ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第三十八話「足場と土台」




 ベルヴィール号の引き揚げは、速やかに行われることになった。
 リシャールは、男爵領と庁舎についてはマルグリットに、軍務はジャン・マルクに、城館の方はヴァレリーにそれぞれ一任して、自身はベルヴィール号に懸かりきりになることになる。ミシュリーヌはそれぞれの連絡係兼補佐だ。
 まずは船体の浮揚と仮船台の準備である。
 無事だった船長や乗組員たちに、港の責任者ディミトリを加えて相談と打ち合わせを行い、船台を設置する場所を港の南西にある海岸に決めた。リシャールには船や造船に関する専門知識はないので、ブレニュス船長にもディミトリにも、遠慮せず的確に指示を出すようにと含ませておいた。
 リシャール達はシュレベールからありったけの鉄鉱石を取り寄せ、ディミトリらの要求する通りに、錬金で造った鉄骨を組み合わせて巨大なソリを造りあげた。これは、砂地とのことで、接地圧を下げるように大きな滑面を取るようにしてあった。もちろん上にはベルヴィール号が正立するような台座を据えるが、こちらもディミトリや船長らの綿密な指示による。
 ベルヴィール号は全長二十五メイル程の中から小型に分類される、外洋船舶としては小さい部類の商船だが、それでもリシャールから見れば大きいには違いない。船台の方もそれに合わせて、見上げるような大きさになった。
 鉄骨や材木を組み合わせ、構造を工夫して強度を持たせるというのはなんとなくは知っている知識だったが、自分もそれに関わったことは、リシャールには良い勉強になった。橋の架け替えの時に知っていれば、大幅な資材と労力に節約につながった筈で少々惜しい。
 本来なら船台は、滑車とレールを使った船台路の上で動作させるのだが、造船をするわけではないので簡単な造りにしておいた。
 こうして、陸の方の準備は数日で整った。
 リシャールが魔法を行使することで、材料費も人件費も驚異的に圧縮されたことは言うまでもない。

 浮揚の方も、極力資材も金も使わない方針を貫く事にしている。
「リシャール様、これでいいですか?」
「ミシュリーヌ、もう五十サントほど上にお願い」
 今リシャールは、小舟の上のミシュリーヌにレビテーションをかけて貰いながら、ベルヴィール号の舷側に取り付いていた。
「はい」
「ありがとう……よし」
 リシャールはゴーレムを水中で歩かせているので、自分にレビテーションをかけられないのだ。ミシュリーヌには、リシャールが安全に乗り移れるようにと、城館からわざわざこちらに来て貰っていた。
 乗り移るだけならアーシャでも十分だったのだが、万が一の場合でも、まさか先住魔法を人々の前で使わせるわけには行かない。回りくどいやりかたをしていたが、これも仕方のないことだ。
 実際の浮揚の方法としては、次の通りになる。
 陸で造って移動させた身長十メイルほどの大型ゴーレム二体に船体を支えさせ、暗礁から少し外れた場所で船を固定させる。その間にリシャールは海水を元に発泡スチロールを大量に錬金して浮力材を造り、船に取り付いた船員達が、横転しないように上手く船内各所に配置する。あとはベルヴィール号を船台付近まで曳航すればいい。
 風のメイジや風石を使うことなく、また人海戦術のように人件費もかかりすぎない、リシャール自身を最大限活かした方法だった。
 ただ、リシャールが予想以上に消耗してしまったため、ゴーレムで船を固定したところで丸一日の中休みを挟むことになった。こればかりは、リシャールにも補える方法を思いつかなかったのだ。

 浮揚作業と船台への固定を見届けて、ブレニュス船長は陸路でロリアンに向けて出発することになった。ロリアンで彼は、積み荷の補償とベルヴィール号沈没の報告をするのだ。リシャールは保証金と当座必要な金ということで、船長に千エキューを貸すことにした。積み荷の保証に必要なのは二千エキュー余りだったが、船が引き揚げられたので、船長の私財が無事に回収できたのだ。
 船員達はその間、療養中の者以外はベルヴィール号の修理にまわる。こちらには見舞金もしくは当座の給金という形で、それぞれに二十エキューを渡しておいた。
 船の方は発泡スチロールの撤去を済ませると、リシャールの仕事は終わった。リシャールがあまり木工の事を知らないせいもあって、ゴーレムによる力仕事はともかくも、錬金が大して役には立たないのだ。安全にも関わるし、修理の仕事はリシャールよりも余程船に詳しいディミトリや船員達に任せた方が良い。

