ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第五十四話「冬の終わり」




 年が明けて二月余りが過ぎ、セルフィーユも寒さも緩んできていた。
 トリステイン国外では先年のアルビオン王弟叛乱未遂事件に続いてのガリア王弟暗殺事件など、かなりの荒れ模様を見せていたが、国内は緩やかな停滞ではあるものの、概ね平穏であった。
 リシャールも、製鉄所の本格稼働によって街道工事費用の安定した調達にも目処が立ち、来月に控えた祭りの準備も順調と、ようやく一息をついていたところである。政務、錬金鍛冶、土木工事とリシャール自身は相変わらずの忙しさではあったが、領内は更に人口も増加し、新しく街区に指定した街道と領道の十字路付近にも建物が出来始めていた。製鉄所の本格稼働と兵器工廠の人員募集が、近隣のみならず、あらゆる場所から人を集めだしたのだ。
 先月にはセルジュが店を出してくれたし、他にも伝書フクロウ屋や乗り合い馬車の駅など、街にはなくとも都市には欠かせない店がギルドに開店を打診してきていた。セルジュが店を出したことで、定期航路ではないものの来るときには石炭を積み、帰りには粗鋼を積んで出入りする船が増えているから、それに便乗する人や物も増えている。
 街から都市への第一歩であると、セルフィーユの発展をリシャールらも大いに歓迎していた。
 
