ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第六十話「タルブ」「ごめんね、ほんとに寄り道が多くて」 「いえ、大丈夫です。 行きはワインの荷馬車に乗せて貰ってきたんですけど、帰りは駅馬車でラ・ロシェールまで出なきゃって思っていたので助かりました」 リシャールは魅惑の妖精亭で預かったシエスタを馬車に便乗させたまま、ギルドやヴェイユの店、リンゴのパイを売っている宿屋兼食堂などを梯子し、今はアーシャを預けている竜牧場に向かっていた。 「それにしても、奉公先がトリステイン魔法学院なんて、超一流じゃないか。 シエスタはすごいなあ」 「いえ、たまたまですよ、たまたま」 あははと謙遜するシエスタだが、やはり大したものだと思う。トリステイン魔法学院は数ある貴族向けの高等教育機関でも、最高位に位置する学院であった。 「もう少し知り合うのが早かったら、うちの王都別邸で働いて貰ったのに。惜しいなあ」 「いえ、そんな……」 スカロンの親族ということなら、それだけで信用を置いてもよいかとリシャールは思う。魔法学院に採用されるほどのメイドなら能力も一流の筈で、実に惜しかった。優秀で信用あるメイドは万金に値する。 「リシャール様、到着いたしました」 「はい、ご苦労さま。 ああ、彼女の荷物は僕が運びます。 それから、縄をひと巻き降ろして下さい」 「はっ!」 お喋りしているうちに、竜牧場へと到着したらしい。 リシャールはシエスタをエスコートして、馬車から降ろした。 そのまま整列する兵士達に向き直る。 「多分僕の方が早く帰り着くとは思いますが、一応伝えておきます。 僕は彼女を送ってラ・ロシェール近郊のタルブ村に向かい、その後、タルブか王都でもう一泊して、セルフィーユに帰ります。 皆さんは通常通り、リール経由のルートで帰還してください。 途中、野盗や亜人出没の情報なども収集するように。 ……以上です」 「はっ、了解いたしました!」 全員が揃って敬礼を返し、リシャールも答礼した。シエスタがびっくりしている。 「それから……あんまり羽目は外し過ぎないようにして下さいね」 リシャールは、隊長に金貨を数枚手渡した。 「はいっ、了解いたしました!」 くだけた様子のリシャールに、隊長も笑顔で応じて心付けを受け取る。 「リシャール様もお気をつけて」 「はい、馬車と荷物の方は頼みました」 「は、ではお先に出発します! 総員乗車!」 今回は乗用馬車が二台に、兵士の乗る幌付きの荷馬車の三台である。御者を入れても随行は八人でメイドも連れてきていなかったが、セルジュとその付き人の分、馬車を増やしていたのだ。 馬車を見送ってから、リシャールは杖を振ってシエスタの荷物にレビテーションを掛けた。 「さ、シエスタ。行くよ?」 「え、あの、馬車……行っちゃいましたけど……」 「うん。 ここからは竜で行くんだ。 ラ・ロシェールの近くなら夕方になる前に到着できるよ」 「へ!?」 驚いて固まってしまったシエスタに、彼女にもレビテーションをかけて運んでいこうかと、ちょっと考えたリシャールだった。 リンゴのパイを食べるアーシャを見て大丈夫そうだと思ったのか、シエスタは意外に落ち着いた様子だ。おっかなびっくりではあるが、アーシャの首筋を撫でたりしている。 多少の混乱はあったものの、これなら大丈夫そうであった。 「アーシャ、行こうか」 「きゅー」 アーシャには厩舎から出て貰い、リシャールはシエスタの荷物を引き上げて自分にくくりつけてから先にアーシャへと跨って、シエスタを呼んだ。 「大丈夫だから、じっとしててね」 「はい!」 緊張してるんだろうなあと思いながら、レビテーションで ふわりと持ち上げ、自分の前に乗せる。 「うわっ」 視点が馬よりも高いからなあと、リシャールは自分の服の裾をぎゅっと握って固まっているシエスタを見た。 「落ちても魔法で助けるから、心配しなくてもいいよ?」 「は、はい」 やがて、見送りに出てきた竜丁に合図を送る。 「行ってらっしゃいませ、子爵様!」 「お世話になりました!」 「えっ!?」 