ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第五十九話「王都別邸」




「やれやれじゃったな」
「ええ、でもきちんと引き取っていただけましたから、よかったですよ」
「じゃがリシャールくんの言う『王宮の偉い人』が、宰相閣下だとは思わなんだよ。
 いよいよもってリシャールくんも大物じゃな」
「あー……マザリーニ猊下の他に思いつかなかったんですよ」
 セルジュがセルフィーユへと来訪して数日後、リシャールは彼と共に王都へと足を運んだ。セルジュもいるので子爵家で馬車を仕立てての旅となったが、無論アーシャも同行している。彼女は馬車を守るように上空を飛んでいたが、お喋りが出来なくて退屈だったのか、王都に着く頃には機嫌が悪くなっていた。後でパイかケーキでも買って帰らねばなるまい。
 マザリーニ枢機卿から刃鋼の取引について一筆を取り付けた二人は、王国の兵器工廠へと向かった。長い交渉の末に、十二万リーブルの刃鋼を六万五千エキューで内密に取引して貰うことに成功した。それでも彼は買い叩かれたと悔しがっていたが、リシャールの方は概ね満足していた。取引額の内の二割は運送費用込みのセルジュの取り分で、少々多めにしてある。
「しかし、あの金額で良かったのかね?
 わし一人なら突っぱねておったところじゃ」
「ちょっともったいない気はしましたけれど、今はお金の方が必要なんですよ。
 これを元手に、大砲の製造に乗り出します」
 セルジュは一瞬だけ考える素振りを見せた後、うむと頷いた。
「なるほどのう。
 そちらに手を着けるのが早くなれば、自然、投資の回収も早くなるというわけじゃな」
「はい、何とか無事に乗り切りたいものです」
 リシャールはセルジュへの気安さもあって、ふうとため息をついて見せる。
「そう言えば、この後はどうするのかね?」
「そうですね、今回は時間もありますし、別邸を探してみようかと思っています。
 王都内で適当な物件を探すか、少し不便でも郊外で広い場所を探すか、悩みどころなのですが……」
 もしも王都内で選ぶなら、最低限子爵家の面子が立って、アーシャの寝床が設置出来る広さは必要だ。贅沢を言えば、王都行に同行する兵士達が全員寝泊まりできる数の部屋も欲しい。
 郊外にすれば、屋敷の大きさと敷地の広さの方の制約はほぼ無くなる。あとはリシャールが必要な建物を建ててしまえばいいだろう。
「ふむ、わしの知り合いで良ければ、不動産屋を紹介しようか?
 貴顕の方々からわしの様な商人までを相手にしておる店じゃから、それなりに大きな屋敷まで扱っておる筈じゃよ」
「お願いします。
 こちらにいる知り合いの誰かを訪ねて、聞いてみようかと思っていたんですよ」
 リシャールの王都での知り合いで不動産屋の事を尋ねられそうな人物と言えば、祖父エルランジェ伯、次兄ジャン・マチアス、魅惑の妖精亭のスカロン・ジェシカ親子ぐらいしかいない。
 もちろん、彼らが不動産屋と懇意にしているかどうかまではわからないので、セルジュの申し出は渡りに船だった。

 セルジュが御者に告げた行き先は、王都でも一番賑わいを見せるブルドンネ街だった。さっきまで居た庁舎の並ぶ街区からは、さほど離れていない。
「おお、ここじゃよ」
 セルジュの示した不動産屋は、作りは良さげだが見た目は地味な建物で、一見して店らしい雰囲気ではなかった。しかし、こんなものかなともリシャールは思う。即決で買うような客も居ないではないだろうが、仕事柄、落ち着いた雰囲気での商談が要求される不動産屋とは、こういったものなのだろう。
 セルジュに先導されて中に入ると、四十絡みの主人らしき人物が立ち上がり、二人を出迎えた。
「おお、セルジュ様ではありませぬか。
 毎度のお引き立て、ありがとうございます」
「ヴェイユ殿もお元気そうで何よりじゃ」
 そちらの若様もさあさあどうぞと、勧められるままにソファへと腰を下ろす。
「本日は、どのような御用向きでしょうか?」
「うむ、こちらのセルフィーユ子爵閣下が、王都での別邸をお探しとの事でな。
 わしはまあ、おまけじゃよ」
