ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十四話「夜会」




 園遊会の二日目、王都で目を覚ましたリシャールは、別邸のメイドや従者らにも手伝わせて市場を巡り、香辛料などの調味料を確保した。胡椒などは小壷一つでも結構な値になるが、あるとなしでは大違いなのだ。タルブの醤油のことがちらりと頭をよぎったが、さすがにそれはやりすぎかと自重した。
 午前中一杯走り回ったおかげで一通りの荷が揃ったので、いつぞやのように自身にくくりつけ、リシャールは胡椒壷を抱えたまま王都を後にした。

「アーシャ、お疲れさま」
「きゅーるるー」
 途中に寄った農家で豚に加えて羊まで奮発したのが良かったのか、アーシャはご機嫌である。リシャールは、午後のお茶の時間あたりにはラグドリアン湖畔の公爵家宿営地へと戻ることが出来ていた。
 竜の羽音を聞きつけたのか、ラ・ヴァリエールの従者らがこちらに駆け寄ってくる。
「リシャール様、お戻り次第すぐお顔を見せてほしいと、旦那様より言付かっております」
 何事だろうかと思いつつも、リシャールは彼らに荷を任せて公爵の元に参じた。
 幸い来客の合間だったらしく、すぐに招き入れられる。
「ただ今戻りました、公爵様」
「思ったよりも早かったな。
 手配の方は無事に済んだのか?」
「はい、懇意にしている商人に任せてきました」
 ならばよしと、公爵は頷いた。
「それでな、お主を呼んだ件なのだが、少し頼み事があってな」
「はい、なんでしょうか?」
 無理難題は困るなと思いながら、公爵の顔を見る。
「今日の夜会のことなのだが、お主、エレオノールのエスコート役を引き受けてくれぬか?
 ルイズの方はまだ子供で、その上姫殿下のお側に控えるような話の流れになっているのでな、問題はないのだが……」
 そう言えば、去年の暮れに義姉の婚約が解消されたとは聞いていた。察するに、まだ新しいお相手が決まらないうちに、園遊会の当日が来てしまったらしい。同じ独り身でもせめて入場ぐらいは云々と小声が聞こえたが、リシャールは礼儀を守って聞こえなかった振りをした。
「はい、大丈夫です」
 そのぐらいであれば構わない。リシャールは公爵の頼みを引き受けた。
 リシャールの方でも、領地にいるカトレアを除けば手を取って夜会に誘うような相手はいない。そもそも、直接会話を交わしたことのある高貴な血筋のご令嬢の知り合いと言えば、義理の姉妹かクロードの妹たち、そして別格ながらアンリエッタ姫殿下ぐらいである。
「すまぬ。
 ……外見だけでも、もう少し柔らかく人の目に映ればな。
 あの気の強さ押しの強さは、エレオノールの気高さの源でもあるのだが……」
 下手な返事をすることも出来ず、リシャールはため息をつく公爵をしばらく見守っていたが、筆頭執事ジェロームが次の来客の知らせを持ってきたのに合わせ、部屋から退出した。
 一応挨拶だけでもしておくかと自室には戻らず、メイドに声を掛けてエレオノールに取り次いで貰う。
「あら、戻っていたの?
 昨日は夕方前に王都に向かったと聞いていたから……」
「はい、強行軍でした」
 まだ衣装などを用意する時間には早いのか、エレオノールはテーブルを窓辺に寄せてラグドリアン湖を眺めながら、のんびりと香茶を楽しんでいた。ほどなくリシャールの分も運ばれてくる。
「それでリシャール、何か用事があったのではなくて?」
「あ、はい。
 さきほど公爵様より、エレオノール様の今夜のエスコート役を仰せつかりましたので、ご挨拶に伺いました」
 それを聞いたエレオノールが、びくりと身体を振るわせた。茶器ががちゃりと音を立てる。
 リシャールの方も、地雷を踏んだかと身体がこわばった。
「そ、そうね、是非、お、お願いするわ……」
 勘気を無理矢理押さえつけたのか、エレオノールは真っ赤な顔をしながらも頷いた。
 これは重症だなと、リシャールにさえ思えるので始末が悪い。場には既に微妙な沈黙が降りてしまっていた。

