ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その八 「結婚祝い」




 トリステイン王国を実質的に取り仕切っているマザリーニ枢機卿は、いつもの様に書類を片付けながら嘆息していた。
 外交も内政も酷い有様であったが、特に酷いのは予算そのものであった。昨今は王領を切り売りして凌いでいるほどであったから、その窮乏ぶりも伺えようと云うものだ。
 王家のお二人が無闇やたらな贅沢をしているようなことなく、無論、マザリーニ自身が私腹を肥やしているわけでもない。私腹を肥やしている者は、別にいた。
 先日も小物を一人捕らえたばかりだったが、こんなものは氷山の一角に過ぎない。一罰百戒、多少はなりを潜めたようだが、しばらくもすれば元の状態に戻ること、疑いようもなかった。
 国王不在の王国は、小鬼の巣食う森の如く蝕まれつつある。
 せめてアンリエッタ姫が即位するまで、マリアンヌ王后が代王として政を仕切って下さればとも思うが、本人は頑なに先王の妻である立場を貫き、政治には一切関わろうとしなかった。いっそ立派であるが、それでは国が動かないのもまた事実であり、長い説得の末に、ようやく書類への記名と玉璽の押印だけは彼女の手によるものとなった。
 そして次期女王であるアンリエッタ姫はと言えば、座学や魔法については優秀なものの、政治的には立場も複雑な上に為政者教育にもまだ手が付けられ始めたところであり、海の物とも山の物とも言い難い段階であった。国王が健在ならば素晴らしい姫君ですの一言で良いのだが、十三の少女への要求としては酷ながら、それで済ませられる状況ではない。始祖と先王陛下に許しを乞い、心の中で血涙を流しながらも、マザリーニは次期女王としての自覚と責任を彼女に促すしかなかった。
 その上で彼は、アンリエッタが女王として立つまでトリステインを破綻なく預かり、内憂を取り除き、外圧に耐えうる国として、維持し続けなければならない。
 それらの根本的な解決策として、王政府内では無駄を省き、綱紀を引き締めてはいる。だが、それをして一向に好転の気配を見せない財務事情が、彼をして深いため息をつかせていた。

「失礼いたしますぞ」
 マザリーニは、いつものように書類を持ってマリアンヌの部屋を訪れた。放っておいては、いくらでも決済の必要な書類は溜まっていくのだ。
「あら宰相」
 今日は王后陛下の他に、姫殿下もこちらにいらしたようである。これは珍しいことだと、マザリーニは思った。
「おお、姫殿下。
 こちらにいらしたのですか」
 マリアンヌの執務机の上に、厳選した書類の束を置く。
「マリアンヌ様、こちらが今日午前の分でございます」
「相変わらず多いことね」
「これでも少ない方でございます」
「……そうなのでしょうね」
 これもまた、いつものやりとりであった。
 それを興味深そうに見ていたアンリエッタだったが、ふと宰相に目を向けた。
「宰相、少しお聞きしてもよろしいかしら」
「なんでございましょう、姫殿下」
 またしても珍しいことだ。姫殿下が自分に対して質問など、滅多にあることではない。
「宰相はラ・ヴァリエール公爵をご存じよね?」
「もちろんでございます」
 彼を知らないわけはない。諸侯としても政治家としても軍人としても傑物である。出来れば中央に戻って欲しい人物であるが、彼は年齢を理由に既に軍務も退き、領地の経営に専念している。
「カトレア殿……ああ、公爵の次女姫なのだけれど、彼女への結婚祝いに何か良い案はないかしら?
 お母様にもご相談していたのだけれど……」
「ほう、それは目出度きことで……。
 お相手はどなたですかな?」
「セルフィーユ男爵よ。
 わたくしと同い年の、とても面白い人なの。
 宰相はご存じかしら?」
 セルフィーユ男爵!
 マザリーニも、先日彼とは話したばかりであった。
 なかなかに侮れない少年で、少しばかり甘いところもあるが自領には善政を敷き、その上で富国を目指そうとしている。普通に出来ることではない。
 先日の会談では、彼はマザリーニの意図を正確に把握した上で一切を了承し、その上自身のためでもあろうが、王政府にも彼にも損のない取引を持ちかけてきた。
 会談の前にも彼のことは多少調べてあったから、内容としてはマザリーニにも納得できるものであったし、たかが男爵領と言えども、国庫に納められてくる税収は王政府にとって無視できる金額ではない。
 彼はその税収を倍にすると言い、そのための策も一部は既に実行されてもいるようだった。口だけは達者な貴族達が多い中、内実を伴い裏付けまで取れているとなれば、マザリーニにとっても話は違ってくる。
「はい、存じ上げておりますとも」
 マザリーニは頭の中の様々な思考を振り払って、それだけを口に乗せた。
「それで、カトレア殿は一代伯爵の名をお持ちなのだけれど、結婚に当たってそれを返上するということになったの。
 その代わりにお祝いも兼ねて、セルフィーユ男爵を伯爵に引き上げようと思ったのだけれど……少し無理があるようで、お母様にもご相談申し上げていたのよ」
 マリアンヌも、流石にやれやれと言った顔であった。
 叙爵や陞爵それ自体は王権に含まれるが、好き勝手に乱発してよいものではない。やはり、それなりの理由がなければ実際には不可能である。そのあたりの匙加減はまだ、姫殿下にはおわかりでないらしい。
「そうですな……」
 それでもマザリーニは、セルフィーユ男爵本人や彼を取り巻く環境に興味深いこともあって、頭を働かせてみた。