「きゅー!」 リシャールと竜丁のやり取りを合図に、アーシャはばさりと翼を広げて空へと舞い上がった。 「アーシャ、街道沿いを西に飛んでくれるかな? ラ・ロシェールの方なんだ」 「きゅる!」 アーシャは少し高度を上げて、勢い良く西へと向かった。 さっきのリンゴのパイが、よく効いているのかもしれない。もう機嫌は直っているようだった。 シエスタは意外に度胸が据わっているのか、しばらく飛ぶ間に高さにも慣れたようで、下界の様子に一喜一憂していた。 「竜の旅って気持ちいいんですね」 「今日は天気もいいし、確かに気持ち良いね。 いつもこうだといいんだけど、真冬に霧雨の中を飛んだときはちょっと辛かったよ」 「きゅいー」 「あはは、アーシャは楽しそうだったっけ」 「きゅー」 シエスタは、会話の成立しているリシャールとアーシャを見比べながら、不思議そうに言った。 「あの、竜って返事するんですね……」 「きゅい?」 「ああ、うん。 アーシャは使い魔だからね。 ちゃんと聞き分けて返事してくれるよ」 「きゅ」 「はー。 なんか、すごいです」 感心するほどのことかなあとは思いながらも、魔法や使い魔に慣れていなければ驚いて当然かと、リシャールは一人ごちた。アーシャの様に会話は出来ないが、両親の使い魔達もリシャールに対して返事はしてくれたなと思い返す。 「それにしても……」 「うん?」 「子爵様だとは思いませんでした。 ジェシカからは、若いけれどお得意さまの貴族の方だからって、それだけしか聞いていなかったんですよ。 同い年ぐらいだから、それにもびっくりしましたけど」 ジェシカは他にも色々と言っているのだろうが、嘘は言ってないようである。 「最初に魅惑の妖精亭に行った時は、鍛冶屋だったからね。 ジェシカも気軽に話してくれたよ。 ……今も変わらないけど」 「鍛冶屋さん、ですか?」 「うん。 その次に行った時は行商人で、しばらくして男爵になって、今は子爵だね」 「ぷ……なんなんですか、それは?」 くすくすとシエスタは笑った。 「あはは、でも本当のことだよ。 今度ジェシカかスカロンさんに聞いてみて? その通りって、頷いてくれると思うよ」 「はい、楽しみにしておきます」 「あ、でも、僕が子爵であることは、村では内緒にね。 みんなが驚くといけないから」 「はい、わかりました」 その後もあれこれと会話を弾ませていたが、予定通り夕方前にはタルブへと到着した。 眼下に見えるタルブは、シエスタの言葉通り、確かに草原と葡萄畑に囲まれた景色の良い土地だった。 「ねえシエスタ、村にはアーシャを直接降ろしても迷惑にならないところはあるかな? 駄目なら村外れに降りて歩くけど……」 「えーっと、村の真ん中の広場なら大丈夫だと思います。 旅商人が来るのは、確か……もうちょっと先だったはずです」 「うん。 アーシャ、誰もいないなら村の広場に降りて」 「きゅー」 アーシャはゆるゆると降下し、村の上空をぐるりと回った。 リシャールも確認してみたが、広場には誰もいないようである。 「大丈夫そうだね」 「はい」 アーシャの風切り音に驚いたのか、上空を指さしながら何か叫んでいる人もいたが、許容範囲だろう。 「ゆっくりね、アーシャ」 「きゅ」 リシャールの注文通り、アーシャはふわりと村の広場に着地した。腰に荷物をくくりつけたまま、シエスタの手を取ってレビテーションで地上に降りる。 「ありがとうございました!」 「はい、お疲れさま」 「きゅー」 「うふ、アーシャさんもありがとうございます」 「きゅ」 そんなことをのんびりとやっていたが、通りの向こうから三人ほどが走ってきた。 「おーい! ……え、シエスタ!?」 「ただいま戻りました、村長さん!」 笑顔のシエスタとは反対に、ぽかーんとアーシャの方を見る村長たちだった。 王軍の竜騎士や伝令ではなく、単にソーユを買いに来たついでにシエスタを乗せてきただけとわかり、村長達は相好を崩した。大丈夫そうだと、物珍しげな村人達も集まってくる。 