ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十一話「義姉(前)」




 別邸を買ってほぼ一月、そちらの方は十分役立つようになってきていた。兵舎はそのまま宿舎として解放したので、兵士達との雑魚寝にはなるが無料で王都に泊まれるとあって、商人達だけでなく観光目的の領民達が殺到した。 
 リュカなどは新たに幌馬車を手に入れて、リールまでしかない駅馬車とは別に格安の長距離旅客便の商売を始めたほどである。ゴーチェやダニエルなども、時折村で馬車を仕立てて便に相乗りをする始末だ。おかげでリシャールの方も、護衛の人数を増やさなくてはならなくなった。流石に十台近い馬車に数人の護衛では、少し心配だったのだ。
 他にも、メイドや従者として働いていても、半分は仕事であるが王都に行けるとあって、ヴァレリーが人選に困るほど希望者が出ているらしい。
 そして今、リシャールはその件でヴァレリーからお小言を貰っていた。
「これは少々やりすぎですわ、リシャール様」
「そうなのですか?」
「兵士やメイドはともかくも……いまは苦情など出ておりませんが、お屋敷街に平民が沢山集まるなど、必ず問題にされます。
 それに別邸とは言え、領民がこうも簡単に出入りできるようでは、御家の品格が疑われますわ」
「うーん、でも、評判もいいですし、今更駄目とは言いにくいんですよね」
 当然であるが、領内に限って言えば、非常に評判が良かったのだ。ただ、ヴァレリーの言うことももっともである。自分も従者としての視点で考えるならば、余りいい顔は出来ないだろうとリシャールも思った。
「もしもどうしてもと仰るのなら、別邸とは別にもうひとつ、領民向けの宿舎か何かを用意される方がよろしいかと思います」
「それがいいですね、そうしましょう。
 別邸の方が思ったよりも安く上がったので、問題ありません」
 翌週、リシャールは再び王都を訪れてヴェイユに相談し、商業地区に比較的近い場所にあった裏通りの元宿屋を買い取って宿舎とした。
 リュカなどは開設当初から月極めで部屋を借り切り、リシャールの方でも役人を交代制で常駐させていたが、しばらくして、以前よりも頻繁になった王都との連絡線が維持費以上に利益になることが判明し、結果、この宿舎はセルフィーユの王都商館へと発展することになる。

 刃鋼の販売に端を発した諸々の事柄はこれで概ね落ち着いたが、リシャール自身は来月に予定されている園遊会、処理しても処理してもすぐに増える書類、産まれてくる子供の為の準備などに追われていた。
 今格闘している相手は、新村ラ・クラルテの資料と報告書だった。ラ・クラルテは今年に入ってから人口の急激な増加に対応して開村したばかりであるから、色々と不都合も多いのだ。
 それらを片付けながらも、合間には来客やその他の諸事に追われるのがリシャールの日常である。
「確かに『育てて売る』と言う意味での養殖には至っていない。
 けれど、荒天でも魚が市場に出せるようにはなっている……と」
 流石にリシャールもその他の漁民にも、卵や稚魚から育てた魚を売るような技術も知識もなかったが、生け簀は生け簀で機能しているようだ。先日の様に、リシャールが『魚が欲しい』と言えば、種類は限られるが天候に関わらず良い物から選んですぐに届けられる。
 領内で一番海から遠いドーピニエでも荷馬車で二、三時間程度の距離であるから、鮮魚は元から領内でも流通はしていた。それでも距離の問題があるので、それこそ竜籠かフネ、そして専属の水メイジでもいないと他領への輸出には厳しい。今後の課題としては、なるべく少ない手間と費用で商圏の拡大を見込めるように努力したいところだった。沿岸の街や村ではそれこそ二束三文、いや、三ドニエのイワシも、新鮮なままに内陸部へと売ることが出来れば、その価格は十倍二十倍でも売れるだろう。
 大都市が相手ならば、現に竜籠とメイジを雇い入れても利益が出ることは、リシャールも承知している。貴族や裕福な商人など、舌が肥えていて財力もある人々が集住しているからだ。
 但し、大抵の場合は専門の運び屋と店が結託して販路までを押さえているので、新規の参入は難しい。かと言って都市部を外れると、今度は採算があわない。
「もう一押し、なにかあればいいんだけれど……」
 輸送や保存の方法は幾らでも思いつくのだが、どれも赤字に直結しそうで具体的な案はなかなか出てこなかったのだ。家臣や領民にも考えがあれば伝えるようにと、それなりに根回しさえしてある。
 まあでもしばらくは保留かなと、リシャールは魚についてのあれこれを頭から追い出して次の案件に取りかかろうとしたが、メイドが入室してきた。
「旦那様、ご実家よりお手紙が届いております」
「うん、ありがとう」
 何だろうなと少々不思議に思いながらも、リシャールは手紙を受け取った。カトレアの懐妊を知らせた手紙の返事は既に受け取っていたからだ。裏書きを見れば、長兄リュシアンからのようである。
「あー、う−ん、これは……」
 読み進めたリシャールは、頭を抱えた。
 手紙には、長兄が結婚をしたい旨と、その相手がアルトワへと送り出したミシュリーヌであることが記されていたのだ。