 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。
 ラ・ヴァリエール公爵家令嬢、王立アカデミー勤務、御歳二十四歳。

 ……婚約者、なし。

 ハルケギニアの貴族の令嬢は、大半が十代のうちに婚約者を決める。実際に嫁入りもしくは婿取りをするのはもう少し後になることも多いが、エレオノールは残念ながら数少ない例外になってしまっていた。男性は様々で、若いうちに嫁を娶ってしまう者もいれば、地歩固めを済ませてある程度の地位を築いてから嫁を捜す者もいる。こちらは、若いうちに地歩固めまで済ませて嫁を貰ったリシャールの方が例外だった。
 婚約破棄の主要因には、苛烈と言い換えてもよいエレオノールの気の強さがあったのだろうという公爵自身の所見を、リシャールも聞かされてはいた。それが原因で振られるほどの気の強さかなと少々疑問符が浮かぶが、公爵夫妻を嘆かせてきたこれまでの実績が、それを裏付けている。カトレアに対する時など実に妹思いの優しい姉であるし、リシャール自身も強く当たられたことはなかったのだ。……とても何かを言いたそうなルイズの顔が頭に浮かんだが、ごめんねと心の中で謝っておく。
 実際、エレオノールももう少し心の余裕を持てればよいのだろうが、周囲からの無形の圧力に加え、彼女には自身にも甘えを許さない部分があった。上には王家しかないほどの血筋に加え、頭脳明晰でリシャールから見てもかなりの美人なのだが、責任感の強さや気位の高さが裏目に出てしまっているのだ。
 リシャールもこれらの諸問題を何とか出来る、とまでは思わないが、夜会までには機嫌ぐらいは直して貰った方が良いようだった。
 じっとエレオノールを見つめてみる。
 彼女はまだ勘気を押さえきれていないのか、赤い顔をしたままであった。
「そういえば、衣装合わせなどはお済みになられたのですか?」
 あまりに沈黙が重いので、リシャールは苦し紛れに質問をしてみた。
「……ええ、昨日のうちにね」
 頬杖をついたエレオノールは、はあっとため息をついた。
 どうにも会話が続かない。やれやれである。
 リシャールはもう一度、こっそりとエレオノールを盗み見てみた。
 つり目がちの目に、それを助長するようなデザインの眼鏡。確かに美人ではあるが、やはり気の強そうな印象を受けるか。
 『外見だけでも、もう少し柔らかく人の目に映れば』と語った公爵の気持ちもわからないではない。
 たしかに、外見はきっかけにはなるが……。
 そこまで考えて、ふと思いつく。
 ……眼鏡のデザインを変えるのは、どうだろうか?