「リシャール・ド・セルフィーユです。
 今日はよろしくお願いします」
「ヴェイユと申します、子爵閣下。
 こちらこそ、良き出会いに感謝いたしますぞ。
 しかし、そういうことでありますなら、私も張り切らねばなりませんな。
 早速ですが、ご要望をお聞きいたしてもよろしゅうございますかな?」
「ああ、その前に、少し迷っていることがあるのですよ。
 専門家である、ヴェイユ殿の意見もお伺いしたいのです」
「ほう、如何様なことでございましょうか?」
 利便性を取るか、拡張性を取るか。
 リシャールは、王都内か王都にほど近い郊外か、まずはそこで迷っていることを正直に話した。
 余り贅沢もできないが、領地と王都を定期的に行き来する荷馬車の便もあるのでそこそこの広さも欲しい。しかし、予算の都合もあるので無理もできないと続ける。
「なるほど……。
 しかし、そういうことであれば、王都内の物件をお選びになるのがよろしいかと存じます。
 利便性という目に見えない利点は、とても大きいものでございますよ。
 商人を定期的にお連れになるのでしたら、そこは特に大きくなりましょう」
「わしもその意見に賛成じゃな。
 商売柄、店は王都内の中心に近い場所に構えておる。
 じゃが、大きい倉庫は別にしておるよ。
 必要なら、また別に借りるか買うかしても良いと思うんじゃ」
「なるほど」
 同行の商人達への利便性もさることながら、王宮への伺候や、付き合いのある祖父や義父の屋敷との往復に毎回数倍の時間がかかるとすれば、これは無視しえるものではない。その分価格も跳ね上がるのでそこも迷い所ではあったのだが、これは口には出さなかった。
「では……うん、王都内で、ということに決めます。
 それで、まだ幾つか条件があるのですが……」
 リシャールは、竜が飼える広さを有していることが最低限の条件で、可能ならば、子爵家の家格に見合う物件であり、使用人や兵士の使う別棟などが充実していると嬉しいと希望を述べた。
「私一人なら、それこそ雑貨屋の二階でも間借りすればいいんですけれどね」
「はっはっは、雑貨屋の二階で竜と同居というわけにもいきますまい。
 お任せ下さい閣下、良い物件が幾つかあります」
「ほう、あるのですか?」
 即答するヴェイユに、大したものだなあとリシャールも身を乗り出した。彼は後ろの棚から書類入れを取り出し、中身を確かめて机の上に広げた。
「まずはこちら。
 大商人の別邸として建てられたお屋敷でございます。
 少々王都の中心部からは外れておりますが、その分、値段の割に広い敷地を有しておりますな。
 それに倉庫街にも近いので、ご商売のことを考えるならば、最適かと存じます」
「うむ、わしの店の近所じゃのう」
 セルジュは地図を見ながらそう言った。確かに近いようだ。
 倉庫街に近いのはありがたいが、もう少し中心街や王宮に近い方がいいかと、リシャールは思った。商人達のことも無視できないが、自分自身の利便性も考慮しておきたい。
「次にこちら。
 お屋敷街でも一等地に位置しますこちらの物件は、特に建物自体が由緒のあるものでして、舞踏会も開ける大ホールが自慢のお屋敷にございます。
 その為、馬まわりや使用人まわりの設備も充実しておりますな。
 お庭も立派なものですし、少々お値段は張りますが、社交界を重視されるなら最高にお勧めのお屋敷です」
 別棟なども大きなものを有しているようだ。宮廷政治家を志すのならば良い物件かも知れないが、これは少し、リシャールの希望とは外れる。価格も前者以上だろう。
「そしてもう一つ、こちらは先日、さる貴族様がご高齢を理由に軍務を退かれましてな、領地にお帰りになられるとのことで、必要のなくなった王都のお屋敷を手放されましたのです。
 前の二つに比べて大きさは少々小さいながらも、練兵場まで備えたお屋敷で、立地もほど良く手入れも行き届いております」
 一等地ではないが、王宮からも遠からず、繁華街や商業地区にもほど近い。確かに良いなと、リシャールは思った。しかし、練兵場までついてくるとなると、結構な広さだろう。こちらも金額はそれなりになる違いない。
「いかがでございましょうか?