 これは一大事とマルグリットに事情を話し、彼女を連れて屋敷に戻ったリシャールは、カトレアらを集めて長兄からの手紙について報告した。詳しい話はこちらへと来る予定の兄たちが到着してからになるが、それでも話し合いをしないわけにはいかないのだ。
 ミシュリーヌはギーヴァルシュ以来のつきあいであるし、兄自身も一度セルフィーユに来てその真面目な人柄や能力を知られていたから、結婚自体についての反対意見は出なかった。雇用主であるリシャールが是とするならば、ヴァレリーらが特に何を言えるものではない。
「少し寂しくなりますけれど、リュシアン様ならばお相手としては間違いのない方ですものね」
「まさか、ミシュリーヌちゃんに先を越されるとは思いませんでしたけれど……」
 マルグリットにせよヴァレリーにせよ出身はアルトワであったから、伯爵家の執事、筆頭重臣、筆頭侍女、領軍司令官などの要職全てを一族で占めているラ・クラルテ家に嫁入りするということが、どれほどの出世かということは十分に知っていた。この点は、リシャールの方が理解していないほどである。
「でもいいの、リシャール?」
「ん?」
「セルフィーユ家にとっても大事な人であるのでしょう?」
 カトレアはミシュリーヌに会ったことがないので、この件に関しては一般論に傾きがちであった。兄の方とは、結婚式前後にいくらか話をしていただろうか。
「もちろん大事だよ。
 でも、以前エルランジェのお爺様に、無理を聞いて貰ったことがあってね。
 今度の場合、引き抜かれるのはうちの方になるんだけれど……僕が折れるだけで丸く収まる」
 リシャールとしては、残念ではあるが止められない、寿退社のようなものかと受け止めている。それに相手は兄であるから、無理を強いられた結婚と言うこともないだろうと軽く考えていた。気持ちの上でも、それぞれに大事な二人が一緒になる幸せの邪魔などしたくはない。
「それに寂しくもあるけど、僕としては兄上のお嫁さんにミシュリーヌというのは、実家の安泰にもつながるし、とても安心できることでもあるんだ。
 真面目な兄上のことだから、きっとミシュリーヌのことも大事にすると思うしね。
 ……あー、それと手紙に書いてあったもう一点、身分の差についての話は兄上たちがこちらに来てから、改めて話をすることにしよう」
 そりゃあ、余所の誰かだったらごねてたよと、同じテーブルを囲んでいる女性陣に対してリシャールは肩をすくめて見せた。

