ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第五十三話「人・金・物」




 降誕祭の休暇が明けた翌日、セルフィーユ領内にはいつもよりも長い内容の布告が出された。
 新年の挨拶に始まり、結婚と子爵陞爵の報告、領主の所信、具体的な開発計画とそれについての内容、更には祝賀も兼ねた感謝祭の開催など、多岐に渡るものだった。
 一方、布告を出し終えたリシャールは鉄の精錬に使用する水車小屋の立地に悩みながらも、余裕のあるうちにとセルフィーユ聖堂の追加工事に手を着けていた。今日は学舎の基礎工事だ。内装や外装の細かい部分は職人や領民の有志などにまかせていたが、やはり大仕事は自分で手を下した方が安くて早い。
「領主様、少し休憩になさいませんか」
「クレメンテ殿、ありがとうございます」
 リシャールはクレメンテに先導され、小聖堂こと旧教会へと足を運んだ。大聖堂の方は既に落成していたが、奥棟は、建物はあるが内装が未完成のままで、クレメンテらは変わらず小聖堂の奥向きで暮らしていた。
「お疲れさまです、領主様」
「あ、ありがとう」
 シスター見習いのフィオレンティーナがホットジンジャーを差し出してくれたので、ありがたく頂戴する。
「しかし、領主様は休みを取られませんな」
「余裕がないんですよ。
 もうしばらくして製鉄所や祭りの準備が落ち着いたら、多少はゆっくり出来るとは思うんですけれどね」
 数日後にはフロランもこちらへと来る予定であるし、祭りの方は意見待ちである。
「ともかく、多少は失敗してもそれを補えるように布石だけは打っておかないと、後でもっと追いつめられそうなんで心配なんです。
 あまり領民の皆さんには、迷惑も負担も掛けたくありませんしね。
 結局そういうものは、全て自分に返ってくると思っています」
「……領主様は変わって居られますな」
「あまり自覚はないんですけれど、よく言われます」
「しかし、とても良いことだと私は思いますよ。
 少なくとも、私が良く知るロマリアの『偉い人』たちとは比較になりませんな」
 リシャールはどきりとした。
 クレメンテは何でもない風に笑っていたが、それは司教たる者が軽々しく口に出して良い言葉ではない。
「いや、クレメンテ殿、それは……」
「ああ、申し訳ありません。
 しかし、領主様には私がこちらへと来た理由もお話ししていますからな。
 今更、というものでしょう」
 リシャールの内心の焦りとは反対に、クレメンテはのんびりとして続けた。
「そうそう、実はそのロマリアからようやく手紙の返事が来ましてな、幾人かがこちらへと来る予定になっております。
 表向きは領主様の仰っていた学舎の教師として、派遣されてくることになりましょう」
「表向きは……?」
 口調も態度もかわらないクレメンテだが、目だけは真剣であった。
「もちろん、私と懇意にしていた者ばかりです。
 まあつまるところ、会派揃ってセルフィーユへ引っ越しする、ということですな。
 ロマリアはしばらく不安定になりそうですから」
「教皇選挙とそれに伴う内部の混乱、ですか」
 リシャールも、教皇選挙が近い事は既にクレメンテから聞かされていた。リシャールやセルフィーユにはさして影響のないことであろうが、クレメンテには大事だろう。
「ご面倒をおかけするやもしれませんが、ひとつお願いいたします」
 リシャールも、ロマリア内の派閥闘争など、他国の事情には口を挟みたくはなかったし、知らないと言うことであれば何かあっても言い訳は立ちやすいかもしれない。
「何人ぐらいの方が、こちらに来られるのですか?」
「今のところは十人程度の予定です。
 彼らを迎えて、まずは司教座聖堂としての基盤作りをせねばなりません。
 学舎はその後ですな」
 セルフィーユにブリミル教が管轄する学舎が出来れば、リシャールの苦労も多少は減るし、教育について下手な言い訳もしなくて良い。これが最大の利点であった。
 仮にセルフィーユ司教座聖堂付属学舎と名付けているが、ロマリアなどにある神学校へと入学する前の段階で必要となる読み書きや算術、歴史、礼法と言った基礎教養を教える、神学校へ通うための予備校のような位置づけであった。もちろん、聖職者への道を歩みたい本来の希望者も通うが、同時にリシャールは、メイドや従者の候補、ラ・クラルテ商会の下働きに雇っている子供達を学舎に通わせ、基礎を身につけさせる予定である。やはり、屋敷内で教えるのには限度があった。
 学舎建設はリシャールとクレメンテの取引という側面が大きかったが、リシャールはそれでも構わないと思っていた。
 クレメンテが信仰心には厚くとも、狂信者には思えなかったからである。