 それぞれに特色のある物件でございますから、もしおよろしければ、直接ご覧になられますか?」
「そうですね、お願いします」
 三番目を本命に据え、とりあえずは見てからに決めようと、リシャールは考えた。

 一つ目の商人の別邸とやらは、成金趣味に過ぎた建物で却下した。同行のセルジュも、ちょっとこれはのうと苦笑いしていた。ちなみに価格は六千エキューで、確かに大きさ広さの割には安いようだ。
 二つ目の一等地のお屋敷は、立派すぎたので見るなり辞退した。敷地はともかく、建物自体は下手をすれば義父の持つ別邸に匹敵しそうである。価格の方も一万五千エキューと、屋敷に見合う堂々たるものであった。
 そして今目の前にあるのが、三つ目の物件である。リシャールだけでなく、ヴェイユの方でもこれを本命としているようだった。
 外観は悪くないなと、リシャールは思った。正面の屋敷はアルトワの実家と大して変わらない大きさで、それなりに時代がかっているが許容範囲である。
 中にまわってみれば、小さな砦か駐屯地のような感じを受けた。前庭などもあるにはあるが、屋敷の方がおまけなのではないかと思わせる作りで、前の持ち主はどうにも実用一辺倒であったようである。壁は返しを備えた石作りで、物見櫓まであるのには苦笑した。
「本館は部屋数が八つとそれほど大きな建物ではありませんが、別棟と兵舎もありますので、お付きの方々が少々増えても大丈夫でございますよ」
 使用人用の別棟はともかく兵舎まで付属しているのでは、本当に駐屯地のようだ。屋敷の裏手に回ると裏庭の代わりに二十メイル四方ほどの小さな練兵場があり、それを囲むように別棟、兵舎、厩舎が並んでいた。
「これでも大きすぎると言えば、大きすぎるかなあ」
「これより小さいとなりますと、普通の屋敷とそう変わらないものになりますな。
 もちろん数も種類も豊富ですが、子爵家別邸としての格式には少々遠くございます」
 ヴェイユは律儀に礼をして見せた。
「リシャールくん」
「はい」
「下世話なことを言うようじゃが、この練兵場はいいのう」
「はい?」
 戦については素人の筈のセルジュがそんなことを言い出したので、リシャールは不思議に思った。
「これが庭園じゃとすると、維持費はかなりのものになるじゃろうが、練兵場にしておけば地均しだけで済むからのう。
 わしは商人という手前そんなものを敷地に作るわけにいかんが、リシャールくんならば理由も立つじゃろうて。
 わしも見栄を張らねばならん場面は多々あるんでな、少し羨ましいかのう……」
 なるほど、納得である。連綿と続く軍人貴族達が編み出した知恵かも知れない。装備に維持費にと、軍人は何かと金がかかるのだ。
「これで四千エキューでございますれば、破格と申し上げて良いでしょう」
「四千!?
 これはまたえらく安いですね?」
 前二者と比べてもかなり安いので、リシャールは驚いた。
「あー、そのですな、立地も敷地の広さも申し分ありませんが、昨今の流行からはいささか外れておりまして……。
 飾り気のないお屋敷でありますので、今風の装飾にしようとなされば更に改装費も嵩みます。
 ゆえにこの金額とさせていただきました」
 ヴェイユは、頭を掻きながら値付けのからくりを説明した。セルジュは面白そうな顔をリシャールとヴェイユに向けている。
 リシャールはヴェイユの言葉も勘案しながら、目の前の屋敷について考えてみた。
 郊外ならば同じ値段でここより広くて立派な屋敷も買えようが、王都内でこの広さを確保出来て立地も良いとなれば確かに良い物件かもしれない。内装は取り払われていたが中身も痛んではおらず、兵舎などは二段になったベッドがそのまま残されており、大きな改装など行わずとも実用に供するには十分であった。セルジュの言葉を考えれば、維持費も安く済むようだ。
 流行などは元々あまり気にしない方であったし、ハルケギニアに生を受けて十余年、多少は慣れもしたが正直言って、こちらの美的感覚はよくわからない部分も多かった。リシャールにしてみれば、大ざっぱにくくれば全部が全部『昔のヨーロッパ風のお屋敷』である。
 それに、前の持ち主ではないが、リシャールにも実用優先の気は多々あった。その事に気付いてくすりと笑う。
「うん、ここに決めます」
「おお、ありがとうございます」
 ヴェイユは実に商人らしい笑顔をリシャールに向け、再び一礼した。

 その後セルジュと彼の付き人達を店まで送り届け、ヴェイユには翌日の訪問を約束して僅かながら手付けを渡し、不動産屋の事務所を出る頃にはもう夕方に近くなっていた。
 今日の宿も、いつもと同じく魅惑の妖精亭である。