「シエスタになんぞあったのかと思って、冷や冷やしたぞ」 「王都は恐いところだからのう」 「いや、無事ならばいいんだ」 話を聞いているうちに、シエスタは村でも評判の娘で、大事にされているらしいこともわかってきた。返す返すも惜しくなってきたリシャールである。 「そうだ、村長さん。 リシャールさんはソーユを買いに来られたんですけど、まだありますよね?」 「まあ、皆が使う分以外は、余っとると言えば余っとるからのう。 今年の分も仕込みは終わっておるし、十本や二十本なら大丈夫じゃよ」 村長は二つ返事で了承してくれた。 「欲を言えば全部買いたいんですけど、そんなに沢山は持って帰れないですよ。 それから、ワインも美味しいと聞いたんで、こっちも少し分けていただけると嬉しいです」 「きゅー」 「……あー、もうひとつ、うちの使い魔の夕食に、豚を一頭売っていただけると助かります」 「きゅ」 アーシャもリシャールと同じように、頭を下げて見せた。 リシャールは村長の家に行って醤油とワインを三本づつ購入し、その後シエスタに案内されて別の家に向かい、豚の方も無事に購入することが出来た。アーシャの機嫌に関わるので、結構切実だったのだ。 醤油はワインの瓶一本分が二十スゥと大変安かったので、先払いでも良いから来年の仕込量を増やして欲しいと頼み込んだリシャールである。たとえ百倍の一本二十エキューでも、今のリシャールならばほくほく顔で支払った筈だ。 ワインの方も、運賃がない分安かったのか、それともシエスタの紹介と言うことで安くしてくれたのか、リシャールが躊躇するほどの値段だった。 これでは余りにも申し訳がないので、家の修理や道路工事などの仕事はありますかとリシャールは申し出た。醤油に浮かれて気分が高揚していたのだと思うが、自分でも止められなかったのだ。 嬉しくて何かがしたくなるなどいつ以来だろうかと笑顔になるが、今のリシャールにとって、醤油にはそれだけの価値が十分にあるものだった。 「何でもいいですよ、ほんとに」 「そうですなあ……」 「村長さん、あの、リシャールさんに『竜の羽衣』の事を頼んでもいいですか?」 「おお、そりゃあいい。 前にメイジを呼んだのはタッケーオ爺さんがまだ元気な頃じゃったから、はて、いつだったかのう……」 「竜の羽衣?」 何だろうと、リシャールは首を捻ってみた。 「リシャールさん、固定化の呪文って使えます?」 「あ、うん、使えるよ。 土のメイジだからね」 リシャールは、腰の軍杖をぽんと叩いた。 「今日はもう遅いから……明日、村外れの寺院まで一緒に来て下さい。 そこに『竜の羽衣』があるんですが、それに固定化の呪文を掛けて欲しいんです」 「うん、わかった。 ……ところで、『竜の羽衣』って?」 「おっきくて、緑色で、えーっと、それを身にまとった者は空を飛べるんだそうです。 誰も飛んでいるところは見たことがないんですが、ひいお爺ちゃんが大事にしてたものなので……」 リシャールは、シエスタの曾祖父と聞いて気を引き締めた。 醤油を残してくれた御仁のこと、さぞや驚かせてくれるに違いない。 気にはなるが、明日になれば見ることが出来ると、リシャールはそれ以上聞かず、楽しみを取っておくことにした。 「リシャールさん、こっちです」 翌朝、リシャールはシエスタの先導で村外れを歩いていた。草原を渡る風が心地よい。セルフィーユの海風ともアルトワの陸風とも違う、独特の空気感がある。 今はシエスタと二人。他愛のない会話に花を咲かせていた。 昨日は村長の誘いを断り、シエスタの家で一泊させて貰ったリシャールだった。シエスタが口に出した『ヨシェナヴェ』という言葉に釣られたのだ。 タルブの名物という前口上と共に食卓に出されたものは期待通りに『寄せ鍋』で、リシャールは大いに感激した。入っているものも味付けもどことなく和風で、山菜やきのこから出る出汁を薄い塩味でまとめてある懐かしい味だ。もっとセルフィーユに近いなら毎週でも食べに来るのにと、リシャールは本気で残念がって皆に笑われた。 「あの、リシャールさんは魔法学院には通われないのですか?」 「うん、ちょっと無理かなあ。 流石に領地を放り出すわけにはいかないよ」 自分の年回りと爵位を考えれば通えないこともないのだろうが、少々無理がありすぎる。 