ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第四十六話「烈風」




 カリーヌの後ろについて歩きながら、適当で済ませるわけにもいかないだろうなと内心で嘆息を繰り返すリシャールだったが、もちろん、何の解決にもならなかった。
 カリーヌが強いのは間違いないのだろう。だがリシャールには、カリーヌがどう強いのかが今一わからなかった。具体的な魔法の行使や戦術ともなると、想像もつかない。雰囲気はもちろん、何をしても勝てないのではないかと思わせる強さがカリーヌにはあるのだ。
 とても強い風のメイジであることは、いつぞやの茶飲み話の折にカトレアやルイズから聞かされていた。対人戦を最も得意とする風のメイジに対しては、土のメイジでは分が悪い。
 ついでに言えば、模擬戦や訓練での、父に対するリシャールの勝率は二割以下であった。それも、父が個人戦よりも集団戦の援護を得意とするメイジであったから、まだしも勝てていたところが大きい。
 とにかく本気で当たるしかない。軽んじられない程度に善戦出来れば上々であろう。
 しかし、自身の力だけでどこまで対抗できるやら……。
 リシャールは、腰の軍杖に手をやってから、もう一度心の中でため息をついた。

「リシャール」
「はい」
「あなたはカトレアとの約束を守って爵位を得て、またその後、領主としても大器の片鱗を見せつつあります」
 カリーヌもドレスを着替え、戦装束であろう男装に近い格好をしていた。
「才もあり、礼儀も正しく、婿としては充分に及第点、いえ、それ以上だと思います」
 カリーヌはリシャールの方を向かず、歩きながら続けた。
 誉められてはいるが、とても素直には頷けない。
「しかしただ一つ、カトレアを生涯守り通すほどの実力を持つかどうかは……」
 練兵場に到着した二人は、少し距離を置いて相対する。
「私としても、杖を交えてみるまでは見極められません」
 少し離れた場所には、真面目な表情になったカトレアと、未だ青い顔のままで姉にすがりついているルイズがいる。
 カリーヌは口笛を一つ吹いた。
 ばさりと、彼女の背後に一頭の幻獣が現れる。マンティコアだ。
 カリーヌは軽く杖を振って己にレビテーションをかけ、ふわりとマンティコアに騎乗した。
「……元魔法衛士隊マンティコア隊隊長、『烈風』のカリンである」
「!?」
 予想だにしなかった前歴に、リシャールの頭は完全に真っ白になった。ここに来る道中で色々考えていた作戦も何もかも、すべてが吹き飛んでいる。
 いや、強いだろうことは判っていたが、トリステイン中に名高い魔法衛士隊の、それも元隊長職など、戦いたくないにも程がある。リシャールは、カリーヌの名乗りだけで心を折られそうになった。
 マンティコアの方も、老いてはいたがその目は鋭くリシャールを睨み付けている。当時から彼女が騎獣として使っていたのだろう。人獣一体化しての空陸を問わない機動戦には定評のある幻獣であった。
 その上、彼女はカリーヌ・デジレと本名で名乗りを上げず、通り名のような名を名乗った。本気でリシャールの相手をすることの現れと見るべきか。リシャールには想像でしかないが、当時名乗っていた名前なのかも知れなかった。
 それでも、逃げることは絶対に許されない。
「貴殿の力量、この目でしかと見極めさせて戴く」
 その鋭い目つきに再び萎縮しそうになるが、勇気を奮い起こす。
「『鉄剣』のリシャール・ド・セルフィーユ、カリーヌ様のお目に敵いますよう、杖に賭けて、精一杯力を尽くさせていただきます」
 リシャールも、作法に則って軍杖を右手に名乗りを上げた。
 いつかの王都、公爵家別邸でそうしたように、リシャールは誓ってみせた。彼はその時の約束を守っている。
 それに、この手合わせはカトレアが見ているのだ。
 そのカトレアに一瞬だけ、ちらりと視線を向ける。彼女はこくりと頷いてくれた。
 よし。
 後は野となれ山となれだ。呆れられることはあっても、殺されることはないだろう。……と思いたい。
 リシャールは軍杖を握りなおしてカリーヌと視線を合わせ、息をためた。

