ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第三十三話「引っ越し」




 ギーヴァルシュに戻ったリシャールは、大事な話があるからと、マルグリット、ヴァレリー、ミシュリーヌ、それからジャン・マルクの四人を事務所に集めていた。久々に、ラ・クラルテ商会の全員が集まったことになる。
 仕事も終わり夕食も食べ終えているので、時間には余裕があった。食後と言うことで、香茶なども用意してゆったりと聞いて貰うことにしたのだ。ジャン・マルクだけは蒸留酒の瓶を抱えているが、これはリシャールが許可した。
「それで、どうされたのですか、リシャールさん?」
「ちょっと色々ありまして……。
 大事なお話が沢山あります。
 順番に話しますので、よく聞いて下さいね」
「はい」
「まあ、なんでしょうか?」
「えーっと……?」
「なんなりと」
 リシャールは、四人を見回してから、経緯と共に説明を始めた。
 叙爵とそれに伴う商会の実質的休眠、ギーヴァルシュ加工場の売却、新しい領地への移転、可能ならこのまま全員を家臣として迎えたいこと、ついでに私事ながらカトレアと婚約を済ませたことなども話していく。
「……というようなわけで、実質、商会は大きく動かせなくなるんですよ。
 いっそ完全休業しようかと迷ったんですが、そのまま潰すのはもったいないので、形だけでも残すことにしました。
 城館の一角を店舗として、僕の作る剣を販売するという程度になりますが、存続させます」
 ほう、というため息が誰ともなく聞こえてきた。
「それで、皆さんを家臣として抱えたいと先に言いましたが、勝手ながら僕の希望を述べさせていただきます。
 まず、マルグリットさん」
「はい」
 マルグリットは神妙に返事をした。
「マルグリットさんには、筆頭家臣として男爵家の切り盛りをお任せすると同時に、ラ・クラルテ商会の会頭も引き受けていただきたいです。
 次にヴァレリーさん」
「はい」
 ヴァレリーは元屋敷勤めとあって、既にリシャールの割り振りを見抜いているかのような返事だった。
「ヴァレリーさんには、侍女頭として城館の一切をお任せしたいです」
「エステル様と同じ侍女頭を任せていただけるなんて、夢のようですわ」
 ヴァレリーは、素直に喜んでくれたようだ。
「ありがとうございます。
 ミシュリーヌ、君には二人のお手伝いをお願いしたいんだけど……。
 魔法も使えるから、僕の方も色々助けて貰えると嬉しい」
「は、はい。
 がんばります!」
 ミシュリーヌは少々気が早いようで、了承の返事をしてくれた。
「ジャン・マルクさんには当然、領軍の隊長をお願いしたいです」
「これはまたえらい出世ですな……」
「今のところ部下はいませんから、鍛えるところから始めて貰うことになりますけどね」
 彼にだけは先に祖父との相談の結果や言伝は伝えてあったので、いささか気楽なようだった。嫁も貰ってさらに出世とあれば、浮かれようと言うものだ。
 しかし、マルグリットだけがぼーっとしていた。
 やはり、ここまで育てた商会を実質潰すというのが、彼女にはショックだったのかもしれない。
「あーっと、マルグリットさん?
 もちろん、嫌ならば断っていただいても良いですよ。
 その場合は、マルグリットさんが商人として一人立ちできるぐらいの退職金は用意しますから、安心して下さい。
 もちろん、他の皆さんも不都合があれば言って下さいね」
「あ、ごめんなさい。
 ……私が会頭とお聞きして、その、びっくりしてしまいましたわ。
 それに筆頭家臣だなんて、大丈夫でしょうか?」
 マルグリットは少々腰が引けているようだった。
「大丈夫です。
 女性の執事や家臣も過去いらっしゃらなかったわけではないですし、やってもらうことは今と大差ありませんから」
「そうなんですか?」
「はい。
 商人は商品を売って代金を受け取ります。
 領主は先に領地から税を受け取って、公益や安全として還元します。
 乱暴な言い方かも知れませんが、同じ事だと思いませんか?」
 多少は窮屈かも知れないがそれほど差はないと、この時点ではリシャールも思っていた。もちろん、リシャールの言うように領地経営の根幹はその通りなのだが、当然、枝葉も生えている場所も複雑怪奇なことになっている。
「……どこまで出来るかわかりませんけれど、私、頑張ります」
「ありがとうございます。
 他の皆さんも、大丈夫ですか?」
 全員が、リシャールの方を向いて頷いてくれた。
「では、明日からはそのつもりでよろしくお願いします」
 リシャールも笑顔で礼を返した。とても嬉しいことである。
「それでリシャールさん」
「なんでしょうか、ヴァレリーさん?」
「リシャール様の婚約者になられる方は、どのような方ですの?」
 やはり、女性陣はそちらの話に興味を惹かれるのだろう。マルグリットとミシュリーヌの目も輝いている。リシャールはまたも酒の肴になることを覚悟しつつ、カトレアの事を話しはじめた。
 但し、本人はそれが惚気であることには気付いていない。
 ジャン・マルクだけが、酒瓶を抱えてやれやれとため息をついていた。