 理由も話さず、少しの間お借りしますねと、リシャールは勢いで押し切ってエレオノールから予備の眼鏡を借り受けた。そのまま屋敷の表に出て錬金で入れ物を作り、山盛りの土をそれに入れて部屋に戻ると気合いを入れる。夜会までの時間勝負だ。
 妻であるカトレア以外に装身具を贈るのはどうかなという小さな疑問はあったが、相手は義姉であるし眼鏡は実用品なのだと、自身に言い訳をしておく。それにカトレアとお揃いとは言え、いつぞやルイズにも木彫りのブローチを贈ったことがあった。
「よし、やるか」
 持ってきた土で、まずは指輪を作ったときに作ったような小さなハンマーや机の上で使える金床を作って準備を整えると、リシャールはレンズの複製に取りかかった。
 ガラス自体の錬金は幾度か行ったことがあるし、虫眼鏡を作った経験も役に立ちそうだ。ただ、屈折率がどうの収差がこうのなどと複雑なことまで考えている時間的余裕はないので、ディテクト・マジックを併用して材質だけはなるべく近づけ、後は見本に借りた眼鏡と同じ様な曲面を作っていくことにする。
 リシャールは、本当はよくないがと思いながら借りた眼鏡を分解した。
 レンズ部分を錬金した粘土に押しつけ、型を取る。鋳物と同じ方法であった。流し込むのに適当な物はないかと見回したが、ベッドの枕元に燭台を見つけたので蝋燭を拝借し、早速火を付けて垂れた蝋を流し込む。左右のレンズを上下に分けて型を取ったので、四回の仕事になった。これを後からくっつけるのだ。
 蝋が冷えて固まるまで少々時間がかかりそうだったので、その間に眼鏡の弦を作ることにする。
 こちらは流石に鋼鉄そのままというのも問題かとしばらく考えてみたが、良い知恵が浮かばなかったので、鋼線を数本錬金し、その中に一本だけ、色違いが目立つように銅線を混ぜて緩く螺旋に捩り合わせてみた。
 強度はあまり問題にしない。土の魔法には強化の呪文もあるし、眼鏡はそもそも乱暴に扱うような品物ではない。
 耳掛けの部分だけは一度巻き戻しをして太く作り、掛け心地が多少でも良くなるようにしておく。見本にした眼鏡もその部分だけは少し太く作ってあって、そのことに気付いたのだ。
 迷った末にその上から蝋燭を垂らし、薄い色ガラスでコーティングした。流石にプラスチックはバレた時に言い訳のしようがないので、躊躇われたのだ。
「もう冷えて固まった……かな?」
 そっと型を崩して蝋を外すと、少々歪な部分もあったりするし気泡なども混じっていたが、レンズとほぼ同じ形をした蝋の塊が得られた。上下を張り合わせてから、杖を振って一気にレンズへと錬金する。気泡などはそのままだったが、張り合わせ部分の線を消して目元で合わせてみると、元のレンズとほぼ差のない『歪んだ』視界が得られた。成功のようである。
 早速気泡を埋め、レンズの継ぎ足しを行う。レンズの描く曲線をそのまま延長するように元よりも大きく作り、後ほど削っていくのだ。これらは錬金魔法の真骨頂と言える。想像力がそのまま形になるのだ。
 ただ、これが極めて面倒な作業になった。外観が不自然に見えないように、また、目に合わせたときにも視界が煩くならないように、何度も確かめながら地道に錬金して行かざるを得なかったのだ。魔力消費は極小ながらも、イメージを思い描いて呪文を繰り返すこと数十回、どうにか納得の出来る物が完成した。
 今度はレンズのデザインである。大きく印象を左右するので、こちらも気が抜けない。
 リシャールは、エレオノールの顔を思い浮かべながら色々考えた結果、ハルケギニアでは珍しいがリシャールの知る現代世界ではオーソドックスな、少しだけ上部を大きめにした楕円形のレンズにフレームレスというデザインに決めた。柔らかい雰囲気に見えるよう、大人しいデザインを選んだのである。
 左右でちぐはぐにならぬよう枠を作って慎重にレンズを切り出し、今度は先ほど作った弦と同じ物をもう一つ用意してブリッジ部分を作る。パッドにはレンズと同じ材質のガラスを用いた。
 これで全ての部品が揃ったことになる。残念ながら、弦の折り畳みは出来ない。時間が足りなかったのだ。
「リシャール様、そろそろお支度をおねがいします」
「あ、はい。もう少し待って下さい。
 それから、えーっと……予備のハンカチを一枚用意して欲しいんです。
 あ、もう一つ、食堂でトレイと、それから包丁を研ぐ砥石を借りてきて下さい」
「はい?
 ええ、かしこまりました」
 ヴァレリーが来たと言うことは、もう余り時間は残されていないようである。リシャール自身の準備もまだなのだ。
 しかしまだ、レンズの周囲に砥石をかけて頬あたりを良くする仕上げ作業も残っている。
 砥石が来るまでに仮組を済ませようと、リシャールはブリッジ部分を手に取った。