「お帰りなさいませ、旦那様」
「はい、ただいま」
 今はもう、リシャールが帰城すると、シュレベールの城館では村娘達が出迎えてくれるようになっている。引っ越しは、ヴァレリーを中心としたリシャール以外の手によって既に終えられていた。
 なお、城館と称しているのはリシャールぐらいで、他の者は皆、セルフィーユのお城、或いは単に城と呼んでいた。リシャールとしては、明らかに新興の男爵家には不釣り合いなほど立派な建物だったから、少々気が引けていたのである。
 出迎えがメイドではなく村娘であるのは、着替えや予備も含め、一気に数十着ものメイド服の手配が出来なかったからだ。リシャールもメイド服を着ていないからメイドではない、とまでは言わないが、今はまだ雇われて数日でヴァレリーが基礎的なことを教えている段階でもあり、彼女達もメイドには見えなかった。
 メイド服と侍従用のお仕着せは、演習がてら新兵に旅をさせようと、ジャン・マルクが王都まで荷馬車を使って買い付けに行っている。彼は、事細かな注文を書いた紙を新妻から預かっていた。ご丁寧に、発注すべき店と担当者の名まで書かれていたようだ。注文書には、ついでにと、セルフィーユでは手に入りにくいリシャール用の衣服や寝具なども含まれている。
「きゅー」
 アーシャは一声鳴いて自分の巣に戻っていた。
 城館の方は見栄えが良かったのでそのまま使う予定だったが、リシャールは、鍛冶場とアーシャの寝床だけは造ろうと思っていた。
 しかしアーシャは、リシャールに城館の裏手を掘って巣にしても良いか聞いてきた。そちらの方がよいのかと聞くと、山があるならその方が落ち着くと返事が返ってきた。人工物よりも慣れた自然の方がいいのだろう。これまでの事を考えると、ちょっとアーシャには申し訳ない。
 巣が出来上がってからリシャールも中に入れて貰ったが、なかなかに見事なものだった。岩肌ではあるが、大きな爪でえぐったとは思えないほど滑らかだ。ちなみにリシャールは、アーシャが掘り出した岩を原料にして鍛冶場を建てようと考えていたが、まだ手を着けていなかった。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「うん、ただいま」
 玄関のホールでも、同じように村娘の出迎えがある。面倒でもあるが、今のうちからリシャールも、そして彼女達も慣れておかないといけない。一応、普段は緩めても良いとヴァレリーには言ってあったが、今は練習も兼ねているのでリシャールもそれに付き合わされることになっていた。
 らせんになった階段を昇り、二階へと上がって立ち止まる。この城館は、二階の窓から見える夕焼けが本当に綺麗なのだ。ちなみに一階からでは城壁しか見えない。
「リシャール様、おかえりなさいませ」
「ただいま、ミシュリーヌ」
 自室に定めた二階の隅の部屋で、ようやく気を抜くことが出来るリシャールだった。ミシュリーヌは今のところリシャール付のメイドということになっている。ただし、マルグリットやヴァレリーの補佐に引っぱり出されることの方が多かった。
「お茶をお持ちしましょうか、リシャールさん……じゃなかったリシャール様」
「あー、お願いするよ」
 リシャールは聞こえなかった振りをしてマントを預け、香茶を頼んだ。リシャールも、このぐらいの方が気が休まるのでお互い様だ。
 暫くして、香茶が運ばれてきた。これは練習のためかミシュリーヌとは別の少女が運んできて、ヴァレリーが監督についてきた。
「お帰りなさいませ、リシャール様」
「ただいま、ヴァレリー」
 メイド候補の少女がいると言うことで、ヴァレリーのことも呼び捨てにする。なかなかに気を使わないといけないのだ。
「お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
 こういう時にまで、リシャールも旦那様らしくしなければいけなかった。普通に声を掛けると、彼女達も困るだろう。
 丁寧にお茶を煎れると、彼女は失礼しますと言って部屋を辞していった。同時にリシャールも気を抜く。
「合格ですか、ヴァレリーさん?」
「微妙ですが……。
 何度も練習しましたから、緊張し過ぎなければ大丈夫ですわ。
 他の皆も、それぞれの担当では同じ様な状況です。
 言葉遣いや礼儀作法は慣れも必要ですので、そちらはまだまだというあたりでしょうか」
「それは……よろしくお願いします」
 今のところ城館には、リシャールにギーヴァルシュからの四人とジャンマルクの両親に加え、七人のメイド候補と、御者を兼ねた馬丁が二人、老いた園丁、それに従者見習いの少年が三人も暮らし、予定の半分と少しではあるがそれでも結構な大所帯になっていた。
 この城館、元は王族の別荘というだけあって、リシャールの想像以上に収容人数も多かった。見かけと違って、ラマディエで庁舎に使っている城館よりもずっと広い。居室も客間も多かったし、使用人の宿舎も、今の四倍に人数を増やしてもまだ余裕があるほどだった。見た目はそれほど大きくはなかったが、奥行きがあって建坪が大きいのだ。ワイン蔵などもアルトワの城に匹敵するほどである。ヴァレリーも、メイドの数は予定の倍は増やした方がいいとリシャールに進言していた。しかし、メイドが二十人ともなると、もうアルトワと大して変わらない人数で、リシャールとしても頭を抱えざるを得ない。ちなみに、セルフィーユの人口はアルトワの四半分に満たなかったから、相当な負担であることは言うまでもない。
 また、代官に使われていたラマディエの城館とは違い、主要な内装品、鍋釜に食器などの生活用品がまとめて保管されていたことも大きかった。美術品などはなかったが、それでも、充分に貴族の客をもてなすに相応しい品々が揃っていた。欠点を言えば少々時代がかっている物が多く、現在の流行には合わない様式の物が殆どだったのだが、品質も格式も高く、饗応の趣向として料理や酒なども合わせてしまえば良かろうという程度の物だった。幸いにして王家や王族の紋章を戴いている物は僅かだったので、別に保管して王宮に問い合わせている最中だ。行幸もまずなかろうし扱いにも困るので、返却してしまいたいというのが本音である。
 山がちで税収も少ないシュレベールの地代に結構な値段がついていたのは、鉱山と城館のせいだったのかもしれない。高くはついたし、これからもつくのだろうが、それでもこの城館は本当によい買い物をしたと、リシャールは思うのだった。

