ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第二十九話「領地と爵位(前)」




 リシャールは、久しぶりにギーヴァルシュの加工場へと戻っていた。丸一月も留守にしたのは流石に初めてだ。
 マルグリットらに歓迎されて、事務所で報告を受ける。ラ・ヴァリエールにいたことは私事に属することなので、迷惑を掛けたなあと、身が小さくなるリシャールだった。
 報告ついでに、エルランジェから派遣されてきた兵士らの挨拶を受ける。
「リシャール様、自分がギーヴァルシュ派遣軍指揮官、ジャン・マルクであります」
「副官のカンタンであります」
「ディミトリであります」
「ギヨームであります」
「モリス様の命で先月よりこちらに駐屯しております」
「ご苦労様です、皆さん。
 皆さんのおかげで商会が無事を得ましたこと、心より感謝します」
「は、もったいないお言葉であります」
 ジャン・マルクにはなんとなく見覚えがあった。野盗討伐の時に見かけたような気がしたのだ。
「まあ、堅苦しいのはこのぐらいにして……。
 それにしても、ギーヴァルシュ派遣軍とはまた大仰な名前ですね」
 四人で派遣軍とは、まったくもって内実が伴わないような気がする。
「名前につきましては、モリス様自らが外征軍扱いにすれば手当が余計につくだろうと、気を回して下さいましたのです」
「お祖父様が……なるほど、そういうことであれば納得です」
「また、ギーヴァルシュの領主様への当てつけも含まれておるそうで……」
「あー……」
 祖父にしてみれば、その方が面白いからだろう。嬉々として、外征軍扱いにするための書類を作る祖父の姿が思い浮かんだ。目的地にギーヴァルシュと書き入れる瞬間は、とてもよい笑顔だったに違いない。
「今のところ戦は三勝三敗と五分ですが、次は必ず勝ちますので」
「は?」
 祖父に領地を切り取ってこいとでも言われたのであろうか。
「リシャールさん」
「えーっと、マルグリットさん?」
「派遣軍の皆さんは、ギーヴァルシュの衛兵の方々と、酒場での飲み比べという戦争を時々なさっておられます」
 親友であり悪友でもある老貴族の部下達は、その薫陶も厚いようだった。マルグリットが少々呆れ気味であったが、白黒はついても誰も傷つかないし、これでいいのだろう。
「そういう勝負であれば、大いに賛成です。
 勝ち戦には、私の方からも報奨を出すことにしましょう」
「これは張り切らざるを得ませんな。
 ご期待に応え、次回は必ず勝利いたします」
 リシャールとジャン・マルクは、がっちりと握手を交わした。
「そういう笑顔をされるとモリス様そっくりですな」
「楽しいことに力を入れるのは、血筋かも知れませんね」
 リシャールも、そうであればいいなとは思う。
 元現代人であることはさておき、モリスの孫であることは、確かに嬉しいことだった。

 翌日からリシャールは、マルグリットらと相談した結果を元に、加工場の増設や改修に全力をあげた。長く空けていた分、色々と疎かになっていた部分を補わなくてはならない。
 既に十数棟ある倉庫をさらに増築し、作業場なども増員を目論んで増やした。これでもまだ三分の一ほどは更地であるが、高い金額を支払ってでも広い土地を借りたのはよい決断だった。
 レビテーションだけはかなり慣れてきたミシュリーヌを助手に、次々と更地に建物を増やしていく。合間に魔法の練習もつけていったが、ミシュリーヌは兄と同じく火のメイジだった。リシャールは基礎ならばともかくも火系統はそれほど得意ではないので、基礎を教えてからの話にはなるが、アルトワに戻すか王都に連れていくかしてもいいなと考えた。
 少し落ち着いてからは、岸辺から船にロープを繋ぎ、そこから海中を覗き見ながらでゴーレムを操作する実験も何度か行った。船と言っても錬金で作った発泡スチロール製の筏を木材で補強したものだったが、それでも役には立ってくれた。水中を覗く船眼鏡も、ガラス板と木枠で自作したものである。錬金様々であるが、こうした道具も買えばそれなりの値になるので馬鹿には出来ない。水中では、さすがにゴーレムも緩慢な動きしかさせられなかったが、昆布を収穫するのには十分だった。その時に綺麗な貝も幾つか見つけたので、手紙に添えてカトレアに送ってみたりもした。

