ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その五「ゲルマニアの密偵」




 コンラート・フォン・ドレッセルは、仕事熱心な男だ。
 少なくとも自分ではそう信じていたし、周囲の評価も似たようなものだった。宮仕えを選んだのは、実直な性格故だろう。彼は地味で根気の必要な仕事にも勤勉にあたり、その期待を裏切らないように努力を続けてきた。
 結果、魔法を使えないにも関わらず、最下級の一代勲爵士とは言え貴族へと叙されたのは、正統な評価と言えた。数千エキューも支払えば、ここ帝政ゲルマニアでは誰でも得られる程度のものだったが、俸給以外にも僅かながら年金が出るようになったので、コンラートとしてはありがたい限りであった。
 今回彼に与えられた任務は、トリステイン北東部にある男爵領の予備調査である。新しく誕生した男爵家とあって下調べしようにも資料は殆どなかったが、それをも含めた仕事であった。
 彼はゲルマニア政府の情報組織に所属する、通称『長い耳』と呼ばれる種類の密偵だった。彼自身も軍人や軍属ではないので階級は持たないが、班長格として数人をまとめる立場である。
 『長い耳』は荒事や違法行為は一切行わない。彼らには、ただひたすら目立つことなく、あらゆる情報をゲルマニア中央へと流すことが求められた。コンラートの様に随時目的地へと派遣される者もいれば、長期間定住して任務を果たす者もいる。
 これらの情報を元にして分析と評価が行われ、他の部署が動く時の基礎資料とされるから、公然とした組織ではないがそれなりの規模を誇っていた。

「もうすぐ領境だな」
 コンラートは、主にトリステイン方面の担当をしている。表向きの身分は鉄製品を扱う行商人で、あらゆる場所に足を向けても不自然には映らない。鉄の国を標榜するゲルマニアの人間が異国を旅するのに、これ以上の理由はないのだ。もちろん、実際に商売もする。これも偽装の重みを増すのに必要なことだった。
 今回の目的地、セルフィーユ男爵領へは、海沿いの大して交通量もない街道を道なりに進んでいくと迷い様もなく到着する。海路という選択肢もあったが定期便の航路には含まれておらず、大回りにはなったが道中で噂も聞けるかと、今回は荷馬車を都合して陸路を選んだ。彼の他にも、数名がこちらへと派遣されている筈である。
 無論、大回りした収穫はあった。やはり現地かその周辺でないと集まらない情報も多いからだ。目的地に入る前にそれなりの情報を手に入れて、頭を慣らしておく意味もある。
 領主は年若いながらも、優れた人物であること。セルフィーユはこのあたりに比べて税も安く仕事があること。時々竜を見かけること。豚や野菜など、食料品がよく売れること。
 それら噂話の本格的な分析は本国で他の情報とつき合わせてからのことになるが、コンラート自身もこの仕事は長いので、いくらか想像をつけることが出来る。
 食料品の流入から人口の増加は明らかであるし、竜を飼えるだけの経済力も持っているようだった。最初に渡された資料の中には今年の春に爵位を得たばかりとあったが、わずか数ヶ月で上向きの領地経営をしている侮れない領主であることは間違いない。参謀格の代官でもいるのかもしれないが、それも上手く使ってこそである。傀儡の可能性もあったが、評判を考えれば可能性は低いだろう。
「ん?」
 コンラートは領境を越えてすぐに違和感を覚えた。それまでと比べ馬の足取りも軽く、路面から伝わる震動も少ないのだ。明らかに道が良くなっている証拠だ。
 いよいよ以て、コンラートの想像が裏打ちされてきたようである。