三年も通うとなると、セルフィーユのことはマルグリットらに一任することになるだろう。信用はしているが、領主不在では、その間に領地がどうなるかわかったものではなかった。セルフィーユ内部の結束は堅いが、外圧の方が心配であった。 「残念です。 向こうでもご一緒できたら良かったのに」 「ふふふ、たとえ入学できても、お嫁さん連れて学生寮に住むわけにもいかないだろうからね」 「え、結婚してらしたんですか?」 「今年の末には子供も産まれるんだ」 「わー、わー、おめでとうございます!」 「うん、ありがとう」 歩くうちに、シエスタが足を止めた。どうやら到着したらしい。 「あ、この先です。 この寺院の中に『竜の羽衣』があるんですよ」 「……」 リシャールは、見えてきたその寺院を呆けたように眺めた。 白い土壁に木の柱、しめ飾りまで施されたそれは、正にリシャールの良く知る日本の寺だ。驚いて声も出ない。 「さあ、どうぞ」 「うん……」 シエスタに案内され、リシャールは中へと足を踏み入れた。 いよいよ『竜の羽衣』とのご対面である。 「あ……あああっ!?」 「これが『竜の羽衣』ですよ……って、どうかなさいましたか、リシャールさん?」 リシャールの腰は見事に抜け、彼はへたりこんだ。 目の前にはどうみても日本の物としか思えない、立派な日の丸をつけた飛行機が鎮座していたのである。 「だ、大丈夫ですか、リシャールさん?」 「あ、うん、ちょっと驚いただけだから……」 シエスタに声を掛けられ、リシャールは慌てて取り繕った。 少しだけ落ち着いて、飛行機を観察してみる。 濃緑の機体色に日の丸、翼には機関銃があり、座席は一つでプロペラも一つ。機首のエンジンには、漢字で大きく『辰』と書かれていた。 雰囲気から言っても、太平洋戦争中の日本軍の戦闘機であることは間違いない。 だが残念なことに、リシャールには零戦か隼か紫電改か、はたまた疾風か烈風か、名前だけは幾つか知っていても、その区別がつかなかった。目の前の戦闘機は単発機なので双発の屠竜や月光でないことだけはわかったが、その程度である。役に立たない知識だなあと苦笑するしかない。 「それで、リシャールさんにはこの『竜の羽衣』に固定化の呪文を掛けていただきたいんです。 本当は壊れちゃってるのかもしれないし、インチキなのかもしれないです。 でも、ひいお爺ちゃんが大事にしていたものなので、よろしくお願いします」 「……うん、わかった。 少しだけ、離れていてね」 「はい」 数歩下がったシエスタを確認し、軍杖を構える。 呪文を口にする前に、この場には居ないシエスタの曾祖父に向けて、リシャールは一礼した。 醤油やヨシェナヴェのことだけではない。こちらの人間として産まれてきたリシャールとは違い、彼は目の前の戦闘機ごと、恐らくは戦争中の日本から突然ハルケギニアへとやってきたのであろう。昨夜、シエスタとその家族は思い出と共に彼の人の逸話を語っていたが、その苦労は並大抵のことではなかっただろうなと、自然に頭が下がったのだ。 リシャールは軍杖を掲げると、これまでで一番の丁寧さで固定化の呪文を唱えた。 寺院を後にしたリシャールは、シエスタと共に村への道を戻った。 ふと、アーシャに乗ってもミシュリーヌのようにずっと怯えていたりしなかったのは、彼女の曾祖父が戦闘機の操縦士だったからなのかと思ってみたりもする。ナンセンスだが、以外に的外れではないのかもと、リシャールはくすりと笑った。 「リシャールさんは、『竜の羽衣』を見てどう思いました? やっぱりインチキだと思います?」 「うーん……」 これは飛行機と言って飛ぶための機械だよと自分の知る答えを言うわけにもいかず、リシャールは返事に困った。 「翼っぽいものもついてたし、飛ぶような気はするんだけどなあ。 でも、今のままじゃ無理なんだろうね。 シエスタが言ったように、どこか壊れてるのかも知れないし、何かが足りないのかも知れない。 単に浮かせるだけなら、何人かメイジを集めれば浮くだろうけど、それじゃあ飛ばしたことにはならないから……」 慎重に言葉を選びながら、リシャールは言葉を続ける。 