ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第十八話「エルランジェにて(前)」




 エルランジュ伯爵領。
 そこはガリアに近いトリステイン南西部に位置する、人口三千程の特に目立つところのない中規模の地方領である。内陸部で、南西の大きい街道から少し外れてはいるが、トリスタニアまでは馬車で二日ほどの距離になる。大きな街はないが、そこそこの農村が数カ所あり、領全体の人口はアルトワよりも若干大きい。
「どうやらこのあたりのようだね」
「リシャール……」
「うん、村を見かけたら何か食べさせてもらおうか」
「きゅ」
 リシャールもアーシャも、朝から食べていなかった。はじめていく場所なので、少々早めにギーヴァルシュを出たせいである。アーシャの首元には紐で括った油漬けと塩油漬けの壷がぶら下がっていたが、これはお土産なので食べるわけにはいかなかった。
 昼過ぎになって村落を見かけたので、一度降りて場所の確認を取ことにした。大体の位置をつかんだが、意外と近いところまで来ていたようなので、昼食は抜きにして一気に飛ばしてしまうことにする。
「きゅー……」
「ごめんごめん」
「おなかすいた」
「もうちょっとだから、ね?」
「うー」
 少々機嫌を損ねてしまったようだった。

 アーシャを宥めながらしばらく道なりに進んでいくと、別の村を見つけた。
降りてみるともうエルランジェ伯領だということで、城の場所を聞いてすぐに出る。
 さらに南に進むと、丘の上に城が建っているのが見えてきた。ここらしい。
「アーシャ、ゆっくりと旋回してから降りてね」
「きゅー」
 上空からぼんやりと眺めていたが、リシャールは何やら慌ただしい様子に気が付いた。
「アーシャ、城門の手前にゆっくり降りて」
「きゅ」
 降りた城門の前には武装した兵士が数人、武器を構えていた。警戒時故か、型通りに誰何される。
「今週こちらを訪問させていただく予定になっていた、リシャール・ド・ラ・クラルテと申します」
「失礼いたしました。
 リシャール様のご訪問は伺っております。
 どうぞ奥へ」
 案内しようとした兵士を止めて、リシャールは質問してみた。
「何かあったのですか?」
「はい、先ほど野盗討伐の命令が下りました。
 現在、出発の準備をしているところであります」
 どうやら、割と忙しいときに着いてしまったらしい。

「おお、リシャールよう来た」
「君がリシャールかい?
 私はピエール、君の叔父になる。
 慌ただしくてすまないね」
「お祖父さま、お久しぶりです。
 それから初めまして、叔父上。リシャール・ド・ラ・クラルテと申します。
 あの、入り口で兵隊さんに聞きましたが、盗賊が出たとか」
 祖父も叔父も、既に具足を身につけていた。どうやら祖父直々の出陣らしい。
「うむ、忌々しいことじゃがな」
「どうも隣の領内で悪行を尽くした後、領軍に追われてこちらに逃げ込んできたらしい。
 既に村が一つ襲われて占拠されてしまっている。村長の機転で、村人達が難を逃れたのは不幸中の幸いだがな。
 ……代わりに村長がつかまってしまった」
 祖父も叔父も沈痛な面もちだった。
「あの、私もついて行ってよろしいでしょうか?」
「うん!?」
「君が!?」
「はい」
 つい、口から出てしまった。後には引けない。
「しかし、君はまだ……」
「いや待てピエール」
「父上?」
 祖父モリスが叔父ピエールを止めた。
 それから、改めてリシャールを見て言う。
「遊びではないぞ?」
「はい、亜人討伐とはいえ、初陣は済ませました」
「そうであったな。
 ……ではゆくぞ、ピエール、リシャール」
「「はい」」