「領主様、こちらが試作短銃の第四号と試作マスケット銃の第三号です」
「早速見せていただきましょう」
 フロランらが主導する兵器工廠の方も、いよいよ本格的に動き出そうとしていた。試作品の検分も今回で四度目である。
 工具や機械が到着してからの彼らの行動の素早さは、リシャールでさえ驚くほどだった。飢えた獣のように機械に取り付いて、あっと言う間に試作品を仕上げた。機械の発注先まで細かく指定してあったのは、伊達ではなかったようだ。
 それでもリシャールは、最初の試作品を見てから幾つかの注文を出していた。
 部品の点数を減らすこと、安全性の向上、そして小型化である。
 最初に作られた試作品は確かに良い出来だったが、素人目にも機構が複雑で、少々大振り過ぎた。
「今回の主な改良点は火口まわり、それに領主様よりご指示のあった銃把の形状の変更です。
 銃身は前回の試作の時に改良した逆二重巻き仕上げのままですが、工作精度が上がっています。
 これも領主様のお陰ですな」
 リシャールは、一万エキュー少々で買い付けた各種工具や機械類の中に原始的なノギスや金尺を見つけたので、それを改良したのだ。改良と言っても、複製した物に虫眼鏡で精密に目盛りを記してやっただけなのだが、工具や検査器具の精度が上がれば、それを使うことで工作精度も上げられる。技師達は大いに喜んでいた。
 ……もっとも、後から気付いたのだが、輸出品という理由でわざと精度の甘い道具が送られてきたのではないかとも疑われた。まあ、売ってくれるだけましかとも思い直す。
「発火装置はこれで良いようですね」
「はい、こちらも金型を作って圧力機で加工してやれば、調整も少なくて済むでしょう。
 生産性の向上が期待できます」
 ゲルマニアから輸入されてきた圧力機の金型は、固定化と硬化の呪文でリシャールがきっちりと仕上げたから、少々のことではびくともしない。
 限度はあるにせよ、部品の製造は金属塊から手作業で削り出すよりも、プレスして型抜きしたものを調整する方が楽である。必要な熟練度も段違いだった。歩留まりは悪くとも、一部の部品はこちらの方が断然素早く綺麗に仕上がるようになったと、技師達も納得してくれた。失敗した部品は溶かしてまた材料に戻すので、目くじらを立てるほどの無駄にはならない。
 このあたりはもちろん、リシャールが部品点数減少の指示とともに知恵を出している。
 さて、出来上がってきた試作品だが、概ね満足な出来であった。銃身は刃鋼の品質がよいこともあって、技師達も太鼓判を押していたし、発火機構もやはり彼らの手による改良型で、従来の物よりも確実性が高い。
 ただ、銃は元々この世界に存在する物であるが、リシャールの注文によって少々特異な形をしていた。
 特に短銃は、技師達が当初は首を捻ったほどの異質な見栄えである。銃把、つまりグリップがハルケギニアではまず見られない形状になっているのだ。
 リシャールにしてみれば見慣れたオートピストル型のグリップなのであるが、彼らには驚きだったらしい。この方が握りやすいからとはリシャールの弁であるが、注文を付けて新型銃把にした試作品を実際に試射させたときに、反動が受け流しやすいと言う利点の方に彼らは感心していた。今は握りやすい形状を模索して、幾つか試している段階である。
「実射した限りでは、握りはこの形状が一番安定するようです」
「かなりいい出来ですね。
 ……価格はどのぐらいになりそうですか?」
「短銃の方は八十エキュー、マスケット銃の方は同じく百六十エキューほどですな」
 売値で考えると一丁がそれぞれ百五十エキューに三百エキューほどだろうか。市価と比較してもいい数字だ。
「それでは、これで完成と致しましょう。
 ただし、この銃把の形状で生産するのは私が指示をしたときだけにして、普段の生産品については従来型の物にして下さい。
 これは、当家および兵器工廠の秘密とします」
「どういうことですか?」
 当然、フロランは不思議に思っただろう。幾つもの改良の指示は、リシャールから出ていたのだから当然である。
「いずれ真似はされると思いますが、いきなり大々的に売り出すよりも、特別な相手にだけ渡す方が商売としては効果的です。
 この銃には、大砲の工具と機械を買う資金を生み出して貰わないと困りますからね。
 それに従来型の銃把でも、品質自体が変わるわけではありません。
 特に、部品点数を減らしたことで、製造に必要な手間と同時に故障の確率も減っていますから、市場に出しても十分に売れると思います」
「なるほど、そういう理由であれば、納得出来ます。
 早速指示を出しておきましょう」
 もちろんフロランは、はやく自分の畑である大砲作りに手を着けたくて仕方ないのだ。
 彼が退出してから、リシャールは短銃の方を手に取ってみた。
 何度か腰の位置まで銃を降ろしては、素早く構える振りをする。
「やっぱりこっちの方がいいなあ……」
 銃身の長いマスケット銃の方は、単に握りやすくて反動が逃がしやすいだけの利点しかなかったが、短銃の方にはそれ以上に大きな利点があった。それ故に、リシャールはしばらく自分だけの秘密としておこうと、フロランには適当な理由をつけておいたのだ。
 新型銃把は、槍兵や砲兵の護身にも使われる短銃の性格とも相まって、使いやすさという、とても大きな性能の向上をもたらしていた。
 従来型銃把の短銃でも落ち着いて的を狙うなら命中率はさほどかわらないが、早撃ちをするように銃を向けたときはまったく違ってくる。咄嗟に狙いを付けたときの安定感が、断然違うのだ。
 実際に使う側からすれば、大きな事であると思える。これはすごいことになるかも知れないと、リシャールは考えた。
 ここから先は、彼の仕事になる。
 本格的な生産が始まるとあって、リシャールは兵器工廠の方には改めて『ラ・クラルテ商会セルフィーユ兵器工場』と名を与えたることに決めた。
 順調な滑り出しとなりそうであったが、それでも当初は短銃とマスケット銃それぞれ日産二丁が限度ということで、働き手の慣れと工具や機械類の早期拡充が当初の目標になった。しばらくは赤字の上、得られた利益はそのまま大砲の製造の準備に使われる予定である。
「大口で売り込もうにも、この生産量ではちょっと無理かな」
 領軍兵士への支給はともかく、数がまとまるまでは話の持ちかけようもない。
 当面は、防具などと同じく作った分をため込んで、まとめて売りに出すしかないようである。

