ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その四「公爵家の母娘」




「母様、少しよろしいですか」
「お入りなさい、カトレア」
 カリーヌは娘の入室を許した。
 先程までは泣いていた娘だが、今は普段と変わらないように見える。彼女は幼い頃から病弱であったから、はじめて手に入れた普通の楽しみに感極まって泣いてしまったのだった。
 母親として、これほど嬉しいこともそうはあるまい。
 娘は一人の少年のおかげで、僅かばかりではあるが普通を手に入れた。母たる自分がそれをなし得たのでないのが少々悔しくもあったが、娘の歓ぶ様を見られるのであれば些末なことである。少年が娘を泣かせたことについては、嬉し涙と言うことで相殺しておいた。
「もう落ち着いたようですね」
「はい、母様。
 ご心配をおかけしましたわ」
「それで、用事というのはなにかしら?」
 この娘は長姉や末妹とは違い、普段からあまり我を通したりすることはなかった。唯一の我が儘は、部屋で動物の世話をしていることぐらいだろうか。それにしてさえ、特に咎めるようなことではない。動物や花を愛でることは、貴族の令嬢に相応しい趣味の一つと言える。
「母様、わたしはお嫁には行けないのでしょうか」
 歳から言えば、もちろんカトレアは嫁に出ていてもおかしくはないが、少々無理な話ではあった。それを不憫に思った父公爵が彼女に一代伯爵として一家を立てさせ、名目上とは言え領地を分け与えたほどだ。
「難しい問題ではありますね。
 病弱であるが故に世継ぎを産む可能性の低いあなたでは相手も拒むでしょうし、こちらの体面にも関わります。
 もちろん世継ぎの心配がないからと、公爵家の娘に愛妾などさせる訳にもいきません。
 ……酷なようですが、厳然たる事実ですよ」
「病も発作も治まってきておりますわ」
「多少、でしょう?」
「いますぐ、ではありませんわ。
 身体も少しづつ丈夫になってきていますもの」
 娘は食い下がった。珍しいことねと、公爵夫人は眉を少し上げた。
「カトレア、仮に健康であるとしても、今年で二十というあなたの歳にも問題がありますよ。
 エレオノールは婚約を済ませていますから問題はないでしょうが、これは嫁き遅れに近い歳です。
 ……公爵家の力を持ってしても、なかなかに相手は見つけ辛いわ。
 当家に見合う家格の家なら、わざわざうちから病弱な嫁を貰う理由もないでしょうし……」
「世継ぎではないならば、多少は条件が緩みません?」
「絶対に無理、ということはないでしょう」
 カトレアは少し考え込んでいるようだったが、しばらくしてもう一度口を開いた。
「男爵家ならばどうでしょうか、お母様」
「せめて当主か世継ぎでないと、母として賛成できません。
 言うまでもないですが、ゲルマニアの成り上がり男爵などはもってのほかですよ?」
 それを聞いた娘は、何故かにっこりと笑った。
「どうしたのです、カトレア?」
「母様、伯爵家の孫が男爵家を興すのは、それほど無理なことではありませんわよね?」
「本気なのですか、カトレア……」
 カリーヌは額を押さえ、大きくため息をついた。
 やはり、そうなのだろう。
 娘は僅かばかりの普通を自分にもたらしてくれた少年に、恋をしているようだった。

 カトレアは、母の気が持ち直すのを確かめてから、話を続けた。
「母様、リシャールは伯爵家の孫ではあっても勲爵士の家の三男です。
 これではお父様も母様も、結婚には反対なさいますわよね?」
「もちろんです」
 自分の想い人の話であるのにも関わらず意外と冷静なカトレアに、カリーヌは少し腑に落ちないながらも答えを返していった。
「でも、リシャールが爵位を得ればどうでしょうか?」
「カトレア。
 爵位など、そのように簡単に得られる物ではありませんよ?
 一体どれだけの数の下級貴族達が、切磋琢磨して恩賞や功績を積み上げて出世を目論んでいるかなど、あなたにはわからないでしょうが……。
 いくら彼が伯爵家の孫で、例え後ろ盾にエルランジェ伯がついたとしても、そう簡単に家を興せるものではないのです」
 カリーヌは、若い頃を思い出していた。当時カリーヌが身を置いていたのは、華々しくありながらも、生き馬の目を抜く競争の世界でもあった。
「リシャールは、わたしを迎えに来ると約束してくれましたもの」
「口では簡単に言えます」
「リシャールは本気でしたわ。
 それに、母様」
「なんです?」
「わたしをお嫁に出すのは、難しいのでしょう?
 リシャールが迎えに来てくれるまで、わたしはいつまででもお嫁に行かずに待つことが出来ますわ」
 カトレアは意外な強かさを見せつけて、カリーヌを驚かせた。