「マルグリットさん。
 月末から、またしばらくこちらを空けることになりますので、宜しくお願いしますね」
「今のところ殆どの懸案は片付きましたから、大丈夫ですよ」
 リシャールはこちらに戻ってから、マルグリットらの給与の引き上げも行った。流石に申し訳なさすぎたのである。ジャン・マルクらにも報奨金とは別に心付けを渡しておいた。
 同業他社の参入でそろそろ頭打ちかとも思われたが、売り上げは今も伸びている。やはり、高級品の投入が功を奏したようだった。ラ・クラルテの油漬けは市場に於いても十分に一級品として認められているとは、マルグリットの言である。今月などは増築後すぐに人を入れたせいもあり、総売上が三千エキューに届きそうな勢いだ。利幅は相変わらず少ないが、それでもリシャールの手元に二百エキューほどは残りそうだった。

 やがて祖父からの手紙も届いて、予定通りに王都へと向かう準備も整った。
 ただ、少し困った問題が持ち上がっていた。
 加工場を任せているヴァレリーが、派遣軍指揮官ジャン・マルクと結婚したいと言うのだ。
「ジャン・マルクはとても真面目な人ですわ。
 私にも、とても親切ですの」
「あー、一目惚れであります」
 ヴァレリーは未亡人だったし、ジャン・マルクも独身だったから問題はない。リシャール自身も祝いたい気持ちではあったのだが、それぞれ勤め先への影響が大きいのだ。
 今ヴァレリーに辞められては加工場の効率が落ちることが明白であり、ジャン・マルクは派遣任務が終わればエルランジュへと帰還せねばならない。リシャールは、少し時間が欲しいのでしばらく結論は待ってくれと言うしかなかった。
 可能なら、ジャン・マルクを祖父の領軍から引き抜いて雇いたいところであったが、こればかりは祖父に聞くしかない。二人を引き裂く気は毛頭なかったから、断られた場合はリシャールが折れなくてはならなかった。残念ながらアルトワでの募集の方は芳しくなかったので、補充の当てもない。
 祖父には機嫌を損ねない程度にお願いして、駄目なら
ヴァレリーを快く送り出そう。リシャールはそう決めた。