「「いざ」」

 戦いの初手は、当然のようにカリーヌが取った。
 マンティコアが地を蹴って空中へと躍り出る間に、既に呪文が完成している。
 リシャールは自らの楯としてゴーレムを繰り出し、カリーヌの風の魔法を慌てて受け止めさせた。
「くっ!」
 逃げようにも範囲が広すぎて、ゴーレムの影に隠れざるを得ない。
 合間に軍杖の先にブレイドで刃をまとわせ、少し離れた場所にも、もう一体ゴーレムを作り出した。雑な造りになるが、仕方がない。
 その間にもカリーヌは位置取りを変更したのか、回り込むような方向から風が襲ってきた。
 慌ててゴーレムの向きと姿勢を変え、自らの位置も変える。
 しかし、その猶予も着実に減っている。今自分が隠れているゴーレムの手応えが無くなってきたのだ。
 隙がなさ過ぎて、硬化の呪文でゴーレムを強化する余裕がない。
「うわっ……っと!」
 仕方なく、より短い呪文であるアース・ニードルを牽制に放ってから、もう一体のゴーレムを呼び寄せ、新しい楯に使う。
 攻撃のために作り出したのだが、仕方あるまい。
 しかし……。
 空中にいる相手には、どうしても分が悪かった。
 カリーヌはは騎乗しているから、こちらがフライで空へと打って出て接近戦を挑もうにも、距離を詰める間に魔法を食らって撃墜されるだろう。練達のスクウェアメイジでも、魔法の同時行使は不可能であるのだ。無論、リシャールにも出来はしない。
 それでも、どれほどジリ貧になっていくとしても、抵抗を諦めるわけにはいかなかった。
 しかし、それにしてもカリーヌのなんと余裕のあることか。
 元魔法衛士隊の隊長とあれば間違いなくスクウェアのメイジなのだろうが、その上に実はペンタゴンというクラスがあります、それがカリーヌ様ですと言われても、リシャールは納得しただろう。

 一方カリーヌは、明らかに格下ではあるものの、リシャールの意外な手応えに少々眉を顰めていた。
 今は力量を見極める為もあって、ドットスペルの幾種類かを放つに留めていたが、リシャールは落ち着いてそれらを凌いでいる。
 眉を顰めていた理由は、彼に消耗させている魔力が、自身の予想よりも大幅に低かったからだ。彼は楯にしたゴーレムの姿勢を細かく変えることで破壊に至る道筋を引き延ばしていた。手加減はしていても、リシャールの消耗を誘えているとはとても言えない。
 よい師に恵まれたのだろう。基本に忠実で手堅い。経験豊かとはとても言えないが、自分の手の長さを良く知っている戦い振りだ。
 流石は『塹壕』の息子。
 婚約に当たって調べさせたリシャールの調査報告には、集団戦、特に防戦に強く、相手にすると厄介なことで知られた元王軍の土メイジの名があった。直接の面識はなかったが、二つ名には聞き覚えがある相手だった。
 眼下ではそれまで盾にしていたゴーレムを放棄して、新たなゴーレムを起動させるリシャールの姿があった。これでようやく三体目である。
 力押しというのは、褒められたものではないのだけれど。
 カリーヌはドットに代えてラインのスペルを放つべく、リシャールに杖を向けた。