「旦那様、お食事の用意が調いました」
「ありがとう」
 リシャールは呼びに来た娘を従えて、食堂へと向かった。この食堂も、かなりの大きさがある。実はまだ料理人を雇えていないので、ヴァレリーの監督の下、メイドの何人かが専属で行っていた。最近は多少見栄えも良くなってきたようである。
 マルグリットらも戻ってきているようだ。彼女は馬には乗れないので、朝夕に馬丁が荷馬車で送り迎えをしている。乗用の馬車も欲しいところだが、今のところ購入の予定は立っていない。
 本来なら主人であるリシャールだけがテーブルに着くのだが、今はマルグリットやミシュリーヌ、ジャン・マルク一家に加えてメイド候補の少女と侍従見習いの少年のうち、半分が席に着くことになっていた。少年少女達のうち、席についている者はテーブルマナーの練習、それ以外の者は給仕の練習である。最初はリシャールの食事とは別に行っていたのだが、今はリシャールもテーブルマナーや給仕の見本を引き受けていた。本来ならばここまでする必要はないのかも知れないが、客の連れてくる侍女従者への歓待や、他家に使いに出した場合にも必要になる可能性が高い。ではいっそのこと、今のうちにまとめて教えてしまおうと、リシャールとヴァレリーは結論したのだ。
 特に従者見習いの方は少年達であったから、リシャールの手が必要になった。ヴァレリー曰く、リシャールの動作は洗練されているのだそうだ。幼い頃から従者たるべく仕込まれていたから、なるほど、ヴァレリーの見立ての通りである。給仕の姿勢や歩行なども従者とメイドでは異なるので、こちらもリシャールの出番となった。
 もちろん、リシャールに異はない。雇い主の責任でもあるし、彼らにもそれなりの行儀作法や知識を身につけて貰わないと、後々リシャールが困るのだ。
 そのうち、誰か適当な人物を呼んで貴族の客人に見立て、屋敷を挙げての接客演習を行わなければとリシャールは思っていた。身内の誰かになら、その旨を含めて頼めるだろう。練習であることを了解しつつ、それに付き合ってくれるような貴族となると、心当たりは家族を除けばいないのが難点だった。いっそヴァリエール公の厚意に頼って、侍従とメイドを派遣して貰って総点検するのも良いかもしれない。リシャールとヴァレリーだけでは脇が甘くなってしまうことは否定できなかった。
 しかし、作法を覚える見本の為とはわかっていても、注目されながら食事をするのは落ち着かないものだった。
 食後には簡単な反省会なども交えながら、リシャールとヴァレリーを中心に、立ち居振る舞いなどの練習を行う。
 他家の初代当主もこのような苦労を重ねてきたのだろうかと、聞いてみたいリシャールだった。