 セルフィーユ男爵は十三の若者であるが、そこは無視しても良い。初代当主としては珍しくはあったが、当主の戦死などの理由で、一桁の年齢で家を継ぐなどという話もなくはなかった。
 領地の経営については概ね順調で、内密に行わせた別口からの報告を合わせれば、彼の言う税収倍増も嘘ではないだろうとの裏付けが取れている。
 その上で、姻戚としてラ・ヴァリエール公爵家が控えるのであれば、爵位はともかく、王領も含めて雑多な小領の多い北東部諸領の中でも頭一つ飛び抜けた存在であると言えた。
 特に要となる諸侯がいない北東の辺境に、小なりと言えど一つ拠点が生まれつつあることはかなり大きいかも知れない。周囲の民が目を向ける程度に存在感を主張してくれれば政略上も言うことはないが、この場合は虚よりも実の方が重要で、彼が領内に建設を推し進めている製鉄所などもよい柱になろう。
 さて、そこで祝いにどう絡めるかだが……。
 王政府の財務事情が許さないので財政的な応援は無理でも、政治的にセルフィーユの後押しをするのは、良い結果を引き寄せることになりそうである。
 ただ、無闇に持ち上げてはいらぬ軋轢を生み、逆にセルフィーユの伸長を阻害することにもなりかねない。故に、表向きの実利と重石の平衡は、均等かセルフィーユ不利に保つことが必要だった。マザリーニと王政府が本当の意味での馬鹿な真似さえしなければ、セルフィーユ男爵はこちらの意図を見抜き、期待に応えてくれるだろう。
 個人的には、クレメンテからの要望も無視できなかった。セルフィーユは今後、ある意味政治的に重要な意味を持つ可能性もある。
 それらを勘案したマザリーニは、姫の希望に実利を伴わせ、有為な提案を口にすることにした。