 幾度かゴーレムを作っては楯として使い切り、稼いだ僅かな時間で新たなゴーレムを作ってはまた楯として使う。
 そのようなことが二度三度と繰り返される。
「逃げてばかりとは感心しませんね」
 再び強い風がうねりを上げ、リシャールの方に向かってくる。スペルを上乗せしてあるのか、先ほどとは段違いの威力だ。
 秘策も何もないが、とにかく別の手を打たなくてはならない。
 三十六計逃げるになんとか、風林火山に敵進我退、押して駄目なら引いてみろ。大して憶えてもいないあらゆる格言や成句を思い出しながら、リシャールはゴーレムを楯に考えた。今の気分は、もちろん四面楚歌で背水の陣だ。
 その中で、将を射んとせば先ず馬を射よ、というのは悪くないかも知れないと思いつく。なんとしても、窮鼠猫を噛むところまで持っていきたい。
 マンティコアの空中機動力を削ぐか、地上戦に持ち込めれば、今よりはかなりましになるだろう。少なくとも、ゴーレムが攻撃に使えるようになる。
 風の途切れ目に再びアースニードルを放つ。一度に数本打てればよいのだろうが、余裕もないし、カリーヌの力ならば一撃に吹き払われる可能性が高い。
 これではまるで、戦闘ヘリに追われるゲリラの様だ。何かの映画で見たような気がする。
 ただし、油断して低空に降りた戦闘ヘリとは違い、カリーヌはまったく油断も隙もなく、素早く位置を変えながらリシャールを追いつめようとしていた。ここは燃料気化爆弾で焼き払われたジャングルや草原のように、何もない練兵場だった。ゴーレムを楯に出来るだけ、ゲリラに比べて随分ましであろう。
 しかし、どれほどの差を見せつけられるのか。
 攻撃が単調かつドットやラインのスペルに限られているのは、自身の魔力消費を押さえてリシャールの魔力切れを待っているからなのかもしれない。元からの力量の差以上に、戦い慣れているかそうでないかの差が、リシャールを追いつめていく。
 カトレアは以前、カリーヌについて『我が家では母様が一番お強いから』と言っていたが、単に家族間の立場を言い表していたのではなく、もしかしなくとも、純粋な戦力として公爵以上に強いということを言っていたのかも知れなかった。
 いや、余計なことを考えている場合ではなかった。
 このままでは埒が明かない。
 すぐに吹き飛ばされるだろうがと思いながらも、リシャールは土煙の呪文をそこら中に打ち込んで煙幕代わりにして身を隠し、カリーヌの側面へ回り込もうとした。正面よりは横、横よりも後ろ。多少なりとも死角に入れば、今よりはほんの僅かでも……。
「集団戦ではかなり有効ですが、風のメイジとの個人戦では下策というものですよ?」
 カリーヌはそう嘯いて、一気に土煙を吹き飛ばした。それでも土煙の量が多かったせいで、多少なりともカリーヌの方にも煙がたなびく。
「!」
 リシャールは薄くなってゆく土煙の裏を駆けながらも、カリーヌが魔法を行使する一瞬、風の流れがカリーヌに集まってから目標に向かうことに気付いた。
 舞い上がった土煙が、吹き飛ばされるまでの一瞬に空気の流れを教えてくれたのである。

 低気圧のような、下から上への風の流れ。
 そして、合間に考えた他愛もない現代知識。
 自分に出来る魔法の行使、そして残りの魔力。

 リシャールは、僅かに見えた反撃の糸口に全力を注ぐことに決めた。

 ほんの一瞬だけ考え込んで動きを止めたリシャールに対して、カリーヌは直接エア・ハンマーを叩き込もうとしたが詠唱を止めた。
 奇手を使った反撃に来るのであろうことまでは、自身の経験とリシャールの性格から、苦もなく読みとれる。
 この婿殿の使う奇手は、これまでもカリーヌを驚かせてきた。
 そう、彼は侮れないのだ。
 見た目も歳もルイズとそう変わらない、その歳の少年にしては線の細い頼りなげな子供であるのに、彼は侮れない。
 その際たるものは、娘の病を癒したことだろう。
 口では完治できないと言いつつも、魔法も魔法薬も使わず、足湯だ食事だ運動だと、それぞれが驚くに値しない要素を組み合わせ、娘の身体を健康に近づけた。今では寝込むことの方が少ないほどだ。
 それに、とカリーヌは思う。
 よく目を向ければ、今でさえ立派なものだった。
 彼は自身とカリーヌの力量の差をきちんと認め、無謀な行動に出ることも逃げ出すこともなく、定石と工夫でもって耐え続けていた。あまつさえ、反撃の機会をも狙っている。
 並の十三の子供に出来ることではない。普通なら、自制心の方が先に耐えきれなくなるだろう。
 もちろん、彼の反撃とやらもその先も、見てみたくある。
「……よいでしょう」
 出来るものならやってみなさい。
 カリーヌはリシャールの起こす土煙を横目に、自身の得意とするカッター・トルネードの詠唱を始めた。