 リシャールは聖堂からの帰りに、庁舎へと向かった。
「マルグリットさん、税の方はどうですか?
 まだ初日とあっては出揃わないとは思いますが……」
「はい、それでもリュカ氏などはもう納められましたわよ。
 税率を減らしたのに、税額は去年を大きく上回っていましたわ」
「でしょうねえ。
 当初、必要な物の殆どを彼に注文していたような気がします。
 癒着し過ぎていると揶揄されるかもしれませんが、領内には、まともな商会がリュカ殿のところしかありませんからね」
 その次に売り上げの大きい商会は、残念なことにラ・クラルテ商会だった。誘致もしたいところであるが、なかなかに食い込ませ難い部分もある。街道整備や製鉄所などの効果で、そのうち新しい商会も増えるかとは思うが、外資とまでは言えなくとも、他領の商会に大きな顔をさせるのも癪であった。
「セルジュさんやシモン殿が、喜んで店を出してくれるぐらいに頑張らないといけませんね」
 彼らになら、身贔屓もあるが儲けて貰ってよい。アルトワへの礼にもなる。ただ、彼らがリシャールの希望なしに店を出すほどセルフィーユが商業的に魅力のある場所かというと、今の段階では微妙であった。
「ともかく、製鉄所とその先の工廠が一段落すれば、セルフィーユから売り出せる物が出来ることになるので、資金にも余裕が持てるでしょう。
 今後はそれを元手にすることになります」
「はい。
 前に仰っていたように、なるべく、税収には手を着けない方向で、ですね」
「ええ、お願いします」
 税収は必要経費以外を貯蓄に、公営事業の利益は投資と道路建設に、自身の錬金は借金の返済に。
 まったく根拠はないが、一つのことに資金を傾けすぎないための大凡の目安としてはこんなものかなと、リシャールは考えていた。

 数日後、フロランが妻子を連れてセルフィーユに戻ってきた。リールまでは定期船で来て、そこからは馬車を雇ったらしい。やはり便数は少なくとも、定期航路は必要かも知れない。道の整備より先に行っても良いほどだろう。
「領主様、これからお世話になります」
「こちらこそ、製鉄所と工廠の方はお任せします」
「その事で少しお話があるのですが……」
 フロランは、前職の仕事仲間の数人がこちらで働きたいと希望していると、リシャールに告げた。
「皆、自分で考えたものを試してみたくてしょうがないんですよ」
 フロランは苦笑していたが、リシャールにすれば願ったり適ったりである。
「なかなか、我々が世に認められることはありませんからね。
 平民では仕方のないことですが……」
 仕方がない、と片付けるには重い問題でもあった。しかしリシャール自身は特権階級の側の人間であるから、反論はしにくい。
 リシャールは、気を取り直して続けた。
「ともかく、歓迎します。
 ……あまりに本来の仕事そっちのけだと、困りますけれどね」
「……そのあたりは、自重するように言い聞かせます」
 言った方も言われた方も、今一自信に欠けるやりとりではあった。
「ともかく、しばらくはご家族もこちらで暮らして下さい。
 早々に家を用意しますんで」
「はい、よろしくお願いします」
 早速だが、二人で打ち合わせに入る。
 リシャールは精錬された鉄を更に鍛えるための水車小屋の立地などを、フロランは兵器工廠についての細かな仕様などをそれぞれ提案し、お互いに検討を加えていった。
 製鉄所は今のところ試験炉のみを使った少量生産であったが、『粗鋼』と呼ばれるこれが、週に二千リーブルほど作られていた。このうちの一割二割がディディエの鍛冶工房へと送られ、『刃鋼』へと鍛えられて製品にされる。
 もっとも、刃鋼の生産力はたかが知れたもので、一日で百リーブルほどだ。現状では二人が交代で水車ハンマーに取り付いて鉄を鍛えるのだが、今のところはこの方法か、リシャールが錬金もしくはゴーレムで鍛えないとフロランやリシャール自身が望むような良質の鋼材『刃鋼』を得る方法がないのであるから仕方がない。
「銃の製造に必要な量としては十分ですが、砲はちょっと苦しいですね」
「ええ、領軍で使われている四リーブル砲でも金属部の重量は五百リーブル近いですから、流石に少ないと思います」
 月に小口径砲四、五門分しか刃鋼を確保できないのであれば、試作品を作るのにも苦労するだろう。
「これは早めに水車小屋を作って人を雇わないと、刃鋼の量産が兵器工廠の方の首を絞めそうですね。
 製鉄所の方は製鉄工の養成が済み次第、本格稼働にはいるとして……」
「そちらが安定すれば、私は兵器工廠の方の準備ですな。
 先に私の仕事仲間が来るようであれば、そちらに押しつけても良いでしょう」
「そうですね。
 その方針で行きましょうか」
 二人は雑談を交えながら、予定などを決めて行った。

