ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第四十五話「強き人々」




 夜半になってセルフィーユに戻ったリシャールは、泥のように眠った。やはり疲れていたのである。子供の身体は正直で、これは仕方のないことだ。もう何年かすると、徹夜も余裕で出来るようになるだろう。それまでは我慢だ。
 翌日の朝食後になってから、マルグリットとヴァレリーを呼んで事の顛末を語った。
 また、領内にも密偵や内通者が紛れている可能性もあるが、それらしい疑いのある不審人物を見つけても、リシャールに報告するに留めておくこと、また、この話はここにいる三人とジャン・マルクだけの秘密にしておくことなどを決めた。
「ミシュリーヌちゃんだと、多分顔に出過ぎてしまいますわね」
「暫くはアルトワに預けたままですが、余計な心配をさせることもないでしょう。
 ……お二人には申し訳ないですが」
「大丈夫ですよ」
「そうですわ」
 二人は笑顔で頷いた。
「アルトワのお城でも、時にはそういったことがありましたわ」
「私も、父にある程度の対処は教わっていますし……」
 意外にも、二人共に力強く請け負ってくれた。慣れていないのは、リシャールの方だったらしい。
「なんか、騙されかけた僕とセルジュさんの方が、立場がありませんね……」
「父もリシャール様も、商会であれ男爵領であれ小さな国の主と同じです。
 それ故に、逆に気付きにくいのですよ」
「それに、普段はリシャール様よりも、私たちの方が一般の使用人や家臣に接する機会は多いですわ」
「ええ、その為の私たちなのですから」
「……お見それしました」
 二回目の人生とあって人生経験は豊富でも、領主一年生としては、まだまだ学ばねばならないことが多いようである。
 ついでに、クレメンテ司祭を含むジャン・マルク一行が戻ってからになるが、ラ・ヴァリエールおよび王都行きの予定を立てていることも二人には話した。
 片手の『亜人斬り』十本の納入も、作り置きが数本あるのでこの旅程に間に合いそうである。庁舎の方は訴状と調停以外の仕事をマルグリットに任せ、リシャールは数日間鍛冶場に缶詰になった。とにかく、たくさん作って作ってたくさん売る。そして、余裕を持って今年を乗り切る。製鉄の計画が宙づりになったので、錬金鍛冶には相当力を入れなくてはらないだろう。
 しかし作業の合間には、ハルケギニアでは瓶詰めはあっても缶詰は見かけないなあなどと、余計なことを考えてもいた。

 ジャン・マルク一行の帰還予定日も、リシャールは鍛冶場に篭もっていた。
 ルメルシェに注文を受けた予定数の『亜人斬り』は完成したのだが、ラ・ヴァリエールへのお土産として両手の『亜人斬り』を余計に作り、更に特別に作って貰って自分でも手を加えたイワシの油漬けも用意している。訪問する頃には浸かり具合も丁度良いだろう。
 今は、勢いに任せて胸当てを作っていた。
 金属部だけでも在庫にしておけば、後は時間のあるときに隣の領地に住むいつもの皮革職人のところに持ち込めば、立派な革張りを施されてこちらへと戻ってくる。
 引き抜くほどの仕事があるならお抱えにしたいところだが、リシャールの方で政務に余裕がないと生産が滞ってしまうので、これは仕方なかった。
「二重にした重手甲とか作ったら売れないかな……?」
 出来上がった胸当てをひとまとめにして積み上げているところに、珍しく慌てたヴァレリーが、伝令らしい領軍兵士と鍛冶場に駆け込んできた。
「リシャール様!」
「領主様!」
「どうかしましたか?」
「大変です、司祭様が、クレメンテ様が、司教様になられて、隊長もとにかくお知らせしろって……」
「えええっ!?」
 伝令の言っていることは要領を得なかったが、大体のことはリシャールも理解した。
 クレメンテ司祭が、出世してクレメンテ司教になったのだろう。
 うん、確かに大変だとリシャールも思った。
 それでもまずは伝令を落ち着かせ、一行の帰着予定を類推する。伝令は、今朝早めに宿を出て馬でこちらへと先行してきたらしいが、とりあえず、ラマディエまで出迎えに行く余裕はありそうだった。街には連絡してあるのかと聞くと、こちらに来る前にマルグリットには連絡をつけたらしい。
 リシャールは、ともかく出迎えだけはせねばと、ヴァレリーに後をまかせてラマディエに向かった。