 もちろん、これでリシャールの一日が終わるわけではない。
 毎日というわけではなかったが、マルグリットとは頻繁に今後のセルフィーユについての相談はしていた。
 マルグリットは、丁度アルトワ伯に付き従うリシャールの祖父ニコラのような立場で、執事兼筆頭家臣として庁舎か城館で仕事をして貰っていた。主な内容は領民から回ってくる各種の届け出や税の受け取りなどのお役所仕事から、地域ごとにまとめられてくる陳情の下処理など、多岐に及んでいた。
 一応、マルグリットの負担を少しでも減らそうと、実働部隊として二人の領民をラマディエとシュレベールからそれぞれ雇い入れ、ミシュリーヌや、更には幸いにして文字の読み書きが出来ることで手を挙げてくれたジャン・マルクの両親までもが時には手伝っているが、まだ足りない。募集はかけているが、字が読めて計算も出来、その上でそれなりの判断力を持っているような即戦力は、普通は他の仕事に就いているので望み薄だった。
 従者やメイドの候補から選抜して、教育を施してそちらにまわす必要があるとは思いながらも、今度はこらちの手が回らない。ハルケギニアでは平民の教育水準はなべて低いが、セルフィーユは田舎とのこともあって、トリステインでも下から数えた方が早いぐらいだろう。代官は税さえ納められていれば特に何もしないのが普通だったから、領地を治めるにも、リシャールほどの人手は必要がなかった。

「そろそろ資金の補充もしなくてはなりませんね。
 今はどのぐらい残ってましたっけ?」
「今はおよそ五千エキューですわ。
 船の件もありましたが、お屋敷の方もずいぶんと費用がかさみましたから……。
 今月の商税は、月頭のことでまだ集まっていません」
「ちょっと厳しいですね。
 落ち着いてきましたし、そろそろ錬金鍛冶にも手を着けたいところです」
 道路の工事なども残っているのだが、さてさてどれから手を着けようかと言ったあたりである。
 年末までは残り八ヶ月。それまでには三万エキューを貯めなくてはならないが、可能な限りは領地に投資したい。それがそのまま税の増収になって帰ってくるわけではないが、長期的に見れば無視の出来ない要素だった。建物や道路はリシャールによってただ同然で造ることが出来ても、それだけで領地が回るものではない。
 セルフィーユ男爵家は、今のところないない尽くしなのだ。

 マルグリットとも話し合った結果、リシャールは資金の確保を優先するべく、自身の使う鍛冶場兼作業場を建てる作業を進めていった。
 恒久的に使うものなので、造りもしっかりとしたものとし、炉も大きな物にした。
 今度は炉の側に風呂は併設しなかった。ギーヴァルシュの加工場とは違い、城館には立派な風呂が三つもあるから必要ないのだ。
 一つはリシャールや将来のカトレア用に、一つは客用を予定していた。残りの一つは、屋敷勤めの人間に開放している。リシャールのわがままか勝手な理想に近いが、女性が汗くさいのはどうも戴けないのだ。流石に二つは用意できなかったので、時間を決めて男女交代にしている。
 もちろん、城館の離れにはメイドや従者用の蒸し風呂もあったが、逆にリシャールが時々こちらを使っていた。サウナは好きな部類なのだが、貴族用の湯を使った風呂にはその設備がなかったのだ。
 さて、その炉の方には風呂の湯を沸かす代わりに、少しでも高温が得られやすいようにと、空気の吹き込み口をつけておいた。リシャールは炉に空気を吹き込むのに、魔力も人力も使わない装置を作り上げることに成功していた。
 動力源にはリシャールの発案制作による、蒸気機関が取り付けられているのだ。ものすごく原始的な物であったが、少なくとも蒸気の力を動力に変換して仕事をさせるという、蒸気機関の大前提は満たしていた。
 リシャールも、本格的な物を作るのは無理でも、何か動力になる物はないだろうかとずっと考えていたのだ。ただ、城館には水車や風車は設置できなかったり似合わなかったりと、今回は蒸気機関という形になった。
 しかし、これは蒸気機関であることには間違いないのだが、作ったリシャールでさえ苦笑いするような代物だった。
 炉から出る熱い排煙を曲げた煙路に導いて、その熱で沸かした湯から出る蒸気を風車に当て、それを動力に別の風車を回して炉に空気を送り込む仕掛けだ。蒸気を利用するからには蒸気機関である、と胸を張って言いたいところだが、蒸気機関車や発電所という存在を知っている身としては、非常に微妙なところであった。しかも部屋が湿気で満たされるので、同じ仕組みを使って換気扇も取り付ける羽目になったのは、自分でも情けなかった。
 ただ、これでも水漏れや蒸気漏れをしないよう密閉には苦心したし、逆に圧力が高くなりすぎて爆発しないように水を入れる部分の蓋にはバネを使った蒸気抜きを取り付けたり、蓋自体も先に一部が壊れるように弱くしたりと、持てる限りの技術と知識を投じた傑作ではあるのだ。
 しかし……。