 一方、リシャールが殆ど関わっていない祭りの準備も、順調なようであった。
 リシャールはクレメンテに御布施を積んで当日の大聖堂貸し切りを頼んだのみで、あとは一言、酒と食べ物になるべく予算を回すようにと告げただけで、リュカ、ゴーチェ、ダニエルらの領民代表に丸投げしていた。
「楽しみではあるんだけどね」
「あらあら」
 余裕がないのも本当だが、自分で準備をするよりは何があるか知らない分楽しめるかもと、カトレアにだけはこっそりと漏らしていたリシャールである。
「でも、祭りの後には収穫もあるし、初夏までは忙しそうだなあ」
「そういえばリシャール、今年の夏には王家主催の大きな園遊会があるそうよ。
 お父様からの手紙に書いてあったわ」
「へえ……」
 園遊会は社交や政治の場でもあるが、貴族にとってはお祭りな要素も内包する。
 当然、セルフィーユ子爵夫妻も招待客になるはずで、これまた色々忙しくなりそうだった。
「王都に長期滞在するなら、いよいよ別邸も買わないといけなくなりそうだなあ」
「えっとリシャール、王都ではないのよ。
 園遊会はラグドリアン湖になりそうですって」
 ラグドリアン湖は、トリステインとガリアに挟まれた大きな湖で、景勝地としても有名であった。もちろん、リシャールは行ったこともない。カトレアもそのはずだった。
「そうなんだ。
 ……旅行、楽しみだね」
「そうね。
 旅行に、行けるのよね……」
 かつてはラ・ヴァリエールから出ることも難しいほど病弱だった彼女のこと、感慨もひとしおなのだろう。珍しくも、ぎゅっと拳を握っている。
「もちろんだよ。
 そうだ、ドレスをプレゼントしないといけないね」
「あら、うれしいわ」
 貴族の集いはまた、女性にとっての戦いの場でもあった。
 杖の代わりに宝飾品を身につけ、甲冑代わりのドレスをまとい、美貌と知恵で戦うのだ。男の甲斐性の見せ所でもある。
 しかししばらく後、王都から呼んだ仕立屋から受け取ったドレスの見積書を見て、リシャールはひっくり返りそうになった。あれやこれやと盛り込んだ結果、王都で小さな別邸が買えるほどの金額になっていたからである。

 そんな話をカトレアとした数日後、城の執務室で書類と格闘していたリシャールの元に、クレメンテ司教が訪ねてきた。
「え、もう学舎の運営が出来そうなんですか?」
 年の初めに話したときには人が来るとだけ聞いていたのだが、もう準備が整っているらしい。
「はい、今月末、フェオの月に入る前には、教師役の司祭や助祭もこちらに到着する運びとなりました」
「では、こちらの方も布告を出しておきましょう」
 学舎の基本方針も、既に決まっている。
 ここで学ぶ生徒は基礎課程と上級課程に分けられることになった。
 基礎課程は特に年限も期間も定めず、規定の試験を合格すれば卒業とし、読み書き算術に礼法や地理歴史、神学のさわりなど、上級課程に進むために必要な知識と共に一般的な学問や知識を広く浅く学ぶ。
 上級課程は二年制で全員が寮生活を送り、本格的な神学の授業の他にも、実際の課業などが盛り込まれていた。優秀者はロマリアにある神学校へと送り出されたり、場合によっては直接助祭へと叙階されることになる。
 もちろん人数に限りはあるものの、基本的にはセルフィーユ司教区の住人ならば誰でも受け入れることとしていた。
「学舎や寮の準備などで、人手が必要ならば仰って下さいね。
 こちらから手すきのメイドや兵士を出しますので」
「いつもご迷惑をおかけしますな」
「いえ、私の我が儘でもありますから……」
 リシャールが学舎と言い出さなければ、クレメンテは代わりに修道院でも建てたいと言いだしていたかも知れない。どちらにせよ、クレメンテには自らの会派の受け皿が必要であったのだ。
「ところで領主様」
「はい、なんでしょう?」
 クレメンテはそれまでと同く何気ない様子で、リシャールに向けて危険な一言を放った。