 到着を待つ間、リシャールは色々と考えた。
 クレメンテのことはリシャールも割と感じよく受け入れていたから、司教になったことについては喜ばしいことだと思う。
 しかし司教というものは、大抵の場合は司教区の長として地域の教会をまとめる長になる。先日来て貰ったばかりであるのに、またどこか遠くの司教区に赴任ということなら、余り歓迎出来る事態ではない。クレメンテはセルフィーユに来てわずか一月余りで人々の心をつかんでいたから、民心の安定という点でも避けたいところなのだ。
 同じセルフィーユの教会から出て行くにしても、この周辺を管理する司教区の長になるのであれば、これは歓迎すべきである。セルフィーユの司祭様がご出世あそばしたと、人々はクレメンテ司教のいる街に向かって祈りを捧げ、自慢するだろう。
 しかし、セルフィーユ周辺が正確にはどの司教区になるのか、リシャールは知らなかった。トリスタニアの大聖堂で聞けば判るだろう、ぐらいにしか気を配っていなかったが今更だ。あまり遠いと、領民のために馬車を出す必要があるかも知れないが、これはまあいい。
 それに、いずれにしても後任の司祭が未知数であるから、こちらの方が問題である。
 リシャールは、ブリミル教の内部事情にまでは詳しくなかった。アルトワで暮らすうちに身につけた一般常識としてしか、ブリミル教のことは知らない。年上のジャン・マルクやリュカ達の方が、余程詳しいはずだった。
 ともかもく、今はお出迎えである。
 リシャールは、難しい話を考えるのを後回しにした。

 街にはもう人だかりが出来ていた。リシャールはいつものように練兵場の隅に降りると、アーシャを一撫でしてから庁舎に向かって歩いた。
「リシャール様」
「マルグリットさん、ジャン・マルク殿たちはもう?」
「いえ、まだです。
 それよりも、どうしましょうか?
 街の方には知らせましたが、なにかご用意なさいます?」
 リシャールも少し考えてみたが、歓迎式のようなものまでは必要ないだろう。
 皆で出迎えれば、それでいい。

 ほどなく、ジャン・マルク一行の姿が見えてきた。
 馬に乗ったジャン・マルクを先頭に、兵士らの乗った荷馬車で護衛された乗用馬車と、さらには商品を山積みにしたリュカらの荷馬車が続く。
「領主様、ただ今無事帰還いたしました」
「ご苦労様でした」
 人目もあるので、ジャン・マルクもしゃちほこばっている。
 リシャールはジャン・マルクに目配せをしてから、乗用馬車から降りようとしているクレメンテに挨拶をする。
「お帰りなさいませ、クレメンテ殿。
 それから司教就任、おめでとうございます」
「ありがとうございます、領主様。
 お出迎え痛み入ります。
 無事に旅を終え、戻ることが出来ました」
 馬車から降りたクレメンテは司教帽を戴いていた。手にはもちろん、特徴的な形をした司教杖が握られている。彼が司教に叙階されたのは間違いないようだ。
 領民達も歓呼の声を上げ、周囲はお祭り騒ぎになっていた。
「領主様、いろいろご相談したいこともありますが……」
「ええ、今はこちらを……」
 リシャールも落ち着いてからの方が良いかと、人の波に飲み込まれていくクレメンテを見送った。

 その日の夕方、クレメンテを送って屋敷に戻ってきた御者から、今夜か明日にでもお時間をいただきたいとの伝言を貰ったリシャールはすぐ教会へと向かった。リシャールの方でも、今後に関わるし幾つか聞きたいことはある。ちなみに、アーシャに乗って出かける時だけは、付き人を同行させなくともヴァレリーからお小言を貰わない。
「こんばんは」
「まあ、領主様!」
 フィオレンティーナが出迎えてくれたが、驚かせてしまったようである。
「クレメンテ殿はいらっしゃいますか?
 お忙しいようなら、お約束だけして帰りますが……」
「すぐに伺ってまいります」
 ほどなく、クレメンテ自身が出てきてくれた。
「直接足をお運びいただくとは、申し訳ありませんでしたね」
「いえ、お気になさらず。
 私もお伺いしておきたいことがありましたので……」
「では、どうぞ中へ」
「お邪魔します」
 リシャールはクレメンテに案内されて、中へと足を進めた。案内されたのは、質素な中にも、なんとなく暖かみのある部屋である。
「どうぞおかけ下さい。
 何もないところで恐縮です」
 フィオレンティーナがグラスを二つ運んできて、静かに退出していった。匂いから、中にはレモンの絞り汁を薄めた水が入っていることが判る。リシャールもよく飲んでいる……と言うか、彼が夏場、領民に繰り返し推奨していたレモン水だ。疲れもとれて、暑気払いにはよいのである。
「それで……ああ、先にクレメンテ殿のお話をお伺いしてもよろしいでしょうか?
 私がお伺いしたかったのは、クレメンテ殿が司教になられたことで、クレメンテ殿と教会について、今後どうなるのかということですので」
「はい、私が領主様にご相談したいのも、そのことなのです」