 街に着いたコンラートは、早速宿屋に部屋を取った。割に早い時間だったが既に混雑しているらしい。長逗留の木賃客が多いようだ。
 女将にギルドの場所を聞き、そのままそちらに向かう。
 セルフィーユのギルドは、それほど大きくもないが独立した建物であった。古びてはいるが、よく手入れされている。
「行商か?」
「ああ、鉄製品だ。鍋釜に農具、他にも一通り積んである。
 一応、銅鍋やら燭台なんかの鉄以外の品も扱ってるが……」
 呼ばれて出てきたギルドの長らしき五十絡みの人物は、それを聞いてふむふむと頷いて見せたあと、少々困ったという顔を向けてきた。
「商売の邪魔をする気はないが、ここにゃ新しく出来た鍛冶工房があるからな。
 あまり売れ行きは期待出来んぞ?」
「そうなのか!?」
 鍛冶工房があるとは、資料にも載っていなかった。ここは、小売りから仕入れへと、態度を切り替える必要があるようだ。
 この領地の規模では、鍛冶屋はともかく鍛冶工房を構えるほどの消費は期待できないから、外へと売りに出すのだろう。そう言えば、資料には鉱山があると記されていたかと思い至る。
「ああ、値段の割に質はいい。
 ……うちの店にも置いてあるが、見ていくか?」
「いいのか?」
「あんたの売り上げには貢献出来んがな、仕入れなら口も利いてやれるってことさ」
 今度は得意そうな笑顔だ。なるほど、鍛冶工房の方から紹介料でも入るらしい。口も態度も軽くなろうと言うものだ。
 早速品物を見にいくことにして、彼の店へと向かった。仮初めの行商人とは言えど、この仕事も長いので目利きぐらいは出来る。
 鍬と鉄鍋を見せられたが、確かに品質はいいようだ。値段も手頃である。高級品とは言えないが、普及品の価格でこの品質ならば、ゲルマニア国内でも売れるだろう。
「確かにこの値付けでこの品質なら、悪くないな」
「だろう?
 鍛冶工房は同じ領内でも隣村だからな。
 こっちでも口利きしてるってわけだ」
 これはある程度、深く調べた方が良いかも知れなかった。これらの商品には、競争力が十分にあるとコンラートは見て取った。例え国外の一部地域であったとしても、ゲルマニアが手中に収めている市場を圧迫されるのは厄介である。
 ここは彼の口車に乗っておくことにして、コンラートは鍛冶工房への案内を頼んだ。

 コンラートはギルドの親父が連れてきた小僧を同乗させて、鍛冶工房とやらへ向かう。
 驚いたことに、街道よりも広い領道が港から山手へと続いている。それも、幅寄せせずに馬車がすれ違える程の広さだ。
「これも領主様が来られてからかい?」
「はい、そうです。
 あっと言う間に道が綺麗になりました」
「……あの橋も?」
「はい」
 行く手に黒い石組みで出来た、道と同じ幅を持たせた頑丈そうな橋が架かっている。相当な金の掛け方だ。もしくは、魔法か。
「あれが領主様のお城ですよ」
「ほう……」
 左手に、今時珍しく立派な城壁を備えた小さな城郭が見えてきた。建築様式を考えるとかなり古いもののようだが、新しくせずにそのまま使われているらしい。
「そこを左に曲がって下さい。
 鍛冶工房は村外れにあるんです」
「わかった」
 すぐに、川のほとりに軒を連ねる二軒の鍛冶場が見えてきた。一つは煙を上げている。それほど大きな建物ではない。品質から察するほど、大きな工房ではなかったようだ。警戒するほどではないのかも知れない。
「親方ー、お客さんです!」
「おう、いつもすまんな。
 ……おっと、初顔かな。買い付けの方で?」
 荷馬車を見て取ると、親方らしき人物は早速話を切りだした。
「ああ、街で品物を見せて貰ったんだ」
「今はそれほど数はないんだが、とりあえず見てくれ。
 ……おっと、気をつけて帰れよ!」
「ありがとー!」
 小僧は来た道を歩いて戻ろうとしていた。商談になれば時間も掛かるだろうが、街まで歩くには少々遠い。
「おい、帰りも送ってやるぞ?」
「領主様の馬車があるから大丈夫ですよ!」
「馬車?」
 商店の小僧のために、わざわざ領主が馬車を出すのだろうか?
 コンラートは首を傾げた。
「ああ、あんたの思ってるようなことじゃないよ」
 コンラートの様子に気付いたのか、親方が口を挟んだ。
「どういうことだい?」
「領主様の荷馬車がな、下の街とここの村とを往復してるんだ。
 順番さえ守れば誰でも乗っていい。
 領主様が用事で馬車をお使いになられるときは休みだが、それでもありがたいもんさ」
「へえ……。
 でも、そんなに頻繁に行き来してるのかい?」
「一日に五回ぐらい……いやもっと多かったかな?
 ちょっとした買い物でも、歩いて行かなくて住むからな。
 こっちの村に住んでる俺達には便利なもんだよ、実際」
 領内の活性化に役立てようとでも言うのだろうか。人の流れが出来れば、後は放っておいても金が流れる。座席のない荷馬車でも、無料ならば誰も文句は言うまい。
「大したもんだ」
「ああ。
 ……おっと、品物はこっちだ。
 ついてきてくれ」
 案内されて工房にはいると、数人が手分けして鎌を作っていた。それを横目で観察しながら、奥の倉庫へと入る。
「今出せるのは、包丁と鍬の頭だな。
 悪いがそっちの鎌は予約の品なんで、今回は諦めてくれ」
 それほど数はないと言いつつも、鍛冶工房の規模からすれば相当な量の品物が積まれている。当然ながらどれも新品で、倉庫には錆止め油の臭いが漂っていた。
 一声かけてから品物を検分する。品質は先ほど見た物と同じ様な、並の上というあたりだろうか。親方の腕がいいのか、同じ品同士を見比べるが歩留まりも良さそうである。
「包丁の方は一本九十スゥ、鍬の頭は三エキュー半だ。
 どうだい?」
 コンラートは内心をおくびにも出さず、親方に十数エキューを支払って包丁と鍬の頭を幾つか仕入れた。仕入れ値の方は思ったより安くはなかったが、これも報告に上げておくようにしよう。買った品物は本国で鍛冶師に回されて、材質や程度を詳しく調べられることになるだろう。
 コンラートは礼を言って鍛冶工房を後にした。