 リシャールは土煙の呪文で時間を稼ぎつつ、自らの盾となるゴーレムと反撃用の小さな鉄のゴーレムを作りだして配置していた。
 とにかく、余裕がない。盾にするゴーレムは二体作るので精一杯だった。攻撃のためにとあちこちへと動かさず、自身の身を守る為だけに作っては使い潰していただけであるから、魔力の消費が少なかったことは幸いだった。
 今度は土煙の呪文をあちらこちらへと振りまいて走りながらも、カリーヌの足下とその周辺の地面にありったけの魔力で油を錬金する。ぶっつけ本番ではあったが、油の方は上手く創り出せたようだ。
 カリーヌのウインド・ブレイクが一瞬止まった。
 こちらにも魔力は殆ど残されていない。
 だが、ここで大技が来るなら、唯一の好機だ。
 リシャールは土煙とゴーレムの陰に隠れ、反撃の機会をうかがった。
「リシャール、小細工もよいですが、より大きな力の前には無力なものですよ?」
 そう無茶を言われても困る。正面から馬鹿正直に向かって行けば、十秒と抵抗できずに叩き潰されるだろうことは間違いない。
「カリーヌ様、私は私に出来ることを、精一杯やるのみです!」
「そうね。
 耐えることに関しては褒めるに値しましょう。
 ……ならば、こちらは次で決めて見せます。
 見事受け止めてみなさい」
 カリーヌは土煙が徐々に薄れる中、リシャールの声のする方に向けて無造作にカッター・トルネードを放った。

 カッター・トルネードはスクウェアのスペルである。リシャールは系統が違うこともあって知らなかったが、これはいけないということだけはわかった。
 慌ててゴーレムを膝抱えに座らせ、自らはその背後に伏せた。防盾の厚みがあれば、耐える時間も多少は長くなろう。
 それでも耳を澄ませて、反撃の機会をうかがう。
 やはり威力が桁違いだ。カリーヌの呪文がゴーレムを削り始めたが、これまでと違って甲高い音が響いてくる。
「んぐぉっ……!」
 今度は背中に強烈な痛みが走った。
 かまいたちというものか、真空の刃がゴ−レムの背後にまで回り込んできたのだ。塹壕でも掘った方がよかったかもしれないが、今更だ。
 ほんの僅かな時間でかまいたちの嵐は去った。威力はとてつもないが、持続時間は短いようだ。
 そして、風が動く音が聞こえてきた。もう少し、もう少し……。
「む!?
 この臭い……」
 カリーヌのつぶやきが聞こえた。
 今だ!
 リシャールは、予め配置につけた二十サントにも届かない小さな鉄のゴーレムを起動して、その手をカチカチと打ちつけさせた。
 次の瞬間、カリーヌのいる上空にまで届く爆炎が発生し、マンティコアもろとも騎手を飲み込んだ。