 クレメンテの話は、リシャールにも納得の出来るものだった。
 彼はここまで来た経緯も含めて、訥々とリシャールに話をした。
 聞く限りでは、彼はやはり、政争を逃れてこちらへとやってきたようだ。自らの会派を解散し、彼自身がロマリアを去ることで会派も自分の身も守ろうとしたらしい。表向きは司教への叙階で出世とも受け取れるが、実質は都落ち、といったあたりだろうか。それに伴って、セルフィーユ周辺の幾つかの教会がトリスタニア大司教区から独立し、新たにクレメンテを教区長とするセルフィーユ司教区として再編されたとのことだった。
 ロマリアの中央にとっては、トリステインの片田舎に司教区が新たに誕生しようと、大したことではない。また、トリスタニア大司教区の上層部にしても、直轄の地域は減るものの、大司教区が取りまとめているトリステイン全体の視点で見れば司教が一人増える。つまり、労せずに司教会議の票が一票増えるわけだから反対はない。
 クレメンテはそこを突いて、上手く立ち回ったわけだった。
 いずれは散り散りになった会派の者たちもここへと呼びたいものですと、クレメンテは締めくくった。

 リシャールは、やはりなかなかに侮れない強い意志をもった人だなあと、クレメンテを見て嘆息した。政治的な立ち回りはリシャールにもいずれ求められるのだろうが、未知の領域でもあった。有事には、相談事に乗って貰えないかと真剣に考える。
「では、クレメンテ殿はここを去られるわけではないのですね。
 皆も喜ぶと思いますよ」
「ええ、ここはセルフィーユ司教区に、この教会はセルフィーユ司教座聖堂と名前を変えますが、私も含めてそのままです。
 ……それに、司教区と言っても、こことドーピニエ、それにル・テリエにエライユ、四つの教会しかない小さな司教区ですからね」
 クレメンテは近隣の教会の名前をいくつか挙げた。セルフィーユからゲルマニア国境にかけての、いずれも小さな王領に建てられているものだ。
「教会行政上の変化はありましたが、始祖ブリミルに日々祈り、感謝を捧げることに変わりはありません」
「はい」
「ただ、現状でも少々手狭でしてな……。
 領主様には、かないますれば増築のご助力をお願いしたいのです」
 ここは、信徒席も十人座れば満杯になってしまうほどの小さな教会であった。実際の修理を行ったリシャールもよく知っている。
 クレメンテが司教就任の箔付けに無心をしたのならばリシャールも難色を示しただろうが、本当に困り事なんだろうなとの理解はあった。
「わかりました。では、そのように致しましょうか。
 そうだ、リュカ殿とゴーチェ殿にも相談してみましょう。良い知恵を貸して貰えるかもしれません。
 なんと言っても、お二人はこの土地に住んで長いですからね」
「おお、よろしくお願いします」
 クレメンテは聖印を切って、始祖への感謝を捧げた。
「ああ、それからこれは私の古い知人から預かってきたのですが……」
「手紙、ですか?」
「ええ、領主様宛のものです」
 確かにリシャール宛の手紙のようだったが、裏書きが問題だった。
「……えっ!?」

 マザリーニ。

 ロマリアでは珍しくない名前なのかも知れないが、トリステインでマザリーニと言えば、宰相たる枢機卿猊下の名前が最初に浮かぶ。
 そして、手紙を預かってきたクレメンテは、ロマリア人にしてマザリーニと同じ聖職者である。
「マザリーニ枢機卿とは、彼がロマリアにいた頃、親交がありまして」
 笑顔で懐かしむ様子のクレメンテに、リシャールは声も出ない。
「彼はとても頭の回転が速い者として、有名でありましたな。
 まさか一国の宰相に登るとは、当時は思いもしませんでしたが」
「……あー、ここで読ませていただいても?」
「もちろんです」
 リシャールは早速開封して、手紙を読み進めた。