 小学生が夏休みに作った自由研究。

 そんな言葉がとてもよく似合う、不格好で効率の悪い代物だった。
 作ってみてからわかったが、手回しの風車かふいごでも使った方が効率はずっと良いこともリシャールを落ち込ませていた。それでも、蒸気機関の風車を取り付ける前よりは若干炉内の温度が上がっている様で、鍛冶仕事がしやすくなった事は救いだった。
 これでようやく鍛冶仕事に手を着けられるようになったが、肝心な材料と燃料を忘れていた。あるとないとでは、錬金鍛冶の効率が大きく変わる。リシャールは注文と、ついでにいくつかの手紙も書くことにした。

「じゃあ、お願いしますね」
「はい、リシャール様」
 リシャールは朝、庁舎に向かうマルグリットに三通の手紙を渡した。
 一通はリュカに宛てた鉄塊や木炭の注文書で、これはリシャールが鍛冶に使う。
 もう一通は、アルトワの家族に宛てた手紙で、こちらの様子を報告すると共に、父か母か祖父か長兄のうち、誰か一人でいいからしばらくこちらに遊びに来て屋敷の様子を客観的に見て意見を述べて欲しいと、身も蓋もないお願いが書いてあった。
 最後の一通はカトレア宛で、来月の半ば頃には、療養の様子見を兼ねて会いに行きますという内容だった。
 夕方、その日の内に、とりあえず在庫分だけはと送られてきた炭の山をレビテーションで片付けながら、リシャールは次に打つ手は何にしようかと考え込んでいた。鉱山はあれど製鉄所のないセルフィーユでは、鉄塊は輸入に頼っているのでしばらく先になる。効率は落ちるが時間の無駄を考えると、当面はシュレベールから鉄鉱石を仕入れてリシャール自身が錬金して精錬するしかない。
 そう言えばと、セルフィーユには鍛冶師の工匠組合がないことを思い出した。ラマディエの街に鍛冶屋はいない。これまでは必要に応じて呼ぶか、流しの鍛冶屋が巡回して来るのを待っていたそうだ。鉱山を有してはいても、製鉄所がなく人も少なかったシュレベールも同様だ。
 実は商人ギルドの方も、リュカがそれなりには力を持っているが、彼とてシモンやセルジュのような、領地や国を跨ぐような卸売業者というわけではない。店は十分に大店だったが、彼は小売りを主とする商人であるし、店も一つしか持たない。他の商人にしても、重税に愛想を尽かして出ていった者も多く、現在の処はラ・クラルテ商会や宿屋の女将、身一つの行商人を含めてさえギルドに籍をおく商売人は八人であった。店舗に至ってはリュカの店、リシャールの泊まっていた酒場のある宿屋、漁具などを主に扱う港の道具屋、それに小さな食料品店とパン屋の五つしかない。
 肝心の鉄鉱石を卸す商人もとうの昔に廃業して街を出ていったので、今はゴーチェが村営にして引き受けている状態だった。もちろん売り上げの大半は代官に納めていたから、村に金は落ちてこなかったそうだ。
 飛び回っている行商人はともかくも、一度全員を集めて領内の商業政策についての話し合いをしても良いかもしれない。
 それにしても、こうも後まで尾を引くようなことになっていたとは……。リシャールは代官どもの馬鹿野郎と叫びたかったが、ここからでは流石に王都は遠すぎる。
 一歩づつ、着実に足場を固めていかねばないのだが、崩れた土台に土を盛るのが先かと、頭の痛いリシャールだった。






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