 数日後、兄とミシュリーヌに加え、アルトワ伯爵家で筆頭重臣をつとめるはずの祖父ニコラまでもがセルフィーユにやってきて、リシャールを驚かせた。手紙には、兄たちの訪問は書かれていたのだが、祖父のことは一言も記されていなかったのだ。
 歓迎もそこそこに、まずは面倒ごとから片づけるべしと言う祖父に押し切られ、リシャールは執務室に案内した。兄とミシュリーヌは、別室にてヴァレリーらに歓待されている。
「お爺様までいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
「うむ、視察も兼ねてということで、伯爵様より特別にご許可を頂戴したのだ。
 伯爵様は貸し主でもあられるからな、ご心配とまではいかなくとも気にかけておられる」
「ありがたいことです」
 祖父はラマディエの方角にわずかながら目を向けた。
 二階の窓ならば小さく大聖堂も製鉄所の煙突も見えるが、一階にあるこの部屋からは、残念なことに石造りの壁と庭木しか見えない。
「……リシャールよ」
「はい」
「伯爵様からは、この件についての一切を任せるとのご許可はいただいた。
 後はお前の返答次第ではあるのだが……」
「あ、はい、大丈夫です。
 兄上の幸福とミシュリーヌの幸福が重なることは、よいことだと思います」
 先日話し合った通り、リシャールの方でも快く送り出すことに決めていたから、返答に迷いはない。
「……それだけか?」
「はい?」
 祖父の目が厳しくなった。
「特にありません。
 むしろ、良いことだと思いますが……」
「例えば?」
「兄上のことは家族ですからもちろんよく知っていますし、ミシュリーヌの方も、送り出す前の一年余りで十分に信用のおける優秀な子だということはよくわかっています。
 ラ・クラルテの……実家の跡継ぎである兄上のお嫁さんが、きちんとした人であることは、とてもよいことだと思うのですが……?」
 リシャールは首を傾げた。祖父の目はますます厳しさを増していった。
「馬鹿者、そういう話ではないのだ。
 彼女はメイドとはいえ、重臣にも等しい扱いの家臣と聞いておる。
 それをこうも簡単に手放すものではない」
 怒った祖父は中身が年を重ねているリシャールでも、やはり恐い。いつ以来だろうかと考えながらも、リシャールは首をすくめた。
「それを見た他の家臣がどう思うか、よく考えて見よ。
 扱いの軽さと見て、人心が離れるきっかけにもなるのだぞ?」
 なるほどそうも見えるのかと、改めて考えてみる。
「お爺さま」
「どうした?」
「兄もミシュリーヌも、それぞれに大事な二人です」
「うむ」
「それに……人の心は縛れるものではありません」
 人心の掌握については、リシャールも思うところがないわけではない。ただ、彼の考える現代日本企業の雇用者に対しての人心掌握と、ハルケギニア世界における家臣や領民に対してのそれは、決して同じものではなかった。
 ふむ、とニコラは椅子の上で姿勢を変えた。
「そうではあるな。
 今のことも……そうではあるがリシャール、お前に少々聞いておきたいことがある」
「はい」
「お前はアルトワにいた頃から、とかく我を押さえ、周囲に合わせようとする態度が目についておった。
 無論、それは決して悪いことではない。
 だが、それも少々度が過ぎておるのではないかと思うのだ。
 ……わしもエルランジェの伯爵様より届いた報告書をクリストフ様より渡されて、目を疑ったわ。
 一言で言えば……領民に対する過保護が過ぎる」
 視察に来たと言いつつも、既に大体のところは把握されているらしい。
「領民に畑を貸し船を貸し職を与える、これらはまあ良い。
 税を下げるのも、裁量の範疇ではあるな。
 しかし、王命による街道の整備には苦役も課さず、更には十分以上の賃金が支払われておる。
 他にも、新領民にはただ同然で集合住宅を貸し与え、あまつさえ職の斡旋までお前が率先して引き受けておるそうではないか。
 城は難民の引受先ではないぞ?」
 さあ、どう答えるのだとばかりに、祖父はリシャールをにらみつけた。





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