誉れ高いし、伯爵様からも門出の祝いが贈られたぐらいだ」
 次兄は魔法もそこそこ出来る上に、勉学もリシャールが舌を巻くほどだった。早い段階でこの世界と上手く折り合いを付けることが出来たのは、この次兄に因るところが大きい。
「……リシャールも、早く一人立ちしたいとか考えてるんじゃないのかい?」
 お見通しだった。

「お前は昔から聡い子だったけど、嘘がつけない子でもあったからなあ」
「そうなんですか?」
 まずいなあと思う反面、嬉しくもある。下手をすれば鬼子として扱われる可能性もあったことに気づいたのは、かなり後になってからだった。
「リシャールが字を覚えてしばらくした頃だったかなあ。
 ジャンと三人で留守番をしていたんだが、お前が僕たちに本を読んでくれるというので、私はリシャールでも読めそうな絵本か何かを選ぼうとしたんだ。
 でもそこで、ジャンが悪戯を思いついた」
「ジャン兄さん……」
 そう言えば、悪戯好きな兄だった。
 何くれとなく面倒をみてもらっていたが、雁首揃えて母に小言を貰ったことも、一度や二度ではない。
「まあ、悪戯と言っても大したことじゃない。
 絵本の代わりに、書斎にあった魔法理論の本をお前に渡したんだ」
「えーっと、もしかして、字を覚えたての筈なのに……」
 リシャールのおそるおそるの問いかけに、うんうんと兄は頷いた。
「うん、普通に読んでいたなあ。
 流石にジャンと顔を見合わせたよ。
 それも、意味も分からず読んでいたんじゃない、きちんと内容も理解してた。
 本に書かれていた水の魔法についてだったかな、後で聞かれて困ったのを憶えてるよ。当時の僕でさえまだ教わっていないような内容だったからなあ。もちろん僕たち二人ともそれには答えられなかった。
 昼食の用意に戻った母上もそっと見ていらしたんだが、やはり随分と驚かれていたな」
「あー……」
 やってしまった、どころではない。
 家族だからこれで済んでいるが、他にも色々とまずかったのだろうなあ、とリシャールはちょっと凹んだ。
「魔法を習い始めたときもそうだったなあ。
 普通は失敗するものだが……」
 リシャールは嫌な汗が出てきた。背中が冷たい。
「お前の場合、同じ失敗にしても精神の練り込みが上手く出来過ぎて暴発したりとか、錬金の効果が広い範囲に行き渡りすぎたりとか……初歩でよくある詠唱の失敗だとか魔法の不発だったってことがまずなかったからなあ」
「あははは、は……」
 魔法を習うのはとても面白かったから、いつも全力で取り組んでいた覚えがある。現代日本人の理解の範疇外にある不思議の塊だったせいもあり、好奇心の赴くままに魔法の技術や知識を吸収していった。
 いまは十分に実用品として役立てているいるが、知的好奇心を満たしてくれる娯楽的側面もあるので、誰に言われるまでもなく力を入れていた。今では、そう時を置かずトライアングルになるのではないかと言われるほどだ。
「そうかと思うと、大抵のことには動じないお前なのに、未だにホワイトアスパラガスのソテーが苦手でいつも顔をしかめながら食べてたりするからなあ」
「あ、いやそれは……はい、仰るとおりです」
 リシャールは流石にそろそろ勘弁して欲しいと心底思った。
「まあ、少し話は逸れたけど、そんな感じでうちの末弟は将来大物になるだろうと、私だけでなく皆思っているわけだ」
「……」
 どうも、自分の希望と周囲の期待には齟齬が生じているような感じがする。
「このまま行くと、割と早い時期に父上の後釜で常備軍か、伯爵様直属の官僚団かを率いることになるんじゃないかなあ」
「うえぇっ!?」
「まあ、今すぐどうの、というわけではないから安心していい。
 でも、そろそろ将来の自分を具体的に考えてもいい時期かもしれないね」
 そこまで決まったレールが敷かれていたとは、終ぞ考えたことのないリシャールだった。
 いや、一旗揚げて出世してとは考えていたが、それとは少し違うのだ。
 順風満帆が約束された人生は間違いなく良いものだが、リシャールはもう既にそれを経験していた。
 日本とハルケギニア、場所は違えど同工異曲では面白くないだろう。
 二度目の人生に於いての成功は、与えられたものではなく、勝ち取った物でありたい。
 そこが決定的に違うのだ。

「兄上」
「うん」
「やっぱり、一旗揚げたいです」
「うん、いいんじゃないのかな」
 リュシアンはワインを傾けながら頷いて見せた。
「でも、さっき言ったことは忘れるなよ。
 伯爵家に不義理をせず、ラ・クラルテの信用を傷つけず、自暴自棄になったりせず、だ」
「はい」
 兄なりに色々と気を揉んでくれていたようだ。
 精神の年齢差は親子ほどもあるというのに、子供らしくし過ぎていたのだろうか、少々申し訳ない気分になる。
「最初はお金の話をしていた筈だったんだけど、随分と大きな話になってしまったね」
「でも、とてもためになりました。
 ありがとうございます、兄上」
 リシャールは心から感謝した。やはり兄は素晴らしい兄だった。
「父上にも、一度話をしておいた方がいいだろうね」
「そうですね。……勝手は勝手に違いありませんよね」
「うん、ほんとに勝手だ」
 ふふふん、と兄に笑われた。

 しばらく雑談を交えた後、兄は自分の部屋に帰っていった。
 気持ちの整理もついたし、今日はもう寝るべきだ。
 全てを捨てるわけでもない。
 しかし自分の力を頼みに生きて行くならば、今の生活は一度捨て去らないといけないのだろうなと、リシャールは考え込んだ。

 しかし、母とクロードには、なんと告げればよいのだろうか?
 ちょっと気が重くなるリシャールだった。







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