 先ほど買った屋敷は貴族街にあるので少々離れているが、散歩も兼ねて飲みに行くには丁度良い距離だなあと微苦笑する。
 別邸の維持費は、新しく雇い入れる人数にもよるが目くじらを立てるほどでもない筈だった。執事にメイド、合わせて数人を雇えば大丈夫だろう。兵士の方は、王都行きの度に交代させればいい。王都に行けて手当も出るとあって、王都往復の護衛は領軍兵士には人気の任務であった。
「あ、リシャールちゃんお帰りなさい」
「ただいま、ミ・マドモワゼル」
「あらあら、随分と楽しそうね。
 何か良いことでもあったのかしら?」
「取引が無事に済んでほっとしてるんですよ。
 それに別邸も買ったんで、ちょっと浮かれてる……かなあ」
「いいじゃないの。
 楽しいときは楽しくするものでしょう?」
 スカロンに微笑まれ、それもそうかとリシャールは頷いた。
「僕の食事は部屋の方にお願いします。
 うちの皆の分は、飲みたい人も多いでしょうから合わせてやってくださいね」
「ええ、いつも通りね」
「はい、お願いします」
 うーんっと伸びをしてスカロンに後を任せると、兵士や従者達を従えてリシャールは二階へと上がった。

「失礼しまーす!」
「えっと、失礼します……」
 リシャールは、別邸についてあれこれ考えながらのんびりとしていたが、扉がノックされて食事が運ばれてきた。もちろん、リシャールの担当はジェシカなのだが、今日はもう一人、見慣れない少女がジェシカを手伝っていた。
「こんばんは、リシャール」
「うん、こんばんはジェシカ。
 えーっと、それから……」
 歳はリシャールやジェシカと同じぐらいだろうか、彼女と同じく黒い髪をしている。ジェシカと違い、魅惑の妖精亭の衣装は身につけておらず、ワンピースの上からエプロンをつけていた。
「あたしの従姉で、シエスタよ。
 用事のついでに、今日はうちに遊びに来てくれたの」
「はじめまして、シエスタです」
 少々緊張しているらしい。
 多分、恐らく、きっと、リシャールについて、ジェシカからいらないことを色々吹き込まれているに違いない。
 案の定ジェシカの方を見ると、にやにやとしていた。
「よろしくね、シエスタ。僕はリシャール。
 ジェシカにもスカロンさんにも、大変お世話になってるんだ」
「あら、最近はうちの方がお世話になってるんじゃないかしら?
 毎回大人数で泊まってくれるものね」
「持ちつ持たれつ、だよ」
 そんな事を話す間にも、ジェシカとシエスタはてきぱきと皿を並べていった。
「ジェシカ、今日のはちょっと多くないかな?
 僕一人だと食べきれないよ」
「うん。
 あたしとシエスタの分も入ってるから」
 そう言って、ジェシカはにんまりと笑った。これがやりたかったらしい。まあ、いつものことかと苦笑する。
「今日はね、新作の料理があるのよ。
 リシャールの意見も聞かせて。
 自信作よ」
「それは楽しみだね。
 じゃあ、冷めないうちに食べようか」
「そうね」
 ジェシカにワインを注いでもらい、三人で乾杯する。
 リシャールに対するジェシカの傍若振りに、最初はあわあわとしていたシエスタだった。だが、リシャールの方が取り立てて気にしていない様子なので、多少警戒心を緩めてくれたようだ。今は、ワインは一杯でやめときなよなどとジェシカにからかわれて、ぷっと膨れている。
「あの、リシャールさんって、貴族様なんですよね?」
「うん、一応ね」
「いいんですか、その……」
 シエスタの言いたいことは、リシャールにもわかる。
「大丈夫、ジェシカはきちんと弁えてくれているよ。
 もちろん、スカロンさんもね。
 ……商売柄のせいか、人との距離感を計るのが絶妙なんだよなあ」
「あら、ありがと」
 ふふん、とジェシカは笑った。
「ね、このお皿なんだけど、どうかしら?」
「ジェシカの自信作か、どれどれ」
 皿の上には、細かく刻んだ香草や玉葱などが混じった茶色っぽいソースと、薄くスライスされた炙り肉が並んでいる。
 リシャールは肉にソースをからめ、一切れを口元に運ぼうとしたが、その香りに驚いた。
 明らかに、醤油のそれであったのだ。
 内心の動揺を抑え、口の中に入れる。間違いなく醤油味だ。
 麦飯を食べた時もそうだったが、舌だけは未だに前世から切り離されていないらしい。
 何年振りだろうなと、郷愁をそそる味と匂いに半分泣きそうになりながら、皿の上の肉をもう一切れ口にする。
「……おいしいなあ。
 この、し……味もいいけど、独特の香りもいいね」
 リシャールは危うく『醤油』という単語を口にしそうになったが、何とか自制心を働かせた。
「でしょう!