「お待たせしました、公爵様、カリーヌ様」
 自身の着替えも含めてすべての用意を調えたリシャールは、ヴァレリーを伴って玄関ホールに向かった。
「いや、娘達の用意がまだ出来ておらぬでな。
 ……む?」
「リシャール、後ろのそれは何なのです?」
 公爵もカリーヌ夫人も、ヴァレリーに持たせたトレイに目を向けた。
 トレイにはリシャールが先ほど作っていた眼鏡が載っているのだが、上にはハンカチがかけてあって中身が判らないようにしてあるのだ。
「はい、エレオノール様へのプレゼントです。
 中身はエレオノール様がご登場なさってから、ということでもよろしいでしょうか?」
「あら、それではあの娘が来るまで楽しみにしておきましょうか」
「気が利くのだな、お主は」
 プレゼントをすること自体はラ・ヴァリエール夫妻にも好印象に繋がったようで、リシャールはほっと一息をついた。だが、問題はエレオノール本人が気に入るかどうかということだった。半ば無理矢理押しつけるようなものだから、少々心配でもある。
 ほどなく、姉と妹が連れ立ってホールに出てきた。エレオノールは淡く青い生地に金糸銀糸があしらわれたドレス、ルイズの方は薄桃色でフリルの沢山ついた、エレオノール同様やはり豪華なドレスである。
「お待たせしました」
「うむ、二人とも美しいな。
 ところでエレオノールよ、何やらリシャールが贈り物を用意してくれたらしいぞ?」
「あら、なにかしら?」
 リシャールはヴァレリーからトレイを受け取り、上に被せていたハンカチを取り去った。本当は飾りのついた小箱などを用意したかったのだが、時間の余裕がなかったのだ。
「めが……ね!?」
「はい、先ほどお借りした眼鏡を参考に、エレオノール様に似合うようにと懸命に作りました」
 間違っても、『せめて外見だけでも雰囲気が柔らかく見えるように用意しました』とは言えない。頭と胴体が分かたれて、カトレアを悲しませることになる。
「ほう、器用なものだ。
 流石は土のメイジと言ったところか」
「リシャールって、剣ばかり作ってるわけじゃないのね」
「エレオノール、掛けてごらんなさいな」
「え、ええ……」
 エレオノールは少々戸惑いながらも、眼鏡をリシャールの用意した物に掛け替えた。
「ぶほっ!?」
「お、お……おおお!!」
「……まあ!」
 ルイズは何かを噴きだすほど驚き、公爵は両拳を握りしめて震え、カリーヌは口をぽかんと開けて固まっていた。家族だけでなく、作ったリシャールも驚くほどの変身振りである。周囲に控えたメイドや従者達までもが仕事の手を止め、目を点にしてエレオノールに注目していた。
 エレオノールは目元の険しさが和らぎ、いつもとは全く正反対の、深窓の令嬢を思わせる和らいだ雰囲気を醸し出していた。たれ目がちに見えるように眼鏡のデザインを選んだリシャールの見立ては、どうやら正解のようである。
 しかも、かわいい。
 繰り返すまでもなく彼女は美人であるが、『かわいい』が優先される美人がそこにはいた。余り親しくない知人なら、別人に思うかも知れない。
「えっ!? あの、お父様? 母様!?」
 エレオノールは皆に注目されていることに戸惑っているのか、落ち着かなげな様子でこれまた珍しくおろおろとしており、それがまたかわいい印象を与えている。
「ジェローム! 園遊会後までに絵師の手配を済ませておけ!
 エレオノールの肖像画を描かせるのだ!!」
「エ、エレオノールねえさまが、か、か、かわいいとか、そんな、あり得ないわ……」
「か、鏡を持ってきなさい、今すぐに!」
 家族のあんまりと言えばあんまりな反応に、エレオノールはどうして良いのかわからないほど混乱しているようだった。
「リシャール、す、少し度が合わないみたいだわ。
 残念だけれど……」
 リシャールは、渡すタイミングが拙かっただろうかと、ほんの少しだけ残念に思った。半ば無理に渡そうとしたものであるから、仕方のないことでもある。
 それにしても、カトレアにも今のエレオノールの様子を見せたいものだった。義姉に対しては失礼なことこの上ない想像だが、かわいいもの好きなカトレアのこと、きっと両手を叩いて喜んでくれるに違いない。
 だが、エレオノールのとまどいは更に増したようだった。
 震える手で眼鏡を外そうとした彼女だが、カリーヌの手がさっと伸びてそれを止める。
「エレオノール、いけません。
 ……貴女は気付いていないかも知れないけれど、その眼鏡には魔法がかかっているわ」
「カリーヌ様!?」
 これにはリシャールの方が驚いた。
 弦の強度を増すための強化魔法は確かに使ったし、そもそも材料は錬金で作りだした物である。しかしカリーヌの言い様は、マジックアイテムに対するそれだった。もちろんのこと、この眼鏡には特別な機能は何もついていない。
「少なくとも、今夜の夜会はそれをずっと身につけておいでなさい。
 視界が良くなければ、リシャールの袖でもつかんでいればよいでしょう」
「母様、あの……」
「よいですね、エレオノール?」
「は、はい母様」
 嘘も方便。
 カリーヌの一声で、エレオノールは夜会が終わるまで眼鏡を外すことを禁じられた。