 戦力は祖父、叔父、リシャールに、指揮官を兼ねたメイジが二人、兵士は全部で五十人。これはエルランジェ領軍のほぼ全軍に当たる。
 祖父と叔父、メイジは馬に乗り、斥候も兼ねた騎兵以外は荷馬車に乗り込む。リシャールは当然アーシャに乗った。
 一番新しい報告では、敵は三十人ほどでメイジ崩れが混じっているということだった。地方の盗賊集団としては、なかなかの戦力である。
 アーシャは流石に目立つので、先行する祖父達に飛び石で追いついては待機、という形を取らねばならなかった。
 五キロメイルほど進んだあたりで、もう一度斥候が帰ってきたので、道から少し外れた丘陵のふもとに集まり、簡単に確認が行われた。
「わしは本隊で道沿いに正面から、ピエール、お主は一隊を率いて南に回れ。
 バンジャマンは西から魔法で攪乱を、可能なら本隊が戦を始めた後でいい、村長を助け出せ。
 チボーはわしと共に本隊じゃ。
 リシャールは竜で上空から援護を頼むぞ」
「「「「はい」」」」
 このうち、祖父と叔父は水のメイジ、パンジャマンが風のメイジ、チボーは火のメイジであったから、土のメイジであるリシャールを含めれば全ての属性が揃っていることになる。
 作戦は、本隊が相手に見えるように整然と近づいたところでパンジャマンが攪乱、それをリシャールが拡大させているところに本隊とピエールがほぼ同時に突入、といったものだった。
 大体の時間を決められ、全員すぐに配置に向かう。目標の村はすぐ近くなのだが、ここなら丘陵の手前でこちらからもあちらからもお互いが見えない。日も暮れかけているのでなおさらだった。

 叔父の部隊は荷馬車の馬まで外し、大回りで先行していった。
 リシャールはアーシャにパンジャマンを同乗させて低空で迂回し、決められた場所近くの林まで移動することになった。
「御武運を、パンジャマン殿」
「おまかせください」
 そこからはパンジャマンの様子を見て飛び出すことになる。
 彼の姿が見えなくなるのを見計らって、リシャールは気になっていたことをアーシャに聞いてみた。
「アーシャ」
「きゅ?」
「アーシャはさ、ドラゴンブレスは吐けたりするのかな?」
「きゅー……きゅ」
 アーシャは少し考えた後、頷いた。
「今はまわりに誰もいないから、小声でならお喋りしても大丈夫だよ」
「わかった。
 リシャール、アーシャは震える息が出せる」
「震える息?」
「大地も森の木も、みんな震える。
 父様と一緒」
 どういうものか今一よくわからないが、震動波みたいなものだろうか。
 それとも、先住魔法に近い何かなのかも知れない。
 だが、詮索は後にしておこう。
「じゃあ、さっきの人が魔法を使った後に、僕たちもすぐに飛び上がって、悪い奴らをやっつけに行く。
 そのときに、震える息を出して貰えるかい?」
 とりあえず使ってみよう。同じ攪乱するならリシャールが魔法を使うよりもいいだろう。予め作っておいたゴーレムを空から降下させてもよかったが、混乱の拡大が目的なので、こちら方が派手でよいだろう。
「うん、わかった。
 それよりもリシャール」
「ん?」
「おなかがすいた」
「……ほんとごめん。
 途中で食べてくればよかったね」
「きゅう……」
 これはあとが大変そうだ。
 食い物の恨みは、恐ろしいのである。