「姫殿下、私めも伯爵は少々行き過ぎであるとは思いますが、彼の場合は子爵あたりならば理由も十分に通せますかな」
「そうなのですか?」
 アンリエッタは目を輝かせていたが、マリアンヌは驚いているようだった。娘を諭してくれるものと、マリアンヌは思っていたらしい。マザリーニは、申し訳なく思いつつもこれは政治と割り切っている。それに、仮にこの提案が通ってセルフィーユ男爵領が発展し、個人的に便宜を図ったと揶揄されようとも、私利を得るためではないから後ろめたさは微塵もない。これこそが、マザリーニの強みでもあった。
「はい。
 彼は先日、不正をした代官の逮捕に協力してくれましたのでな、それで私も名前を覚えておりましたのです」
「まあ、そうでしたの」
「その際ですな、彼は所領を増やしたのですが、恩賞にはほど遠い状態でいささか申し訳なく思っておりました」
「リシャールが、どうかしたのですか?」
 姫殿下が不安そうな様子になったが、マザリーニは敢えて先を続けた。
「彼が得た領地は叙爵の折も含めまして、額面通りの収入さえ到底おぼつかぬ寂れて痩せた土地ばかりでしてな、今も男爵自らが額に汗して領地の建物や橋を作っておられるとか……。
 面積こそ百五十アルパンと諸侯の中でも大領に匹敵しますが、開墾しようにも森と山が多く、その人口は僅かに数百人と、発展しようにも足枷になっておりますな。
 その上で、男爵には事件に際して押しつけた領地の立て直しを命じ、その地代までも請求しておる始末です」
 お互い口にはしなかったが、先日セルフィーユ男爵はそれらを理解した上で、ドーピニエ領については委細承知と、マザリーニに頭を下げた筈だった。数ヶ月前にラマディエとシュレベールを継承していてそのことに気付かない訳はなかったが、彼はそれでも了承をしたのだ。マザリーニにしてみれば、ありがたいどころの話ではなかった。
 代わりに製鉄技師の派遣を要請されたが、それとてもマザリーニと王政府に対しての対価の請求にしては安すぎる上、国益にもなる提案であった。
「なんと、そのような……」
「はい、彼はそれでも何も言わず、引き受けてくれたのです。
 まことに忠義な御仁ですな。
 ……ああ、話を元に戻しますぞ。
 よって、功績としては子爵の位を与えるに十分でありましょうが……ただ、残念ながらそのまま与えるわけにも行きませぬ。
 今年叙爵したばかりでその上またも陞爵とあらば、やっかみもありましょうしからな。
 そこでですな、それでももしセルフィーユ男爵を子爵へと陞爵なさるならば……」
「どうすればよいのかしら?」
「同時に付近の王領について、道の整備をお命じになるとよろしいでしょう」
「道、ですか?
 それはまた彼にとって重い負担になるのでは……」
 アンリエッタが更に心配げな顔になった。この命令が彼の負担になる事ぐらいは、もちろんマザリーニも承知している。
「はい、一時的にはかなりの負担とはなりましょう。
 但し、場所の選定や工事の規模は、彼の自由にさせるのです」
 セルフィーユ男爵は、領主でもありながらも商人としての一面を色濃く有していた。
 莫大な投資が必要とされる道路整備ではあるが、それが自身の裁量で周辺地域に対して自由に行えるとあれば、彼ならばマザリーニの期待に応えてくれるであろう。
「彼は商人としても優秀とのこと、上手く自領にも王領にも利益が出るようにするでしょう。
 期間も十年ほどと長めに見積もれば、多少は負担も軽くなりますかな。
 ……そうですな、詳しくはマザリーニに尋ねるようにと仰っていただければ、後は私が取り計らいますれば」
 マザリーニはぽかんとするアンリエッタに対し、恭しく頭を下げた。


 アンリエッタとそのような会話をした数日後。
 その年最後の日となる年の瀬に、マザリーニは再びセルフィーユ男爵と執務室で対面していた。
 どうやら彼は、マザリーニが派遣した製鉄技術者をそのまま領地に引き抜きたいらしい。
 技師は王軍の下請けをしている造兵工廠の一労働者でしかなく、その上平民であったから、本人がそちらを辞めると言えばそれで話は終わりの筈だ。誰がしか製鉄に詳しい技師を派遣せよと命じたマザリーニにしても、技師が諸侯の家臣となってしまえば手の出しようはない。
 だが、交渉の場へと技師本人を連れてきたところを見るに、セルフィーユ男爵はどうやらマザリーニへの義理を欠くからと本気で思っているようだった。ともすれば嫌われがちな自分への配慮など必要もあるまいにと、マザリーニは半ば本気で思った。
 一応技師本人にも確認を取ったが、セルフィーユでの仕事にやり甲斐を見出したようで、男爵が無理を強いたわけでもないらしい。
 マザリーニにも特段反対する理由はない上に、秘中の秘だが、クレメンテの一件もあって個人的に無理を押しつける予定でもあり、男爵の希望通りに技師の移籍を認めた。
 もっとも、その技師が製鉄のためでなく大砲の製造を手がけるために引き抜かれたとマザリーニが知っていたとしても、消極的賛成が積極的賛成に変わるだけのことであっただろう。
 いずれにしても、結婚祝いにしては少々重い枷のついた祝いであったが、重ねて申し訳ないとは思いつつも王政府にも余裕はない。彼には負担を掛けるが、上手くやってくれると信じたい。
 マザリーニは、彼は政治家としては一流ではないかもしれないが、商人としては十分以上に一流だと見ていた。その人柄も、ある程度までは信用を置いてもよい。
 これで周辺地域からの税収までが上昇するようであれば、伯爵でも安いかもしれない。その時はまた、何らかの無理と引き替えにすることになろうか。
 次代を担う若者に幸多かれとマザリーニは聖印を一つ切り、別の案件へと取りかかった。

 ただ、しばらく後に、引き抜かれた方の造兵工廠ではちょっとした騒ぎになった。
 王政府からの要請で引き抜かれた『大砲』について理解のあった製鉄技師に続いて、『火薬』に詳しい工員や、『マスケット銃』の扱いに長けた職人らが、次々に工廠を去ってしまったのだ。
 もっとも、数人の平民が抜けたところでいかほどのこともあるまいと、工場を預かる責任者達の頭からはすぐに忘れられていった。






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