「……新教徒、と呼ばれる者達について、どう思われますかな?」

 リシャールは、キリスト教にカトリックとプロテスタントという違いがあり、後者が新教徒と呼ばれていることぐらいは知っていたが、その程度の認識であった。恐らくは、ブリミル教にも同じ様な派閥があるのだろう。
 だが、リシャールはこちらではそのようなものは聞いたことがなかったので、正直に答えた。
「新教徒、ですか?
 よくわからないです……と言うよりも、いま初めて聞きました。
 クレメンテ殿は、その、いま仰られた新教徒なのですか?」
 しかし、この問答がなされるに至った点には、リシャールにも思い当たるふしもあった。
 ロマリアから都落ちしてきたという目の前の男が、その答えであろう。彼は最初から、地方に派遣されてくる一司祭にしては能力も背景も規格外過ぎた。
「はい、そうです」
 クレメンテは一瞬だけ瞑目し、リシャールに向き直った。いっそ晴れやかな笑顔である。
「何故今この話を、とお思いでしょうな」
「はい。
 正直申し上げて、私にそのお話をされる、ということの理由が判りません」
 クレメンテが黙っていれば、リシャールは派閥争いでの都落ちとしか思っていなかったので、そのまま受け流していただろう。
 しかし単なる派閥争いではなく教義解釈の違いが主要因となると、異端審問などの心配まで予想されるのだ。他国のお家騒動にまで、巻き込まれたくはない。
「大変失礼な申し上げ様になりますが……。
 私がロマリアからこちらに来て約半年になりましょうか、領主様には様々な我が儘を申し上げましたな」
「我が儘、と仰るほどのものはなかったと思いますが……」
 クレメンテは王都行きや教会の増築についてリシャールを頼ったが、それについてはリシャールも納得の行く範囲であり、教会権力を傘に着て私腹を肥やすような類の要求は一切無かった。教会の増築については田舎町には不釣り合いな規模にはなったが、それとて領民らの要望も含めて皆で話し合った結果である。その過程にはリシャールも関わっていたから、クレメンテに対して含むようなところはない。
「それを我が儘と仰られないところが、領主様の領主様たる所以ですな。
 人々の口に上る噂、ご自身の言動……半年間、その為人は十分に見せて戴きました。
 だからこそ、私も信用して全てをうち明けてもよいと思ったのです」
「余り買いかぶられても困るのですが……。
 えーっと、正直申し上げて、クレメンテ殿に駆け引きが通じるとは思えませんので、単刀直入にお聞きします。
 クレメンテ殿は、私に何をお望みなんですか?」
 クレメンテ司教は、おそらくは先日リシャールを謀ろうとしたリュドヴィックなどとは比べものにならない、本物の論客であろう。リシャールが眼中にない、と言うわけではないだろうが、今も秘密を打ち明けたにしては変わらず泰然自若としているあたり、格の差が感じられる。
「では私も単刀直入に申し上げましょう。
 新教徒は、ロマリア宗教庁からは異端として目の敵にされております。
 ……沢山、殺されました。
 今では、私のような聖職者も含め、逃げ隠れしておる者が殆どです。
 ですが、それも限界に近いのです」
「……」
「領主様には、ハルケギニア各地に散らばる新教徒への助力をお願いしたい。
 代わりに我が会派は、セルフィーユ子爵家に対して全面的に協力いたします」
「なるほど……」
 リシャールは、やはり根の深そうな問題だと内心で頭を抱えた。
「もう一つ、お伺いしたいのですが……」
「はい」
「このことは、マザリーニ猊下もご存じなのですか?」
 これは、とても大事な質問であった。下手をすればリシャールだけでなく、カトレアや領民の命に関わる。
「はい、ご存じです。
 表だってお認めになられることは、絶対にないでしょうが……」
 マザリーニが知っているのなら、リシャールにとやかく言えるはずもなかった。最初から、この問題もリシャールに押しつけられる予定であったに違いない。
 そう言えば、挨拶に伺ったときも会談に臨んだときも、一番に聞かれたのはクレメンテの様子だったなと、リシャールは思い出していた。
 しかし、これでは断りようも捏ねようもない。
 騙された、とまでは思わないが、見事に引っかけられたのは間違いないようだった。
 予防線を張りつつも、リシャールがその身に引き受けるしかない。
「……わかりました。
 クレメンテ殿のご要望は、可能な限りお引き受けします」
「ありがとうございます。
 領主様のご英断と始祖のお導きに感謝を」
 クレメンテは聖印を切り、リシャールに一礼して見せた。