「ラ・ヴァリエール公爵家ピエール様、カリーヌ様御入来!」
 会場について馬車を降り、呼び出し係の口上が聞こえてくる頃には、どうにかエレオノールも気を落ち着かせていた。
 リシャールが用意した眼鏡は本当に度があっていなかったらしく、のぞき込んだ鏡にはぼんやりとした自分しか見えなかったので、余計に不安だったのだそうだ。
「では行ってくる。
 リシャール、エレオノールを頼んだぞ」
「はい、公爵様。
 ……さあどうぞ、エレオノール様」
 公爵夫妻を見送ってから、リシャールは腕を差しだした。……とは言っても、馬車を降りてからはぎゅっとマントの裾をつかまれたままである。
「リシャール、やっぱりあの、その……」
「大丈夫ですよ、エレオノール様。
 お気づきではなかったと思いますが、先ほどだって、馬まわりの従者から警護の騎士まで、皆エレオノール様に見惚れておりましたよ」
「ええっ!?」
 本当のことだった。
 騎士達は小さな声で美しいだの可憐だだのと口走っていたが、それらはエレオノールの耳に届いていなかった。ルイズが皆と別れて姫殿下の控え室へと向かったことにも、気付いていなかったようである。
 普段は隙のない彼女だったが、今もまだ不安が先に立っているようで、それが気弱の原因になっているのだろう。
「セルフィーユ子爵家リシャール様、ラ・ヴァリエール公爵家エレオノール様、御入来!」
 自分の呼び出しが聞こえた。少し強引でもよいかと、リシャールは腕に力を込める。
「さあ、参りましょう」
「あ、ちょっと、リ、リシャール!」
 リシャールは未だにぐずるエレオノールを引きずるようにして、会場へと足を踏み入れた。
 今日は舞踏会ではなく立食なども組み込まれた普通の夜会であり、二週間に渡る園遊会で一番初めに開催される大夜会とあって、あまり堅苦しいものではなく自由な親善交歓が主題にされていた。
 そして、エレオノールには特に重要なことでもあるが、独身の貴族にとっては、その後に開かれる舞踏会のお相手を捜す良い機会なのだ。
 もちろん、入場直後からエレオノールは明らかに視線を集めていた。