 その月最後の虚無の曜日、リシャールは皆に見送られて王都へと向かった。
「しばらくは王都ですが、ラ・ヴァリエールにもお伺いするので二週間程度の留守になります」
 先週のうちに、祖父とヴァリエール公には手紙を出しておいた。
「はい、お気をつけて、リシャールさん」
「モリス様にはくれぐれもよろしくお伝え下さい」
「ええ、どちらにしてもヴァレリーさんとジャン・マルクさんが一緒にいられるようにはしますので、安心して下さい」
「いってらっしゃい、リシャールさん」
「はい、いってきます」
「きゅるー!」
 生憎の小雨だったが、こればかりは仕方がない。雪でないだけ感謝せねばならなかった。普段は使わない獣脂を塗った外套を余計に着ているのだが、それでも寒い。
 王都まで寒さに震えながらアーシャに乗り続け、祖父の屋敷についてすぐに風呂を借りたリシャールだった。雨に濡れたアーシャのことは少し気がかりだったが、霧雨を抜けて飛ぶのは面白いくて気持ちいいと言っていた。水竜ではないので大丈夫かと心配したのだが、杞憂だったようだ。
「どうじゃ、よう温まったか?」
「ようやく生き返りましたよ」
 手にはビール麦の茶を持ったまま、リシャールは答えた。
「明日の昼前には皆ここに集まるのでな、今日の所はゆっくりとせい」
「はい」
 そういえば話の中身を聞いていなかったなと、今更のように思い出したリシャールだった。
「お祖父さま、その時にお話される内容は、まだ教えてはいただけないのですか?」
「ん?
 すまんがあ奴らとの約束での、中身はその時まで秘密じゃな。
 まあ、めでたい話じゃから安心せい」
「はあ」
 めでたいと言えば、祖父に話しておかねばならない懸案があったことを、リシャールは思い出した。
「お祖父様、少々ご相談がございます」
「なんじゃ?」
「派遣軍のジャン・マルク殿の事なのですが」
「うん?
 ちと融通は利かんが、真面目でいい奴じゃろ?
 平民ながら、なかなかに見所があってのう」
「はい。
 ですが、ちょっと困ったことになりまして……」
「何かやらかしおったのか?」
 祖父の目が少し厳しくなった。自領の、それも軍人が他の領地で問題を起こしたとなれば、場合によっては醜聞となって厄介なことになる。
「不行状や罪と言った問題ではありません。
 真面目で信用できる人間であるというのは、私も感じております。
 いえ、それ故にそうなったのかもしれません。
 実は、うちの加工場長は二十代半ばの美人の未亡人なのですが……」
「あー、皆まで言わんでよい。
 ……恋仲になったんじゃな」
 モリスは額に手を当て、ため息をついた。
「はい、ご想像の通りです。
 ただ、うちも加工場長を引き抜かれると困りますし、ジャン・マルク殿を派遣軍指揮官としてずっと置いておくにも問題があります。
 引き抜いてしまうと今度はお祖父様への不義理になってしまいますし、かと言って二人を離す気にはなれません」
 身分違いというわけではないが、二人の恋路には少々障害があった。自分とカトレアのようなものではないにせよ、それぞれが責任ある立場を任されているので、どちらかが折れなくてはならない。これは、雇い主であるリシャールやモリスの問題になる。
「二人には、お祖父さまにご相談するまで待ってくれと言ってあります」
「ふむ。
 ……リシャールよ、ジャン・マルクには年老いた両親がおるが、それは聞いておるか?」
「いいえ」
 初耳であった。
「それに見合う給料は出してやれるな?」
「お祖父さま?」
「ここで突っぱねるようなら、わしが悪者になってしまうではないか。
 ならば許すしかあるまいて」
「申し訳ありません、お祖父さま」
 リシャールは頭を下げた。祖父は折れてくれたのだ。
「その代わり、きっちりと責任は持つのじゃぞ。
 商会にとっての雇用人とは、領主にとっての領民と同義じゃろ?
 あだや疎かにしてはいかん」
「はい、心に留めておきます」
「うむ。
 ああ、ジャン・マルクには一度嫁を連れてな、わしのところに顔を出せと言うておけ」
「はい、お祖父様」
 とりあえず、この件に関しては無事の解決を見たようで、リシャールも心から祖父に感謝した。

 翌日、祖父の予告通りにギーヴァルシュ侯やアルトワ伯が、エルランジェの屋敷を来訪してきた。
 昼食を兼ねた軽い酒席が設けられ、エルランジェ自慢の香味酒が振る舞われる。見知った顔ばかりなので、礼儀はともかく、リシャールも緊張はしていなかった。
 午後もまわった頃、そのままテラスで歓談するというご婦人方とは別れて、当主達とリシャールは応接室の方へと移動する。
 リシャールは少し驚いた。応接室にはトリステイン全土が描かれた軍用地図が広げられていたのだ。資料らしき分厚い本も、何冊か一緒に用意されていた。
「では、本題に入ろうかの」
「そうじゃな」
「そうですね」
 ほんの一瞬だけ、内乱でも起こすのかとリシャールは穿った目を三人に向けてしまった。だが、後ろ暗い様子はまったくなさそうで、これはリシャールが気を回しすぎただけのようである。
「アル、頼む。
 話を持ってきたのはお主じゃからな」
「うむ、心得た。
 リシャールよ」
「はい、アルチュール様」
「お主には半ば断りもなく話を進めておったのじゃがな。
 ……リシャール、お主、土地持ちの貴族にならんか?」
 どういうことだろうかと、リシャールは首を傾げた。話が突飛すぎて思考が停止してしまったのだ。
「実はな、近く王領の一部が売りに出されるのだが、わしにもその話が回ってきてな。
 しかし、それを任せられる子や孫がおらん。
 他にも何人か知り合いの貴族をあたってみたが、芳しい返事は得られぬままだった。
 そこで思いついたのが、リシャール、お主だ。
 優秀で信用を置けるという意味では、そこらの若者が束になっても敵わんだろう。
 お主ならばな、そこのくそじじいの孫であるし、歳の割に見所もある。
 無論、ここに集まった三人は皆同意しておる。
 お主の後ろ盾となることも確約しよう」
 アルチュールは一旦締めくくって、他の二人と共にリシャールを注視した。






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