 お父さんにはあんまり評判良くなかったんだけど、あたしもこれは絶対に美味しいと思うのよね。
 あ、そうそう、これはね、シエスタがお土産に持ってきてくれたソース・ドゥ・ソージャを使ったソースなのよ。
 村の特産品なのよね、シエスタ?」
「特産品?」
「はい、村では単にソーユって呼んでますけど……うちの亡くなったひいお爺ちゃんが作り始めて、いつの間にか村に広まったそうなんです。
 でも、あまり大評判ってわけじゃなくて、細々と作っているだけで……。
 好きな人は好きなんですが、ちょっと癖が強いから、あんまり沢山は売れなかったんですよ」
「そうなんだ。僕は美味しいと思ったけどなあ」
 ソーユか、とリシャールは口の中で繰り返した。多分、醤油が訛ったものだろう。
 もしかしたら、彼女達の曾祖父は日本人だったのかもしれないとリシャールは思ったが、そこでふと気付いた。
 ジェシカもシエスタも、ハルケギニアでは比較的見かけない黒髪に黒い瞳なのだ。……おそらく、そう言うことなのだろう。
 いつぞやの発泡スチロールとは同列に語れないにせよ、こちらに流れ着いた日本人がいたことは間違いない。それが彼女達の曾祖父であったわけだ。出来ることなら会って話をしてみたかったが、もう亡くなられているとのことで、こればかりは無理だった。
 リシャールは、内心を押し隠して話を振ってみた。
「しかし、僕もこれは是非試してみたいなあ。
 ねえシエスタ、このソース・ドゥ・ソージャは、シエスタの村まで買いに行けば売って貰えるのかな?」
「はい、少しぐらいなら大丈夫だと思います」
 どうやらほぼ確実に醤油が手に入るらしいと、リシャールはぐっと拳を握りしめた。あれもこれもと、色々と食べたいものが次々に頭の中に浮かんでくる。
「じゃあ、王都での用事が終わったら、帰る前に寄らせて貰おうかな」
「ええ、是非。
 草原と葡萄畑ぐらいしかない場所ですけれど、よいところなんです」
「タルブはワインも評判良いのよね」
「タルブか……」
 リシャールも、タルブの名前だけは聞いたことがあった。ラ・ロシェールの近くだったような気がする。ギーヴァルシュからも、そう遠くない場所だったはずだ。たぶん、そちらで暮らしていた頃に耳にしたことがあるのだろう。セルフィーユとは方向が全く逆だが、醤油を手に入れる為ならばそれは些細なことであった。
「そう言えば、リシャールの用事って?」
「うん、明日もう一度不動産屋に行く予定なんだ。
 それが終われば後は帰るだけだよ」
 別邸の方は領地に戻ってから改めて人を派遣すればいいから、明日は正式な契約と支払いを済ませるだけの予定であった。
「あら、それならシエスタも送ってあげてくれない?
 ついででしょ?」
「うん、構わないよ。
 えーっと、シエスタも、もうタルブに帰るだけなの?」
「はい、王都には新しい奉公先を探しに来たんですよ。
 無事に決まったんですけど、報告と支度を済ませる為に、一度村に帰るんです」
「じゃあ、明日の朝、ここを出るときに一緒に行こうか。
 ちょっと寄り道が多いけどいいかな?」
「あ、はい、大丈夫です!
 ありがとうございます!」
 シエスタは勢いよく頭を下げすぎ、ジェシカに笑われた。






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