 リシャールは先の土煙で、カリーヌの操る風魔法が周囲の空気を巻き込んで風になり、魔法が発動した後には足りなくなった周囲の大気を補うかのような空気の流れを作り出すことを確認していた。
 先ほどこの流れに乗ったのは単なる土煙だったが、リシャールは爆発直前の燃料気化爆弾のように、空気に油を乗せた。
 もちろん、単なる油ではなかった。
 ハルケギニアの油は獣脂か植物油が主体で、石油を分流したような高品質な物は知られていない。火を付ければ燃えるが、それは燃焼であって先ほどのような爆炎にしようと思えば、油が沸騰して蒸発するほどの熱を与え、気体にしてやらねばならない。
 だが、リシャールが錬金したのは、自分の良く知る油の中でもオイルライターの油であった。
 彼は前世では煙草を吸っていたが、オイルライターにオイルを補給するとき、指に零してもすぐに気化して蒸発することは良く知っていた。常温での揮発性はガソリンよりも高い。
 更には、カリーヌが魔法を使うことでかなりの量が吹き飛ばされはするものの、直後に周囲の気圧が低くなることを利用して、カリーヌの元へと揮発したオイルと空気の混じった混合気体を送った、いや吸い込ませたのだ。あとはタイミングを見計らって鉄のゴーレムに火花を起こさせて着火すれば、混合気体の流れに乗って爆炎が発生する。
 ただし、リシャールにも誤算はあった。
 吹き飛ばされることを見込んで錬金した油の量が多すぎた上にその揮発性も予想以上に高く、更にはカリーヌのカッター・トルネードが作った風の流れは、当然ながらリシャールへと向いていた。
 つまり。
 爆炎が自分にも向かってきたのである。

 カトレアやルイズには、練兵場の中央から立ち上った炎の渦が、二人に向けて襲いかかったように見えただろう。
「リシャール! 母様!」
 もちろん声が届くはずもなく、近寄ることもできなかった。ルイズは余りのことに血の気が引きすぎたのか、あるいはカリーヌとリシャールの作り出した緊張に耐えきれなくなったのか、カトレアにもたれかかるようにして気を失った。
 一方、リシャールは懸命に耐えていた。背中の傷が痛むが、それどころではない。
 痛みに耐えてもう一体のゴーレムを操り、自らに被せるようにして炎を避ける。
 カリーヌがどうなっているかわからないが、炎が空中に伸びるところまでは確認した。
 勝てた、とは思わない
 だが、自分は一矢報いることができたのだろうか。
 炎が弱まったかと目を開けたリシャールだったが、急に視界が開けた。盾にしていたゴーレムが直接切り飛ばされたのだ。
「あなたは土のメイジであるのに、なかなか見事な炎でしたね」
 眼前には、髪こそ少々乱れていたがほぼ無傷のカリーヌがいた。炎は掠りもしなかったようだ。得意の風を操って避けたのであろう。
 リシャールは慌てて覆い被せていたゴーレムを突撃させ、自分は横に転がってカリーヌから遠ざかろうとした。
 それをカリーヌの命令もなしにマンティコアが回り込んで、リシャールを逃がさぬようにする。なるほど、こちらも歴戦の勇者らしい。
 どんと正面から体中に衝撃が走った。
 今度は逃げる間もなく、まともにエア・ハンマーを食らったのだ。声も出ない。
 それでもリシャールは杖を離さず、立ち上がろうとした。
 もう一撃。
 いつのまに回り込まれたのか、今度は背中からだ。
 流石にこれはいけないな。
 リシャールは、魔力の消費と背中の痛みで意識を手放しかけていた。
 カリーヌは、我が家の婿殿はなかなか見所があるわねと考えながらも、杖を離していない相手にかけるような容赦は持ち合わせていなかった。
「さて……」
 カリーヌはもう一度リシャールにエア・ハンマーを放とうとしたが、異変を感じて瞬時にマンティコアを下がらせた。
 同時に練兵場に黒い影が落ち、大きな咆吼が轟く。
 アーシャであった。