 その後しばらくは、パンジャマンが奇襲するのを待っていた。占拠された村までの距離は百メイル少々なので、アーシャなら数秒で到着できる。
「騒ぎになったらすぐ行くよ」
「きゅ」
 そういえば、初陣の時と同じだなとふと思う。またも二番手だ。
 戦に慣れていない者を配置するのに、丁度良いのかもしれない。
 そこに、どん、と大きな音が鳴り響いた。
「アーシャ!」
「きゅ!」
 ばさりと羽ばたいたアーシャは、木々からさほど高度をとらずに村に突っ込む。
 すぐに、パンジャマンが杖を振るっているのが見えた。
 しかし、盗賊は三十人ほどの筈が、パンジャマンと対峙しているのは四人だ。残りはと探すと、既に祖父のいる本隊へと注意を向けているのか、少し先の道、材木や横倒しにされた荷馬車で組んだバリケードの周囲に固まっていた。
 これでは人質の村長がいるのかどうかがわからないので、アーシャのブレスは使えない。
「アーシャ、ブレスじゃなくて咆吼を上げてあいつらのすぐ上を通過して!」
「きゅい!」
 アーシャはくるりと向きを変えた。
 本隊はバリケードの手前数十メイルに迫っていた。
 今なら盗賊の注意は前方に向けられている。これならいける!
 距離はわずかだ。
 乗っているリシャールにはわかったが、アーシャが大きく息を吸い込んだ。
 ぐおおという地響きのような轟音と共に、アーシャは盗賊の真上を通過した。リシャールも思わず耳を塞ぐ。
「アーシャ、もう一回!」
「きゅ!」
 そのまま航過して再び盗賊の方へ。
 上手く混乱させることが出来たようだ。逃げ散ろうとしている者もいれば、転がっている者もいる。
 再びの咆吼。
 今度はリシャールも冷静に下を見下ろしていた。威圧感もさることながら、低空を高速で飛んでいるせいか、風圧も割とあるらしい。
 見れば、先頭の兵士がもうバリケードに取り付いていた。これでアーシャの咆吼は使えなくなったが、十分混乱させることがようだ。
「アーシャ、逃げた奴が見えていたらそっちに向かって!
 今度は震える息をお願い!」
「きゅ!」
 くるりとアーシャは向きを変え、横手の林に狙いを定めた。
 アーシャの口元でぱん、という何かの弾けるような高い音が聞こえた直後、どどん、という地鳴りのような重い音が地上から響いた。
 見れば十数本の木がなぎ倒され、血塗れの男が二人ほど倒れていた。
 震動波というか、衝撃波というか、下手をすれば火竜のファイア・ブレスより威力があるのではないだろうか。
 それでも僅かに身体を捻って逃げようとしているのが、上空からでも見て取れた。生きてはいるようだ。直撃ならば下手をすれば圧死するか、手足が千切れ飛んでいてもおかしくないから、アーシャが二人の間を上手く狙ったようである。
「これは盗賊にはもったいないかな」
「きゅ?」
「あ、ううん、大丈夫だよ。
 他にも盗賊はいるかな?」
「きゅー……きゅ!」
 アーシャは再び村の方に頭を向けた。林に逃げ込もうとしている人影が、リシャールにも見えた。但し、追いかけている兵達士も見える。これでは震える息は使えない。
「兵隊さんも巻き込んでしまうな」
「きゅ」
「じゃあ、今度は僕が行く。
 飛び降りるから、彼らの上を飛び越して!」
「きゅ!」
 すうーっとアーシャが加速して行く。リシャールはレビテーションの呪文の準備に入った。
 兵士を、盗賊を飛び越えて……今!
「うおりゃああああああ!!」
 こちらに注意を引こうと、わざと大きな声を上げてアーシャから飛んだ。
 同時にレビテーションを発動。
 勢いを半ば殺さず、転がるようにして地上に降りて杖を構える。
「止まりなさい!」
 こちらをメイジと認めたのか、引きつった表情の男は得物を捨てて大人しく手を挙げた。
「降伏、しますよね?」
 リシャールは意識して声を低くしながら、もう一度男を睨み付けた。
「へ、へい……」
「よろしい。
 兵隊さーん、お願いしまーす!」
「はい、直ちに!」
 丁度後ろから追いついてきた兵士達に後を頼む。
「まだ全員ではないですよね?」
「はい、我々の他にも、何人かが、追いかけて、おります」
 兵士は全力疾走した直後で、息が乱れていた。
「では、私は他にもいないか上から見て回ります」
「はい、お気をつけて」
「ありがとうございます。
 アーシャ!」
 ぶおんと羽ばたく音がして、すぐにアーシャが降りてきてくれた。
「もう一度、今度は村の周辺を探すよ」
「きゅー」







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