 翌日、リュカとゴーチェにも教会増築の件を話し、リシャールの帰還までに領民らの意見を取りまとめて貰うことにして、リシャールは亜人切りと油漬けの壷を携えてラ・ヴァリエールへと向かった。
 マザリーニからの手紙には、クレメンテはロマリア時代の知人で、信仰心豊かで真面目な男なのでよろしく頼みたいこと、王都に来た折には必ず王宮に自分を訪ねて欲しいこと等が書かれてあった。王都行きは決めていたから、用事が一つ増えるだけである。
 ……とは言え、知人の住む領地の領主というだけで宰相閣下に呼ばれるほどのことなのだろうかと、首を傾げる部分もあった。この手紙を見せればすぐに会えるようなことも書かれていたから、実質は召喚状に等しいのだ。
「リシャール」
「どうしたの、アーシャ?」
「竜が飛んでる」
「え!?」
 ラ・ヴァリエールに入ってしばらく、アーシャが竜を見つけたらしい。遠すぎて、リシャールにはわからなかった。
「近づいてみようか」
「きゅ」
 アーシャは増速して、僅かに針路を西寄りにとった。
 しばらくしてリシャールにも見えてきたが、四頭立ての竜籠であった。ラ・ヴァリエールの旗を靡かせている。
「曳いてる竜を驚かせないようにして、近づけるかな?」
「できる」
 アーシャはきゅきゅーと鳴きながら、竜籠に近づいていった。
 竜籠の方からも反応があった。
 開かれた扉には執事のジェロームが、窓には手招きをする公爵の姿が、それぞれ見えている。
「アーシャ、下からゆっくり近づいて。
 しばらく話をすると思うから、籠と一緒に飛んでてね」
「きゅ」
 アーシャは上手に竜籠に近づくと、速度を合わせた。
 リシャールは杖を構え、自身にレビテーションをかけて竜籠に乗り移る。
「空中で逢うとは驚いたぞ。
 しばらくだな、リシャール」
「はい公爵様、ご無沙汰しております」
「まあ、こちらに来て座れ」
「はい」
 実は竜籠に乗るのはリシャールも初めてだった。馬車よりも広いなと見回してみる。公爵家の自家用とあって、内装も豪華だ。
「カトレアに逢いに来たのか?」
「はい、そうです。
 帰りは王都廻りで帰る予定です」
「ん?
 王都に用事でもあるのか?」
 公爵には隠す必要もないだろう。ルメルシェ将軍とマザリーニ枢機卿に会う用事があることと、ついで製鉄技師に騙されかけたことなども話す。
「なるほどな。
 ……しかし、お主も領主として、なかなかに揉まれておるようだな。
 まあ、水際ではね除けたのならよい。
 婿として頼もしいかぎりだ」
 公爵は軽く笑みを見せて、リシャールを労ってくれた。

 しばらくは向こうにいるので王都に来たら顔を出せと公爵に肩を叩かれ、リシャールは竜籠を辞した。
 そのまま公爵の城へと向かい、竜舎の傍らに降り立つ。わざわざ門を通って言上せんでもよいぞと、公爵からも念押しされていた。
「お帰りなさいませ、リシャール様」
「……ただいま戻りました」
 どういう認識の差異があるのか、先日来、リシャールは若様扱いだった。身内の扱いであるから、歓迎という意味ではこれ以上はない特上の歓迎振りである。ただ、カトレアの婚約者であるから間違いはないのだが、一方で、これでも他家の当主なんだけどなあと思ったりもする。
「リシャール、お帰りなさい」
「はいカリーヌ様、ご無沙汰しております」
 ……そうか、この人が主犯かと思いながら、リシャールは頭を下げた。何をそこまで気に入られたのかはよくわからなかったが、これで良いのだろう。
 初めて会ったときの強烈な圧迫感は、記憶が薄れるものではない。
 この人の機嫌を損ねると大変らしいのは、リシャールにもわかっていた。カトレアやルイズから聞かされている。
 その時カトレアは、ちょっと大変なのよと少々困った程度の様子で話していたが、同席していたルイズは顔色を真っ青にして恐怖に震えていた。
『リ、リリリリシャールも、かか母様をおおお怒らせたりしたら、わわ、わかるわよ……』
 気の強いルイズがここまで恐れるとは、やはり余程のことらしい。
「リシャール!」
 出迎えてくれたカリーヌと挨拶を交わしながらも色々考え込んでいると、奥の扉からルイズと手を取り合ったカトレアが駆け込んできた。
 走っても大丈夫なのかなと心配になるが、小走りなら出来るぐらいには身体もよくなったのかと嬉しくもある。
「ただいま、カトレア」
「おかえりなさい、リシャール」
 なし崩し的にではあったが、既にカトレアのことは『カトレア』と呼べるようになっていた。いつの間にか皆に知られていたようで、婚約者なのだから誰憚ることはないという公爵の一声が決め手になった。
 それにしても……。
 ぎゅっと抱きつかれるのは嬉しいが照れくさくもあり、また、カリーヌとルイズの視線も痛い。
「あらリシャール、また少し背が伸びたのかしら?」
「そうかもしれないなあ」
「うふ、お願いが効いたのかしらね」
 楽しそうなカトレアは実に良いのだが、そろそろ横にいるルイズの視線が、可哀想なものを見るものにかわりつつある。
「……おかえりなさい、リシャール」
「……お出迎えありがとうございます、ルイズ様」
 ハルケギニアにはない言葉だろうが、リシャールは、今の自分の様子を上手く言い表した言葉があったなあと、考えていた。
 そう、カップルの上に『バ』がつくアレである。