 その日はもう遅くなっていたので、翌日の夜にもう一度、今度は細部について具体的に話し合うことにした。
 翌日は朝から一日中落ち着かない様子のリシャールにカトレアも心配げであった。それでも、あなたの思うとおりにやれば大丈夫だからと、心強い励ましを贈ってくれる。
 彼女には、リシャールのことなど全てお見通しなのだろう。ならばリシャールは、彼女を信じて進むまでだった。
「お待たせしましたな」
「いえ、大丈夫ですよ」
 リシャールは昨日と同じく、人払いをした執務室にクレメンテを迎え入れた。クレメンテは気負う様子もない。リシャールとしては、この態度だけでも是非見習いたいところである。
 どうにも分が悪いことだけは否めなかったが、それでも、一日悩んだお陰で腹を括ることだけは出来た。
「まずは、現状をお話ししておきましょう」
 リシャールだけを生徒として、クレメンテによるブリミル教と新教徒についての講義が始まった。

 ロマリアに本拠を置くブリミル教は、教皇を頂点とするロマリア連合皇国を軸に宗教庁や枢機卿団、各派聖堂騎士隊などを擁し、さらには教会を通してハルケギニア各地への大きな影響力を持つ宗教組織であり、国境を超越した国家でもある。
 外に対しては一貫してブリミル教を盾に取った圧力外交を主軸に強い姿勢を保ち、他国からの介入を極力はね除けてきた。その実力も底が知れない。
 ただしそれらは一枚岩ではなく、微妙に主張や利益の異なる宗派や会派による派閥争いの絶えない集まりでもあった。ロマリア連合皇国自体も都市国家の集合体であり、やはり統一性に乏しいと言えた。
 その数多くある宗派や会派の中の一つが、新教徒と呼ばれる存在であった。当初は単に始祖ブリミルの言行録などを教義解釈の主に置いた実践教義派と呼ばれる一派であったのだが、聖職者貴族とも言うべき支配層の特権享受と腐敗に疑問を呈したことから政争や宗教問答へと発展し、やがては宗教庁による異端指定を受け、迫害されるに至った。
 宗教庁や教団上層部にとっては自らの既得権益を脅かす相手であり、その弾圧は苛烈を極めた。新教徒達は、ある者は逃げある者は隠れたが、その追求はやがてロマリア国外にも及び、『ダングルテールの虐殺』に代表される新教徒狩りが、各地で内密に、しかし大々的に行われた。
 『ダングルテールの虐殺』はリシャールでさえ知っている、有名な事件だった。十数年前に起きたこの事件は、トリステイン北西部のダングルテールで疫病をくい止めるために村人ごと集落を焼き払った痛ましい話として公には記録されているが、その実は新教徒狩りだったと、クレメンテは語った。
 他にも、冤罪での逮捕や、強盗に見せかけた一家惨殺、誘拐殺人など、ありとあらゆる方法が異端者排斥の名の下に行われた。
 未だ各地に散る新教徒たちは、身分を偽り偽名を使い定住を避け、苦しい生活を余儀なくされているという。