 その日以降、リシャールはいつも以上にあちらこちらへと駆けずり回った。
 幸い昨年の内に製鉄所の主立った施設は完成していたし、フロランが製鉄所関連を全て引き受けてくれたので、建築と道路工事に回ることが出来たのだ。錬金鍛冶にまでは手が回らなかったものの、予定以上に物事を先に進めることが出来た。
 リシャールは手始めに、道路工事を引き受けてくれる顔なじみの労働者達から何人かを選んでまとめ役にし、シュレベールからドーピニエとは反対の東南に向かって伸びている道を次の村まで広げてみることにした。その村は王領だったが代官が王都在住のため、気楽に道路工事を進めることが出来るのだ。姫殿下と宰相のお墨付きがあったから、王領に関しては前もって連絡さえしておけばそれほど気にすることはない。それに、この道はいずれツェルプストーへと伸びる予定でもあり、無駄にはならない。
 当初は試行錯誤があったものの、難所がなければリシャール抜きの労働者二十人で一日に十メイル前後の工事が可能であり、その費用が日当や資材、荷馬車の手間賃など諸々を加えて五十エキュー程になることが確認できた。一から道を造るわけではない分、工事の進みも早かった。
「一メイル当たりだいたい五エキューか……」
 結構な額になったが、場合によってはリシャールが直接手を加えて時間と予算を圧縮できるから、費用の負担が厳しいなら自分で働くという手もある。ついでに煉瓦の消費量が道路工事に追いつかない可能性が出てきたが、これは本格的に製鉄所とそれに付随する煉瓦工房が動き出せば、解決する問題でもあった。
 道路工事が軌道に乗り始めたので、リシャールは彼らにそれを任せると、自身はラマディエ・リール間の街道沿いにある王領以外の諸侯領に向かい、説明と説得に当たった。ちなみに王領の代官へは、手紙を送るだけで済ませている。
 この交渉を円滑に進めるために、リシャールは餌をぶら下げた。拡幅による土地の供出はあっても当該地の領主に資金提供の負担はなし、領民は労働者として募集することもあるがこちらより賃金を払うので苦役の負担もなし、という条件を提示したのである。
 道中に男爵以上の貴族がおらず、アンリエッタとマザリーニが後ろに控え、何よりも無料で街道が整備されるとあって、彼らは諸手を挙げて賛成に回った。特に混乱や妨害もなく了承されたが、ここはリシャールの作戦勝ちと言えるだろう。
 もちろん交渉は上手く進んだが、リシャールにも苦労はある。ラマディエ・リール間の距離は約四十リーグ、つまり約四万メイルもあり、予想される工費は二十万エキューもの金額になるのだ。
 その後ろにも大きな街道工事が予定されているから、十年で収まりきるかどうか、微妙な心持ちのリシャールであった。
 役に立つのは判っているが、手痛い出費であることも間違いないのだ。
 ついでにと、製鉄所にちかい街道と領道の結節点を中心に、新たな市街地も設けることにした。
 今のところは、フロランの家や製鉄所の工員などが入居する集合住宅も含めて数戸の建物があるだけだが、区画の割付と道路の線引きは行ってあるので、あとは土地の借り手が現れれば勝手に育つだろう。街道沿い領道沿いだけは一等地に指定し、貸し賃を高くして商業地ともしておいた。十年後に商店街が出来ていればいいなと、リシャールは思っている。

 あちらこちらへと奔走していたリシャールだったが、月末にはようやく落ち着きを取り戻していた。
 道路工事の方は人数を増やして二組に分け、一方はリールに向けての工事に着手したし、製鉄所の方も三組ある製鉄炉と精錬炉のうちの一組が稼働を始めた。ハンマーのある水車小屋も追加して本格的な刃鋼の精錬にも手を着け始めたから、兵器工廠の倉庫には徐々に刃鋼が積み上げられつつある。
 建物だけは出来上がっていた兵器工廠にもフロランの仕事仲間が到着し、本格的な準備が進められていた。
「しかし、炉はあっても人がおらずでは、もったいないですな、領主様」
「まあ、今は仕方ありませんよ。
 職人とまでは行かなくとも、ある程度仕事を覚えて貰うまでは動かすわけにも行きませんし、そうでなくとも道路工事に水車小屋にと、人手を取られてますからね」
 リシャールは、目の前で取り出される出来たばかりの粗鋼を見ながら、フロランに応じた。
 そう言いながらも、今度は兵器工廠の働き手をまた集めなくてはならない。
「とりあえず生産される粗鋼のうち、毎回半分ほどは引き取って貰うことにしました。
 ……とてもお金が足りません」