 帰りがけに村の方にも寄ってみたが、活気がないというよりも、働き手の殆どが仕事に出て留守にしているようだった。商売になりそうもなく、世間話にも困るような閑散振りだが、理由はすぐにわかった。
 コンラートの来た道から荷馬車がきて、大人数を降ろしていったのだ。なるほど、あれが領主様の荷馬車とやらのようだ。主婦達は、連れだって下の街へと買い物に出掛けていたらしい。
 何人かつかまえて、世間話ついでに暮らしぶりを聞き取る。
「うちの旦那も山仕事の合間に道の工事とか倉庫の新築とかで、ずいぶんとお給金を弾んで貰ったよ」
「あたしらの娘も、お城にご奉公できて言うことなしだね」
「里帰りも何も目と鼻の先だから、週に一度は顔を出してくれるしねえ」
「納める税も下がったし、今年はずいぶんと楽が出来そうだわ」
「あれでうちの娘より年下なんだから、大した領主様だよ」
「始祖様に感謝しなくちゃいけないねえ」
「そういえば教会も新しくなったから、司祭様が来られるかもしれないわ」
 主婦達の話はとりとめのないものだったが、山村の割に暮らしぶりは良いようだ。今も目の前の彼女達は、手に手に買い物を持っている。品物に目を向けると、生活に必要な物ばかりではなく銘のあるワインなどを手にしている者もいるから、嗜好品に手を出せるほど豊かなのだろう。
 どうやらこれも、領主様とやらのおかげらしい。

 ひとしきり話を聞いた後、再び街へと戻る。
 今度は港へと足を向けてみることにした。
 驚いた。
 定期便はないと聞いていたので大した規模ではなかろうと思っていたのだが、桟橋こそ一本しかないものの、少し離れた場所には十数もの倉庫が建ち並んでいる立派な港だった。しかも、それぞれが新しい。
 騒がしい方に目を向けると、午後の遅い時間にも関わらず、少し離れた海岸で漁船が魚を降ろしていた。その魚はと言えば、加工品にでもされるのか、海岸に沿って煮炊きをする竈が幾つか並んでいて、それぞれに人々が取り付いている。
 散歩を装って近づいてみると、干物や油漬けの類が作られているようだ。先に立ち寄った村でも食べてみたが、油漬けはなかなかに旨いものだったと思い返す。ここで加工されたものが周囲へと売りに出されているのだろう。
 海の方も活気があって、人々の顔も明るい。明らかに周囲の他領とは雰囲気も違う。
 これもまた報告すべき事柄として、頭の片隅に置いておくべきだった。

 そのまま街に戻ると小さな広場に人だかりが出来ていて、兵士を中心に人々が集まっていた。コンラートも近寄ってみる。
「あー、諸君、領主様よりのお触れである。
 心して聞くように。
 一つ、城の使用人のうち、侍女と従者を追加募集するので、働きたい者は、来週までに庁舎か城に申し込むこと。詳しい条件はその時に聞かされる。
 一つ、シュレベールの村で鉱山労働者を募集中である。仕事はきついが昼食付きで日当は一日六十スゥ、こちらの希望者はシュレベールの鉱山事務所に申し出ること。
 一つ、次回の王都往復便は来週ヘイムダルの週ユルの曜日出発とし、更にその翌週エオローの週エオーの曜日にこちらへと戻る予定である。同行希望の者は庁舎か城まで申し込むこと。
 一つ、暑さが厳しくなってきたので、外で働く者はいつもより休憩を多く取り、なるべく帽子を用意すること。また、汗の多い者は水も多く摂るように。疲れた時はレモンや酢漬けを食べると回復が早い。
 ブリミル歴六二三八年アンスールの月エオーの曜日、男爵リシャール・ド・セルフィーユ記す。
 ……以上である」
 隊長格の兵士はその場にある高札に読み上げたばかりのお触れを張り出すと、別の場所でも同じ事を行うのか、数枚の紙束を持った部下と共に去っていった。
 コンラートも高札の近くによって眺めてみる。田舎町らしく、のんびりとしたお触れであったが、見過ごせない点が一つあった。
 王都往復便である。
 『次回の』と銘打ってあるからには、定期的に王都トリスタニアから荷や情報が入ってくるということであり、距離は近くとも連絡のない場所に比べれば、遥かに中央に近いと言える。大して大きな街もないこの地方では、文化的にも商業的にも一つ格上の地方都市に育つ可能性があった。
 これも報告に記しておくべきだろう。