 いつものようにテラスへと案内され、のんびりと近況を交わす。主に、リシャールの報告に終始するが、これもいつものことである。
「まあ、それでは司教様がいらしたの?」
「うん、とてもお優しい方で皆からも慕われてる」
「それは良い事。
 どうやら領地は安定してきているようね?」
「はい、カリーヌ様。
 海賊や野盗の類はともかくも、亜人は絶対に近寄りませんから、それだけでもありがたいことです」
「まあ、そんなに都合の良い話があるのですか?」
 カリーヌには、このように突っ込まれることが多い。娘を嫁がせるタイミングを計られているのかなと、思わないでもないが、当人のリシャールが聞くわけにもいかなかった。
「はい、使い魔のアーシャが領地全てを縄張りにしていますから、亜人は見つけ次第、領外に追い出すかやっつけるかしてくれます。
 普通の竜ではこうはいきませんが、使い魔ですから、人は襲わないようにと言い聞かせることもできます。
 ただ……アーシャの方も割と楽しんでいるようなので……」
「亜人退治を? 楽しむ?」
「どうも、ブレスを吐くのが楽しいらしくてですね」
 先日、演習場でリシャールとアーシャ対セルフィーユ領軍で模擬戦を行ったのだが、たった数発の『震える息』で士気が崩壊した。リシャールは頭を抱えたが、ジャン・マルクは、メイジも居ない部隊はこんなものですと涼しい顔をしていた。むしろ彼は、恐慌状態には陥ったものの皆が命令通りにその場に伏せ、逃げ出す者が一人も居なかったことを評価していたから、機嫌が良かったぐらいである。
 その後、兵士を戦場の恐怖に慣れさせるのも必要と、定期的にこの模擬戦を行いたい旨が、ジャン・マルクから上申されていた。
 アーシャの方も、絶対に兵士に当てないなら『震える息』を好きに使ってもいいとリシャールが許していたから、模擬戦を楽しみにしている。
「領軍を鍛えるのも領主の勤め、文武の両輪を疎かにせず、結構なことです」
 カリーヌは、ふむふむと頷いてから、リシャールを見据えた。
 ……嫌な予感がする。
 カリーヌの目は笑っていたが、どちらかと言えば、小動物を目の前にした猛禽類のそれだった。
「でも、あなた自身の力はどうなのかしらね?
 娘の婿は、どれほどのものなのかと、カトレアを守る力を備えているのかと……あなたとも、一度立ち合ってみたいと思っていました」
 カリーヌはおもむろに席を立った。一瞬で、彼女のまとう雰囲気は公爵夫人のそれから、歴戦の武人のものへと変化した。セヴランや父が霞んでしまうほどの迫力である。本当の強さとはこういうものなのかと、リシャールは恐れをなした。
「かかか母様……?」
 自分のことでもないのに、ルイズが震えている。
 カトレアは、困ったなという顔をしてはいたが、口に出しては何も言わなかった。。
「今日は練兵場も使う予定がなかったはずです。
 さ、おいでなさい」
 どうしてこんなことに。
 今からとても酷いことになるだろうが、断れば、もっと酷いことになる気がする。
 リシャールは、内心で頭を抱えながらも、カリーヌに促されて席を立った。






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