 翌日からは、引継や引っ越しの準備などをしつつ、連絡を待っていたリシャール達だった。
 三人とジャン・マルクには交代で時間を作って貰い、引継の準備も徐々に進めて貰うことにする。ジャン・マルクの部下達も、今月いっぱいでエルランジェに帰還する予定なので、そちらも撤収の準備をしている。
 ただ、皆は本格的な移動日と今後の予定が決定してからでもよかったが、リシャールの方はそうは行かない。いつ王都から連絡が来るかわからないからだ。不測の事態があっても困るので、現金を多めに用意しよう考え、鍛冶仕事に集中した。ラ・ロシェールで売るよりも、結局王都へ向かうことになるのだからとそちらで売ろうと、大物を中心に作ることにする。
 片手の『亜人斬り』の方も、原材料と燃料が十分であれば一日、それらがなくとも一日半で仕上がるようにはなっていた。日々作業に使うゴーレムも、戦闘に使うのではないからと魔力の省燃費化を考えたり、材料の鍛え方も闇雲に鍛えるのではなく、必要十分であれば良いとこちらも省力化を図ったおかげである。
 領地を得たら、風車や水車を使って粉を挽くように、動力を使って鉄を鍛えるような機械を作りたいとリシャールは考えていた。そこそこ力の出せる動力があれば、ハンマーが上下動する程度の原始的な機械ならばリシャールにでも作ることは可能だろう。残念ながら、内燃機関はともかくも蒸気機関さえリシャールには再現できないだろうし、そのような物の噂さえハルケギニアにはない。
 大砲や銃があるのだから、工業分野もある程度技術は進んでいるだろうとリシャールは軽く思っていたが、それらのかなりの部分は魔法によって支えられていた。発射のエネルギー源こそ火薬であるが、この火薬も魔法薬の一種的な扱いであったし、大砲の製造に於いては何をか言わんやである。流石に鉄や青銅の精錬あたりまでは完全に魔法なしでも行われているようだが、工業的に少しでも高度な部分があると、手作業ならぬ魔法作業になるのが一般的だった。
 もっとも、リシャールの方も魔法で色々と都合をつけたりしているのだから、これについては大きいことは言えない。そうでなくては、発泡スチロールの錬金しかり加工場の建物しかり、現代人の部分に由来する知識をここまで上手く活かせよう筈もなかった。
 善し悪し色々あるうちの、善いとこ取りをしていければなとリシャールは思いつつ、気持ちを新たに王都からの連絡を待っていた。

 ハルケギニアでは第三の月になるティールの月の半ば、王都からデルマー商会の人間が四人ほどやってきた。予め連絡も受けていたので、双方に大きな混乱はない。しばらくは、ギーヴァルシュで雇い入れている人々に混じって働き、作業自体に慣れて貰うことになっていた。
 イワシの加工については、これまでも取り立てて複雑なことはしていないが、非常に念を入れた消毒や倉庫内環境の管理等には、彼らも少々驚いていたようだ。また、高級品については特に念入りな消毒と、こちらは味だけでなく見栄えにも気を付けるようにと申し送りをする。
 後は実際の作業に慣れて貰えばいい。リシャールとしても、安心して加工場を引き継いで貰うことが出来る。
 また、合間に行われた査定の結果から、アーシャの寝床を除いた建物の見積もりは、宿舎や倉庫、作業場も含めて八千八百エキューと計算され、その半分がリシャールの手に渡ることとなった。今の売り上げが維持できれば、大体一年で償却出来る額である。
 引き渡しは今月末に決められ、領地を預かる公子とギルドにも既に話は通されている。
 こちらの方は、ほぼ譲渡の準備は済んだと言える状態になっていた。