 年度末の領税税収は予想を大きく上回る額であったものの、貯蓄に回す余裕もなく王税として納められていった。毎月の商税も増加しているが、庁舎や領軍、城のメイドなど、子爵家が直接雇用する人数も規模が拡大しているので、こちらも利益を出すには転じていない。幸いにしてラ・クラルテ商会の海産物販売とディディエの鍛冶工房は堅調であるが、これとても焼け石に水であった。
 しかし、粗鋼がまともに商品として動くようになれば、話は大きく変わってくるのだ。いまは持ち出しになっている道路工事の費用を、完全に肩代わりさせることが出来るようになる予定だった。
 現在稼働中の一組だけでも週に二万リーブル強、約十トンは粗鋼を生産可能であるから、半分の一万リーブルを刃鋼の加工へと回すにしても、残りの一万は売りに出せる。単なる鉄塊のままでは卸値で一リーブル当たり十スゥ以下が普通だが、粗鋼であれば二十スゥは堅い。運賃や関税を考えれば、トリステイン国内では十分に安い値段と言えた。刃鋼を売れば更に良い値がつくだろうが、こちらは銃砲に加工するので売らないことに決めている。
 セルジュを呼ぶには十分な理由と規模になっているかは少々疑問だったが、リシャールは既に見本の粗鋼を手紙と一緒に送っていた。
 これで経費や材料費を差し引いても、現状で毎週千エキュー、三組の炉が完全に稼働すればその三倍がリシャールの手元に残る予定である。
 但し、しばらくの間は道路工事の方に利益の殆どが吸い取られることもまた、予定に入っていた。

「それから領主様、先日もお話しした兵器工廠の準備の方なのですが……」
 さて、もうひとつの稼ぎ頭にする予定になっている兵器工廠の方であったが、こちらにも少々頭の痛い問題が起きていた。リシャールは、手渡された見積書を見ていく。
「製造の為の工具に機械類……。
 こんなに大きい金額になるんですか!?」
 フロランらが見積もった費用は六万五千エキューと、リシャールの予想の遙か斜め上を行く金額だった。高いだろうとは思っていても、ここまでは予想していなかったリシャールである。
「はい。
 試作品を作るにしても、単なる金床とハンマーだけで作る、というわけにはいきません」
「銃だけならば、ここまでの極端な数字にはならないのですが……」
「砲の方は流石に後回しにするにしても、銃以上に大きな設備が必要になりますな」
 見積書には機械類の名前と発注先までがしっかりと書かれてあり、フロランらの気の入れようが見て取れた。大半はゲルマニアで、幾つかはガリアの商会である。ねじ切り旋盤などの、工作機械に詳しくないリシャールでも名前から用途の想像できるものから、全く想像のつかないものまで、一通り揃えるとこの値段になるようだ。特に砲身関連の機械設備はべらぼうに高かった。
「と……とりあえず、大砲関係は流石に後回しにさせて下さい。
 いきなりこの金額を出すとなると、間違いなく領地も当家も破綻します。
 ……この見積書から砲関係の機械を除いて、試作銃が問題なく作れる程度にまで品物を絞り込むと、どのぐらいの金額になりますか?」
「およそ、一万エキュー少々、というあたりでしょうか。
 もちろん、量産する場合には、さらに機械類を揃える必要があります」
 一万エキューならば、工事の方に少し支障が出るかも知れないが、すぐに出せないということもない。
 また鍛冶仕事に逆戻りだなと、リシャールは内心で嘆息した。
「一万エキューの方は、近日中に何とか用意しましょう」
「おお、ありがとうございます!
 試作品の設計だけは早めに済ませておくように致します!」
 銃器担当の男が拳を握った。余程嬉しかったらしい。
「じゃあフロラン殿、あとはよろしく」
「はい、領主様」
 ここで踏ん張っておけば後は楽になる。リシャールは自分に言い聞かせて、庁舎に戻ることにした。
 ……人と金と物が動けば、書類仕事もそれに比例して増えるのだ。






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