ふと、機首に『辰』の字があったから『竜の羽衣』だったのかと考える。『辰』『竜』『龍』は微妙に意味や表すものが違うが大ざっぱに括ればみなドラゴンだ。そう言えば、自分もドラゴンに乗っているか……。 「でも、もしも飛ぶのなら是非乗ってみたいね」 「わたしもです!」 「うん」 シエスタの笑顔に、リシャールも頷く。 二人で雑談などをしながらシエスタの家に戻ると、もう出発の準備をしなくてはならない時間になっている。 タルブとセルフィーユはトリステインのほぼ端と端で、アーシャでも丸一日かかるのだ。 「お世話になったね。 ソーユがなくなったらまた買いに来るよ」 「こちらこそ、ありがとうございました」 シエスタの他にも、彼女の家族や村長をはじめ、村人達が見送ってくれるようだ。 「あ、そうだ。 来年か再来年には僕の親友が学院に行くかもしれないから、その時はよろしくね」 「リシャールさんの親友なら大歓迎ですよ」 「うん、ありがとう。 じゃあ、元気でね」 「はい、リシャールさん」 リシャールは見送りの人々へと手を振った。 「アーシャ!」 「きゅー!」 アーシャはいつものように一鳴きをしてから翼を大きく広げ、空へと飛び立った。 一足飛びにセルフィーユへと戻った翌日、リシャールはまずフロランを呼び、刃鋼が無事に売れた事を告げて、大砲関連の機械の発注を指示した。彼は傍目にも奇異に映るほどの喜びようで、工場へと走っていった。 次いで別邸のお掃除部隊の編成をヴァレリーに、王都担当となる家臣の選定をマルグリットにそれぞれ任せ、自身は留守中に滞っていた書類の処理にあたる。 流石に醤油のことは二の次だった。あれは今夜のお楽しみなのだ。 厨房にも自身が腕を振るう事を連絡してあるし、漁師にも話も付けてある。干した昆布と煮干しをラ・クラルテの倉庫から取り寄せる手配も済ませた。 「刺身は無理でも、煮付けはなんとしても再現しよう」 書類仕事の合間、リシャールは、ともすれば笑い出しそうになる顔を押さえきれなかった。 その日一日、領主様は朝に見かけたフロラン工場長顔負けの上機嫌で仕事をなさっていたと、庁舎に詰める家臣達は不思議がっていたという。 「さてと……」 仕事を終えたリシャールは、料理長を助手に醤油を使った料理に取りかかっていた。 漁師がよい魚を届けてくれたので、青魚は煮付けに、白身魚は揚げ物にしてから天つゆに似た味のソースを作る予定にしていた。一緒に頼んでいた貝は、すまし汁風のスープだ。 料理長にも醤油を味見して貰ったが、これは使いどころが難しいと悩んでいた。味自体は悪くないが、濃すぎるので加減が難しいらしい。 「領主様は料理もなさるとは聞いておりましたが、そこらの厨房勤めが霞むほど色々ご存じですな」 「面白い食材や調味料が手に入ったら教えて下さい。 割と楽しみなんですよ」 言いながらも、手の方は蒸留酒と醤油をベースに、僅かに甘味を加えて煮干しと昆布の出汁で薄めた天つゆ風のソースを作ってゆく。みりんがないのでちょっと苦労したが、概ね満足出来る味に仕上がった。 大まかな用意が出来たので、温めなおす分とそのまま出す分の指示をして、リシャールはカトレアの待つ食堂に向かう。 「リシャールが料理を作ってくれるのは久しぶりね」 「そうだね。 王都で珍しい調味料が手に入ったんで、色々試してみたくなったんだ。 今日のは自信作だよ」 タルブのワインで乾杯をする。評判がよいと言うだけはあり、飲みやすい味だった。渋みが少なく、リシャールの舌にもよく合う。もしかしなくとも、シエスタの曾祖父の好みの味かもしれないなと、リシャールは思った。 ほどなく前菜が運ばれてくる。 「さあどうぞ召し上がれ。 蒸し鶏と晒し玉葱のソース・ドゥ・ソージャがけ、セルフィーユ風でございます」 「あら、いい香りね」 カトレアも気に入ってくれたようで、リシャールはさらに笑顔になった。 明日はビール麦を用意して麦飯を食べようかと真剣に考え出し、愛妻の前であるにも関わらず、食事の手が止まるリシャールだった。 ←PREV INDEX NEXT→ |