「こちらの美しい人はどなたかね?」
「御名をお聞かせ願えませぬか?」
「明後日の舞踏会のお相手はもうお決まりか?」
「その栄誉は是非ともこの私に!」
「えっと、あの……」
 半刻も経過する頃には、幾人もの男性から名を聞かれ名を聞かされしていたエレオノールだったが、これまでそういう経験がなかったのか、はたまた普段の夜会で声を掛けられたのとはひと味もふた味も違う男性陣の態度に困惑したものか、未だに自信なさげな態度であやふやな受け答えを繰り返していた。それがまた男性陣の保護欲をかき立てるのだろう。男達は後から後から増えた。
「『義姉上』、何かお飲物でもお持ちしましょうか?」
 エレオノールはずっとリシャールの服の裾をつかんだまま、離さなかった。
 当然ながらエレオノール目当てでやってきた男性陣は、リシャールにこの若造はなんだという視線を向ける。その度に言い訳するのだが、いい加減、『自分は義弟です』と繰り返すのもかなり面倒になってきたリシャールは、エレオノールを義姉と呼ぶことで、面倒な詮索をかわそうと努めた。
「リシャール、だめ!」
 子供じゃないんですから『だめ』はないでしょう……とは返せなかった。エレオノールは本当に不安そうだったのだ。
 視界もぼんやりとしてよく見えず、人々の反応もいつもと違うとあって不安が不安を呼び、一種のパニックを起こしているのかもしれない。このあたりで一度休憩をはさんだ方がよいようだった。
「そう言えば義姉上、まだ王后陛下へのご挨拶とお祝いが済んでいませんでしたね。
 人も引けているようですし、いっしょにお伺いいたしましょう。
 ……皆様方、少しだけこの場から離れることをお許し下さいませ。
 さあ、義姉上」
「え、ええ、そうね……」
「では失礼いたします」
 王家の名を拝借した不敬を内心で詫びつつ、リシャールはエレオノールの手を取ってその場を抜け出した。

 夜会はまだ続けられていたが、リシャールは当初の予定通り、それほど遅くない時間に公爵一家に付き従って会場を後にした。ルイズは姫殿下と夜話を楽しむらしく、向こうにお泊まりをするとのことで、帰りの馬車に乗っているのは四人だ。
「あなたもご苦労でしたね、リシャール」
「うむ。……そうだ、エレオノールの様子はどうであったか?」
 やはりエレオノールは相当に疲れていたのか、既に寝息を立てていた。受け答えをするのはリシャールにならざるを得ない。
「はい、終始引きも切らない男性陣に囲まれていらしゃいました」
「そのあたりは遠目に見ておったが、お主の目から見てどうであった?
 エレオノールの目に適いそうな良人は居たか?」
「そうね、わたくしもそれが気になります」
「ずっとお側におりましたが、特定の男性に、特別なお返事をされるようなことはありませんでした」
「そ、そうか……」
 少し落胆した様子の公爵夫妻だったが、エレオノールに注目が集まっていたことには変わりない。
「そう言えば、マリアンヌ王后陛下とアンリエッタ姫殿下の元にご挨拶に伺った折ですが……」
「うむ?」
 エレオノールは最初気付いて貰えず、リシャールはリシャールで『こちらの美人はどなたです? もう浮気をなさっていますの? カトレア殿に言いつけますよ』などとアンリエッタ姫から半ば本気で怒られもしたが、側にいたルイズに袖を引かれて連れているのがエレオノールだと気付いた姫君は、目を丸く見開いて固まってしまった。
「お二方も大層驚かれていたご様子でしたが、口々にエレオノール様の美しさを讃えられまして、それがまた噂を呼んだようですよ」
「あなた」
「……これは期待をしてよいかも知れぬな」

 翌日、ラ・ヴァリエール家の宿営地には、指輪などの装身具からドレス、宝飾品、詩篇など、エレオノール宛の恋文を添えた贈り物が山のように届けられ、時ならぬ春に公爵夫妻を歓喜させた。






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