 デルマー商会から派遣されてきた人々が、日々の作業にも慣れてきた頃。
 リシャールは錬金鍛冶の合間の休憩に、ミシュリーヌの入れてくれた香茶を飲みながらマルグリットと話し込んでいた。
「今更ですけれど、手放すのがもったいない気もしますわね」
「まあ、こればかりは……。
 でも、今度はこれ以上の何かを積み上げるつもりですし、構いませんよ」
「そうですね」
「マルグリットさんをはじめ、皆さんが来てくれるからこんな余裕もあるんですけれどね」
 彼女達三人にジャン・マルクを加えても四人きりの家臣団だが、それでも心強くはある。
 しかし。
 そろそろ王都から手紙が来てもいいのになと思いながらも、未だ祖父からの連絡はない。加工場の引き渡しが済んだ後、叙爵までに妙な間が空いても困るのである。
 先に新領地の開発に手を着けても良いのだが、その間は宿屋住まいとなるだろうし、何より落ち着かない。
「リシャールさん……いえ、リシャール様ならば、良い扱いをしていただけるだろうという気持ちもありますわ」
「あー、誰も聞いていないときなら、今まで通りで構いませんよ?」
「そう言うわけには行きませんわ。
 商会の主と領主様とでは天地ほどの開きがありますし、油断して他の人がいる時にぽろりと言ってしまう可能性もありますわ。
 私も気を引き締めないと……。
 あ、そういえば、新しい領地の名前は決まりましたか?」
「一応候補はあるんですが、貴族院で確認を取らないといけないんですよ。
 同じ名前は使えませんからね、貴族名簿と照らし合わせてからでないと決められないんです」
 リシャールは、第一候補にセルフィーユ、第二候補でフロマージュを考えていますと続けた。祖父には既に確認して貰えるように手紙を送っている。
 セルフィーユは香草の一種、フロマージュの方はそのままチーズのことで、両方とも下見の時に泊まったラマディエの宿屋で出されたサラダに入っていた物である。
 セルフィーユの方はシュレベールの村外れの畑に植えられていたし、そこから見える城館が美しかったので、良い印象を持っていた。
 これぐらいの方が気を張らなくてもいい。リシャールはそう考えていた。セルフィーユはサラダだけでなく、デザートの飾りなどにも使われているように見た目も良いし、『希望のハーブ』という二つ名もあるところも気に入った。
「これで決まれば良いのですけれどね」
「そうですわね」
 名前が重なってさえいなければ多分大丈夫じゃないかなとは、リシャールの内心であったが、決まるまでは何とも言えないのである。

 月末近くになって、ようやく王都の祖父らから返事が来た。他にも、来月頭に簡単ながら叙爵式が行われることに決まったので、今月中、なるべく早い内にこちらへ来るようにと書いてある。やはりヴァリエール公の一筆が効いたらしい。
 また、正式な叙爵までは仮であるが、希望通りセルフィーユ男爵家として無事に貴族院の認可が下りた事も記されていた。トリステインでは一昨年に王が崩御しているから、余程のことがない限り、王家から口が挟まれることはないとのことだった。

 これに伴って、リシャールの名もリシャール・ド・ラ・クラルテからリシャール・ド・セルフィーユと変わることになった。ラ・クラルテの名を残し、リシャール・ド・ラ・クラルテ・ド・セルフィーユでも良かったのだが、余りに長いのもどうかと考えたのである。過剰な修飾にはこだわらないし、実家には悪いが、自分の名前としてはどうも長すぎて居心地が悪かったのだ。
 ちなみにカトレアの方は、結婚後に爵位の返上がなされなければ、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・セルフィーユ・ド・ラ・フォンティーヌと長い名前になる予定だった。ラ・フォンティーヌ伯爵の方が仮称セルフィーユ男爵家よりも宮廷序列が高いので、このような順序となる。一代伯爵の爵位が返上されれば、そのままラ・フォンティーヌが取れることになるだろう。
 また紋章の方は、斜めに重ねた二本の剣の上に意匠化したセルフィーユを配するという、極めてシンプルなものに決定した。これもリシャールの希望による。