 再び気を取り直し、カリーヌは考えてみる。
 確かに男爵家の当主なら、娘の嫁ぎ先としては許容できる範囲であろう。カトレアの方も今のままでは嫁がせることも出来ないから、待つというよりは現状維持だ。器量は良くとも病弱な娘では、家格が少々釣り合わなくても、嫁がせるならこちらが頭を下げる方になる。
 カトレアが嫁ぎたいと願った少年は、伯爵家の外孫ではあるが実家は勲爵士の家系で家督を継がない三男だった。娘婿としては想定外の身分でカリーヌもそのままでは賛成は出来ない。
 そう、決して賛成とは言えない。
 だが反対しようにも、カリーヌは筋の通った十分な理由が見つけられないでいた。カトレアは無理を通そうとせず、少年の出世を条件に入れて自分の希望を述べていた。
 理では娘に軍配が上がることを、カリーヌは認めざるを得なかった。

「母様、少し話は変わりますけれど……母様の目から見て、リシャールのことはどう思われますか?
 わたし、他の男の子のことはよくわからないけれど、とても素敵だなと思っています」
 少し赤くなった娘を可愛いと思いつつも、カリーヌはその頭脳の冷静な部分でリシャールを評価してみた。
「そうね、家の格はともかくも……。
 あの歳で竜を喚ぶほどのメイジで、商会の創業者として世間を渡っていくに十分な実力もあり、あなたの病を軽くするほどの知恵を有していて。
 普段の言葉や態度を見れば、見事に自分を律していて礼儀なども弁えているようね。
 頭の回転の良さはエレオノールも誉めていましたし、お父様もお酒を嗜まれる時にお呼びになるほどの入れ込みよう。
 我が儘なルイズも懐いているようですから、人格的にも十分優れている、と。
 ……なるほど、少々出来過ぎな気もしますが、逸材と言っても誇張ではないようね」
「はい、母様」
 娘は誇らしげに頷いた。
「……彼が爵位を得るまで、本当に待つのですね?」
「もちろんですわ。
 でもリシャールなら、意外と早く迎えに来てくれそうな気がするの。
 ふふ、もしかすると、ルイズより先にお嫁に行けるかもしれませんわ」
「そうであれば嬉しいのですが……」
 この時は、エレオノールの婚約がそう遠くない将来に破談になることなど、予想もしなかったカリーヌだった。
「それにしても……。
 カトレア、あなたもいつの間にか、恋をするには十分な成長をしていたのですね」
「それに気付かせてくれたのも、リシャールですわ」
 惚気を返されては、何を言うにも無駄なのだろう。
「その日が来るまでは、お父様には内緒にして下さいましね」
「あなたの治療のためにもね。
 ……いまお父様に話せば、リシャールは出入り禁止になってしまうでしょうから」
「はい、母様」

 不憫な娘に良い夢を見せてくれただけでも、彼には感謝すべきなのだろうか。本当に爵位を得て娘を迎えに来るのなら、それもいいだろう。
 下級貴族が爵位を得ることの難しさは、カリーヌにはとてもよく理解出来ることだった。たとえ伯爵家の外孫である事を前面に一家を立てようと画策しても、そう簡単に行くものではない。同じ様な立場の若者は、数も知れないほどいる。
 だが、先にカリーヌ自身が評したように、家の格を除けばこれ以上はなかなか望めない相手だ。
 可能性は低いだろうが、そこまでして娘を欲するなら結婚を認めてもいい。
 彼は誠意をもってカトレアとの約束を履行した上に、出世競争に勝てる実力を備えていると自らを示したことになる。
 ならばよいでしょう。
 カリーヌは、カトレアが信じる『その日』を静かに待ち、二人を見守ることに決めた。
 現状は、なんら変わることはないのだ。
 ただそれでも、十年先か二十年先か、将来に少し楽しみが増えたのは間違いなかった。







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