「皆には、安らげる場所が必要なのです」
 そう言って、クレメンテは講義を締めくくった。
 リシャールは語られたその内容に驚きも混乱もあり、しばらくは黙り込んでいた。
 今いる領民を蔑ろにしてまで助けることは出来ないが、突き放すというわけにもいかない。
 新教徒だけを特別扱いには出来ないが、リシャールには手を差しのべなければならない部分も確かにあるように思えた。
 妥協点はどのあたりになるのだろうか。
 双方に無難な線を探りながらクレメンテと話し合う必要があるなと、リシャールは考えた。
「……とりあえず、こちらには仕事を探しに来てそのまま住み着いた、という形にしておくのが無難だと思うのですが、いかがでしょうか?
 これならば、新教徒か否かに関わらず、受け入れる理由としては問題ないのですが……」
 特に当たり障りのない受け入れ方法である。
「そうですな……。
 その際、戸籍簿に少し細工をしていただけるとありがたい。
 これまで、一番問題にされたのはそこですからな。
 虚偽や詐称を勧めるなど、聖職者たる者が口に出すことが許されて良い類のものではない、とは思いますが……」
「ああ、それは大丈夫です」
「ほう?」
 クレメンテの眉が少しだけ動いた。
「私がここへと来た当初、セルフィーユには戸籍簿自体なかったのです。
 皆に聞き取りをしてそれをまとめただけのものですから、今回も申告のままに書くだけで良いでしょう。
 表向きもなにも、ここの戸籍簿には元がありませんので、確かめようがないのですよ。
 落ち着き先が決まるまでは仮の住居で過ごして貰うことになりますが、そこから一度でも引っ越しをして申請をすれば、出身地はセルフィーユになります。
 ご本人が余計な事を言わなければ、ですが……」
 セルフィーユで使われている戸籍簿は、ゴーチェとリュカのまとめたものをそのまま基礎にしていた。それ以降に増えた人間にしても、やはり口頭での申告を書き留めただけのものである。偽られていても、虚実が判らないのだ。
 それが判っていながらも、リシャールは、税を納めて法を守っていれば特に問題視するつもりはなかった。このあたりは無理を押して人を集めているせいでもあったから、目を瞑っている。新たに罪を犯した者は新たに裁くだけと、割り切ってもいた。
 その分、領軍兵士の巡回など治安にも気を配ってもいたが、現在の処は上手く回っていると言えた。組織だった犯罪が行われている形跡もない。アーシャも十分抑止力になっている。
「それは……驚きですな」
「ここも元は、それだけ酷い場所だったのです」
 今でこそ人々の顔も明るいが、リシャールが来る前は、ラマディエなどでは五割六割の税が取られていたほどだ。
 リシャールは、クレメンテに向き直った。
 色々考えたが、クレメンテもここまで、理不尽とまで言える要求まではしていない。新教徒がロマリアの目から逃れて、人として過ごせればいいのだろう。
 気負うほどのことはなかったのかも知れないと、リシャールは考えを改めた。
「クレメンテ殿、新たにセルフィーユに来る皆さんが、今いる皆さんと同じように普通に暮らせればよいのですよね?」
「ええ、もちろんです」
 クレメンテは、さも当然と頷いた。
 ならばリシャールの答えは決まっている。
「では、私はこれまでと同じように領地を治め、新しく来る領民にも一切差別することなく、領主としての権利を行使し、義務を履行します。
 ……これでよろしいですか?」
 新しく来る彼らが新教徒であることは、リシャールも知っていながら知らない振りをすることになるはずだった。
 カトレアはもちろん、マルグリットらにも話すつもりはなかったし、クレメンテも新教徒達も自ら口を滑らせることもないだろうから、多少は手厚くするにしても、表だって何かをするわけではないのだ。
 それを聞いたクレメンテはしばらく微妙な顔をしていたが、やがて笑い出した。
 言ったリシャールの方も、多少微妙な顔つきになっていたはずだった。先の虚偽の申告を容認する発言と併せても、実質、何もしないと宣言しているに等しいのだ。

「なるほど、なるほど!
 正に、仰るとおりです。
 しかしそれこそが、我らの望みでもあります!」

 新教徒は領民として受け入れる。
 特別な扱いをしない代わりに、迫害も弾圧もしない。
 税も取るが、その身も守る。

 辛く苦しい逃亡生活を余儀なくされてきた新教徒に冬の終わりが見えてきたと、クレメンテは態度を改めて聖印を切り、聖なるかなと感謝と祈りの言葉を口にした。
 リシャールは、ハルケギニアに於ける一般的な平民の暮らしを、彼らに約したのだった。






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