 出立やギーヴァルシュでの仕事納めの方は、準備をしていたので慌てるほどではなかったし、マルグリットらに後を託して、リシャールは予定通りに王都へと向かうことにした。
 彼女達には加工場の引き渡しを終えた後、叙爵式までは王都に滞在して貰うことにしてある。宿にはもちろん、魅惑の妖精亭を指定しておいた。女性陣にはどうかとも思ったが、料理も美味しいし何よりスカロンが信用できることが大きい。リシャール自身は、祖父の屋敷と魅惑の妖精亭を行ったり来たりと言うことになるだろう。
 その後マルグリットとミシュリーヌにはアルトワに、ヴァレリーとジャン・マルクにはエルランジェにそれぞれ顔を出して貰ってから、セルフィーユ領に集まって貰う予定になっていた。
 なお、ヴァレリー達はエルランジェで結婚を済ませてくる予定で、更にはジャン・マルクの両親らもセルフィーユに引っ越すことになっている。リシャールはもちろん結婚費用を出した上で、祝いの品を幾つか贈った。
 一つはジャン・マルクの希望を聞きながら少し長めに鍛えた片手剣の『亜人斬り』で、彼は一点物を手にするのは初めてだと非常に感激していた。
 もう一つ、と言うかもう二つは、彼らの結婚指輪である。宝石と金の地金、それからデザインのサンプルにと、ある程度美しい細工が施された、こちらは銀製の指輪をラ・ロシェールで買い込んで、彼らには内緒でこっそりと作っておいたのだ。表面にはそれほど複雑な装飾は施していないが、裏側には彼らの名前と共に永遠の愛、と刻印してある。
 錬金で出来る細かな金属加工には限度があるが、リシャールは型を作って、それを利用することで作業をすすめた。細かな刻印を指輪に裏側に彫り込むのには、鏡文字にした言葉を凸に彫った型がねを作り、それを幾度も修正することで綺麗な物に仕上げ、それを輪にする前の指輪の裏側へと打刻した。もちろん、錬金の呪文も平行して使うことでよいものに仕上げてあった。
 これらの作業に必要な物として、虫眼鏡まで作る羽目になったのはご愛敬である。最初は精度の甘い物しか作れずに苦心したが、丸一日かけて実用に耐えるものが完成した。光学の知識はもちろんないので、単なる両凸面のレンズを木枠にはめ込んだだけのものだが、機会があれば眼鏡職人に基礎的なことを習いに行ってもよいかと思えた。
 実はカトレアに贈る指輪の練習台になって貰ったのは、彼だけの秘密である。こちらの方も、既に仕上げを済ませてあった。

 それらはともかくも。
 引っ越しに当たってリシャール自身の荷物も幾らかはあったのだが、一番扱いに困ったのが年始にラ・ロシェールで買った銃弾だった。こっそりと小物入れを仕立てて何気ない荷物を装い、他の物と一緒に行李にしまい込んである。これは他の荷物と共にマルグリットに預けてしまうつもりだった。
 このハルケギニアでは超高性能品とも言える銃弾の火薬、この解析や錬金に手を着けることに、未だに踏ん切りがつかないのだ。
 『亜人斬り』と使い道に大差があるわけでもないのにと思っても、規模と影響の大きさから、やはり躊躇してしまっている。ただ、今後はもしかしたら必要になるのではないかと、思わないでもないのだ。
 ついでに言うとリシャールは、セルフィーユで鉱山の開発を目論んでいたが、結局の所、これは軍需産業に手を着けるに等しい。仮に鉄材として売ったとしても、最終的にはほぼ同じ事だ。鉄骨を使った建物なども無いわけではないが、ハルケギニアで建物に使う主な建築材料と言えば木と石だったし、民需と軍需では、明らかに後者の方が需要が大きかった。
 程度問題ではあるが、自身の良心にはなるべく余計な責任を持ち込みたくないリシャールのこと、少々悩んだ部分である。こればかりは誰に相談をして答えを得るものではないので、自分でよく吟味してから答えを出さなくてはならない。安易に自らのたがを外せば、坂を転がり落ちるワイン樽の如く、取り返しの着かないことになりかねないのだ。
 最近では、叙爵やそれに伴う諸々が落ち着いた後、錬金だけは出来るように解析と試作は行い、基本的には世には出さないのが良いかと考えていた。中途半端に後回しにしたような気もするが、これが一番無難な線引きであろう。
 今のところはこれでよいとは思うのだが、少々不安も残る決断だった。

「それでは、王都でお会いしましょう」
 今月も残すところ数日となったティワズの週、全ての用意を調えたリシャールは、皆の見送りを受けていた。
「『会頭』もお気をつけて。
 後のことはお任せ下さい」
「次にお会いするときは男爵様か領主様、ですわね」
「いってらっしゃいませ!」
「良い旅を、『領主様』!」
 それぞれの笑顔にリシャールも笑顔で返し、アーシャに跨った。
「では皆さん、お先に!
 アーシャ、出発して!」
「きゅー!」
 アーシャも見送りの皆を見比べるようにしてから、大きく羽ばたいて、上空へと舞い上がった。
 遊びに来ることぐらいはあるかも知れないが、リシャールがギーヴァルシュで過ごすのは、今日が最後である。今見下ろしているこの加工場も、数日後にはデルマー商会へと引き渡される予定だ。
 北モレーの海岸でイワシと格闘を始めた日々から数えれば、約半年もの間、ここを帰る場所と定めて過ごしたことになる。
「さ、行こうかアーシャ」
「きゅー」

 さらば、ギーヴァルシュよ!

 ……などと叫ぶような恥ずかしい真似はしないが、幾度もの往復で慣れた王都への空路も、少々感慨深いものになりそうだった。







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