 アーシャはリシャールを庇うように、カリーヌとリシャールの間に立ちはだかった。
 カリーヌを睨み付けたまま、動こうとしない。
「リシャールの使い魔ですね。
 まだ勝負はついていません、お退きなさい」
 アーシャは首を横に振った。
「これは一対一の堂々とした勝負なのですよ?
 いかな使い魔とは言え、それを妨げることは許されません」
 アーシャは再び首を振った。
「アーシャ……」
 リシャールはアーシャが庇ってくれたことに気付いたが、声を出すのがやっとだった。
「……もう一度言います。
 お退きなさい」
 アーシャは逡巡する様子を見せたが、しばらくして口を開いた
「いやっ!」
「!」
 カリーヌの目が見開かれた。流石に驚いたらしい。
 
「カリーヌはずるいもの!」

 言うに事欠いて『ずるい』とは何事か!
 アーシャの一言で、カリーヌの驚きは一瞬にして霧散した。
 カリーヌは竜を相手にしていることなど露ほども考えず、ただただ自分を侮辱した相手としてアーシャに怒り、憤懣し、激昂していた。
「何を言うか!
 古式に則り、互いが正々堂々全力を尽くしているのだ!
 それは私だけでなく、主への侮辱でもあるぞ!」
 アーシャはカリーヌを睨み付けたまま叫び返した。
「カリーヌは古き獣に乗っているのに!
 リシャールは乗っていないもの!」
「なっ……!」
 カリーヌは、正論に言葉を詰まらせた。
 使い魔ではないが、いつもの戦支度と、彼女は確かに騎乗していたのだから。

 リシャールは気が付くと、カトレアの膝枕の上だった。場所も練兵場ではなく、いつもの泉である。
「カトレア……アーシャ……」
「リシャール……」
「リシャール、大丈夫?」
 アーシャも大きな竜の頭を、リシャールに寄せてきた。
「えーっと……」
「私の治療でアーシャが取り出してくれた水の精霊の欠片を、そのままリシャールに使ったのよ」
「そっか……。
 二人ともありがとう。
 心配かけたね」
 確かに疲労は濃いが、大きな傷があるはずの背中も痛くはない。綺麗に治っているようだった。
「僕はどのくらい気絶していたのかな?」
「四半刻ぐらいかしら。
 あれからすぐに、こちらへと来たのよ」
 カトレアは涙声だった。
「その……ごめん」
「いいの、いいのよ」
 ひとしきり、カトレアに頭を抱かれて泣かれた。
「結局、最後までいいとこなしだったなあ」
「ううん、リシャールは最後まで諦めなかったもの」
「そっか……」
 しかし恐ろしい、そして辛い戦いだった。
 ルイズが震えて語ったことをもう少し真剣に聞いておけば良かったかもと、リシャールは反省した。
「アーシャは、ずっと見てたの?」
「うん、最初から見てた。
 でもリシャールは呼んでくれなかった」
 アーシャなりに、色々思うことがあったようである。
 さぞ、彼女はやきもきしていたに違いあるまい。
「……ごめん」
 彼女呼んでいれば少しは違った結果になったかもしれないが、今更である。先ほどはカリーヌの気に呑まれていたのか、リシャールはその事に思い至らなかった。自分だけの力でなんとかしなくてはと思いこんでいたせいでもある。
 それにしても、空中の相手に対して自分はなんと無力なことだろう。制空権を制する者が戦場を制すとは、よく言ったものである。よくもまあ、咄嗟にオイルライターのオイルなど思い出したものだ。野営の時の着火材にはよく使っていたが、普段は思い出しもしないようなものだ。
 それに、戦場で常にアーシャに乗っていればいいのだろうが、そうもいかない。今後の課題になるだろう。領軍の訓練にも反映させた方がよいかも知れない。
 カトレアが落ち着いた頃、アーシャがリシャールに頭を寄せた。心なしか、しゅんとしているようにも見える。
「リシャール、どうしよう」
「どうしたの、アーシャ?」
「……カリーヌと竜の姿で会話した」
「あああっ!?
 そ、そうだった……」
 ものすごく、今更な話であった。






←PREV INDEX NEXT→