 コンラートは更にしばらく街を冷やかした後、夕暮れになって宿屋へと戻ってきた。下の酒場もそれなりの混雑振りで、彼も料理とワインを頼んで隅っこに陣取る。
 相席になった男に適当に話を振ってワインを勧めながら、今度は領主自身の事について聞いてみる。男はすぐ饒舌になって、コンラートの知りたいことを話してくれた。
「領主様は御歳十三でな、さる名家のお孫さんなんだそうだ。
 家を継ぐ立場じゃあなかったが、あんまりにも優秀なんでそのお年で男爵様になったってえ話だ」
「ほう、そりゃすごい」
 年若いとは道中で聞いていたが、幼いの間違ではないだろうかとコンラートは思った。
「だろう?
 それも、ここらは元々別々の領地だったんだがな、爵位と同時にひとまとめに継がれたんだ。
 二つの領地をいっぺんにってのが、またすげえやな」
「大したものだな」
 男にワインを注いでやると、更に口の滑りが良くなったらしい。話の中身は隠すことでもない内容だが、コンラートにとっては、きっちりと持ち帰らねばならない大事な情報である。
「それまでは王都から来た代官が威張ってたもんだが、領主様はお優しくてなあ、税も下げてくだすったばかりか、仕事も与えてくだすってよ。
 ここらのもんは皆知ってるが、最初はここの二階で寝泊まりして、俺達と一緒に汗水流して働かれてたんだぜ。
 もちろん、杖を振るってだがよ」
「そう言えば、道が新しかったな」
「おう、それだよそれ。
 最初のうちはおっかなびっくりだったがな、領主様はそりゃもう一生懸命だったんだわ。
 それに、働くと言っても苦役じゃねえ、普通に雇われてよ、お給金が出るんだ。ありゃあ、ありがたかったなあ。
 おかげで仕事が無くて食いっぱぐれそうになってた奴らもよ、一息つけたなあ。
 誰も口には出さねえが、もう半年領主様の来るのが遅けりゃ、みな逃げ出してたぜ。
 そりゃもう、口々に新しい領主様を遣わしてくだすった始祖様に感謝をしたもんさ」
 男は酔っていながらも、もごもごと始祖への感謝を口にした。
「ああ、それになんと言っても領主様がすごかったのは、ベルヴィール号の座礁の時だな」
「船が座礁したのか!?」
 最近の話だろうか、これもコンラートは初耳だった。
「ああ、でもみんな助かった。
 怪我した船乗りもいたけどよ、今はもうみんな治って沖に出てる。
 ……ああ、あん時にゃ竜に乗った領主様がな、海の上を右へ左へと凄い勢いで飛んで回って、海に落ちた連中を拾い上げてらしたんだ。
 助け船ももちろん出てたがな、沖に流された連中もあっと言う間に見つけて下すってなあ。
 それ以来、海のもんは領主様の竜見かけると、魚食わせて縁起担いでるな。
 そりゃでかくて見た目は恐いが……えーっと、使い魔ってえのか?
 俺も近寄ったことはあるけどよ、ずいぶんと大人しいんだわ」
 先ほど領主は十三と聞いた。その年で使い魔を喚び出す者もいるが、竜を喚ぶとなると間違いなくメイジとしても傑物であろう。
 しかし、と頭を切り換えて、コンラートは気になっていたことを聞いてみた。
「だが、そのお年で領地を切り盛りするとなると色々大変だろう?
 こう、守り役の執事さんや家臣の方たちも、やっぱりすごいのかい?」
「うん、おお、もちろんすごい! ほんとにすごいぞ」
 男は何を考えたのか、にやにやと笑った。
「筆頭家臣のマルグリット様はまだ二十歳前の綺麗なお嬢さんだし、お城のヴァレリー様は領軍の隊長さんと結婚したばかりだそうだが、やっぱり美人だ。
 あとは領主様お抱えのメイジ、ミシュリーヌ嬢ちゃんも歳は領主様と同い年って話だが、これまた将来は美人だろうな」
「……なるほど、そりゃ確かにすごい。
 でも、肝心の政務はどうなってるんだ?」
 屋台骨になる人物は居ないのだろうか。美人に囲まれて羨ましい限りだが、そんなもので領地が経営出来るはずもない。
「うん、お裁きなんかも領主様がしてなさるよ。
 元はそこそこ大きい商会の会頭さんだったらしいからな。
 それを抜きにしてもよ、前の代官とは鶏と竜ぐらいの差があらあな」
 十三歳で元会頭というのは眉唾ものだが、経営ということならば頷ける部分も多少はあろう。しかし、その年で名実ともに領地を掌握するとなると、これはとんでもないことだ。
 その後もしばらくコンラートは話を聞いていたが、結局、男の口からは領主に対しての非難がましい意見は聞けなかった。先に酔いつぶれてしまったのである。

 翌日、コンラートは荷馬車に乗ってセルフィーユを後にした。行商人の振りをしている手前、長居しすぎるわけにもいかないのだ。本国の帝都へと帰り着くまでには長い道のりだが、考えることは色々ある。
 結局、領主本人には会えなかった。
 しかし、集まった話や見聞きしたものを整理してみると、ゲルマニアにとっては目障りな存在であると判断せざるを得ない。
 知恵も回り、領民に慕われ、その上有力なメイジである隣国の領主など、迷惑以外の何者でもなかった。本人の人柄や人望が幾ら素晴らしくとも、仮想敵にしかならないのだ。
 彼がコンラートと同じゲルマニアに産まれていればまた話は違ったのだろうが、その仮定は無意味であった。

 数週間後、ゲルマニア本国では幾人もの密偵が集めた情報が整理され、トリステイン方面の基礎資料としてまとめられていた。コンラートの集めた情報も、もちろんその中には含まれている。
 だが、コンラートに命令を下した情報組織の上層部がセルフィーユを調べようとした理由は、コンラートの思うような、新しい領地と領主の情報を有事に備えて集めておく為のものではなかった。彼も、情報をまとめる段階に入って、初めて知らされたのである。
 それらはまとめられた報告を見れば、一目瞭然であった。


【製鉄技師の国外誘致問題についての報告】

 先に報告のあった、トリステイン王国アルトワの鉄商コフル商会を通して製鉄技師を探している人物とは、トリステイン北東部の領主、リシャール・ド・セルフィーユ男爵と確認された。
 セルフィーユ男爵は十三歳という異例の若さで領主となり、領内を自ら掌握して手腕を振るっているとされる。使い魔として竜を使役する土のメイジで、領民からの人望も厚い。叙爵以前より海産物を扱う商会を持ち、個人的な資産もかなりのものを有しているようだ。
 セルフィーユ男爵は領内の鉱山開発のために、製鉄技師のみならず、鍛冶師なども集めている模様である。但し、男爵領は好景気でこそあるが未だ開発途上であり、現在のところトリステイン国内に於いてさえ大した影響力は持たない。
 セルフィーユ男爵家そのものは有力諸侯とは言い難いが、その後ろ盾には、現セルフィーユ男爵の祖父であるエルランジェ伯爵をはじめ、ギーヴァルシュ侯爵、アルトワ伯爵らが名を連ねる。また未確認ながらも婚約者がおり、その相手はラ・ヴァリエール公爵家の令嬢との情報もある。こちらについても早期の確認が望まれる。
 (中略)
 領内は道路網や倉庫街なども整備されつつあり、十年単位の視点で見れば、十分に脅威となりうる可能性も見逃せない。但し、諸事情を鑑みるに、セルフィーユ男爵の製鉄技師の勧誘については消極的妨害に留めておくべきであろう。
 また、セルフィーユ男爵および同男爵領に対しては今後も継続的に調査を行い、脅威度の判定を随時更新すべきであると考えられる。
 (報告責任者 コンラート・フォン・ドレッセル)


 調査対象のリシャールが知れば、青くなって領地の発展計画を修正したかもしれない。しかし、彼の元にゲルマニアの内部資料が届くはずもなく、領地の経営に自ら待ったをかけることはなかった。
 だが少し先の未来、この報告書に目を通したある人物がリシャールに興味を持ったことで、彼の人生が少しだけ変わったことは間違いなかった。






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