ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第十五話「セルジュの娘」




 シモンと挨拶を交わし、早速、持ち込む予定のイワシの油漬けと干物の話をする。賞味期限については、やはりシモン達も相当驚いていた。卸値は先にスカロンに伝えた通り、油漬けの壷が一エキュー、干物が一リーブルあたり三十スゥ、但し、決めるのは食べてからにするということで決まった。
「ヴァランタン、君の予定はどうなっている?
 可能なら君も来ておいたほうがいい」
「今夜は大丈夫です、会頭」
「なら決まりだ。
 リシャール君、場所はどこだい?」
「はい、魅惑の妖精亭というお店なんですが……」
「もちろん知っているとも。
 あの店は女の子が綺麗と言うことでもてはやされているが、出てくる料理についてもかなり気を使ってると聞いているよ」
「はい、そのようです」
 確かにリシャールも美味しいと素直に思ったし、料理人たちとも少しは顔見知りになっていたからそれはわかった。
「それに、あの店に品物を卸せるのは、トリスタニアの商人の間ではある種のステータスなんだが……」
「そうなんですか?
 そこまでは存じませんでした」
 スカロンの目利きにはそれだけのものがあるのだろう。外見が全てを裏切っているようで、リシャールとしてはなんだかなあという気分である。

 話を終えた頃には外も暗くなり始めていたので、魅惑の妖精亭に向かうことになった。
 もちろん辻馬車ではなく、商会の馬車である。当然荷馬車などではなく、乗用の馬車だ。さすが王都に支店を出せる力を持っているだけはあるなと、リシャールは少々羨ましく思った。
「リシャールちゃんいらっしゃい、待ってたわ。
 さ、奥のいい席を取ってあるからどうぞ」
「ありがとうございます、ミ・マドモワゼル」
 スカロン自らに席に案内され、一息つく。
「……驚かれましたか?」
「噂に聞いていた以上の破壊力だね」
「正直申し上げて、心臓が止まるかと……」
 二人にはちょっと強烈すぎたようだ。
 早速ワインと、油漬けを使った前菜風の盛り合わせが出てきたので、乾杯をして二人に味見をして貰う。
「ほう、これは美味い」
「いい味ですな」
「はい。
 産地を治められているギーヴァルシュ侯爵様からも、お褒めいただきました」
「ほほう、領主様にも献上したのか。
 たしかにそれも頷ける。
 ……リシャール君?」
「はい」
 何だろう、とリシャールは首を傾げた。
「先ほど君が言った値段に少々上乗せしてもいい、独占契約を結んで貰えないかな?」
 破格の申し出であることは間違いない。いや、そもそも行商人に豪商が言う台詞ではない。
「とても嬉しいお申し出なのですが、実はこの魅惑の妖精亭には直接卸すという約束をしてしまっているので、その契約をするとなると、最初から契約違反になってしまいます」
「なるほど。
 約束を違えるのはよくないな。
 しかしそれならば例外にして……いや、むしろうちを取引先にしてもらって、仕入れ値と同じ値段でここには卸すと契約に盛り込んだ方が……」
「会頭、スカロン氏にもお話に加わっていただいては如何です?」
「それもそうだな」
 その後、スカロンも呼んで契約の見直しとともに、専属契約による卸値の五分増しと、デルマー商会による荷馬車の差回し、取引後に壷を回収した場合の引き取り金額などが決定されて、改めて契約が為された。壷の件は、少しでも楽をしようと思ったリシャールの知恵であった。もっとも、ワインなどに限らず瓶や樽の回収は行われている事だったので、シモン達も口を挟まなかった。ただし、売られた先で中身が消費された後、そのまま別の物を入れるのに使われてしまう事も多いので回収される度合いは低かった。
 そのあとで、新しく運ばれてきたアンチョビもどきを使った肉料理には言葉も出ないシモンだった。
「美味い!
 ただの塩漬けとは全然違う!
 もちろん、こちらも独占契約して貰えるのだろうね?」
 契約よりもむしろ、その味に驚いたシモンとヴァランタンの顔を見て嬉しくなったリシャールだった。
 それから、明日には油漬けの壷が三十と十リーブル分の煮干しが届くのだが、運転資金に難があるので現金で決済して欲しいと頼んだ。
 無論、快諾された。

 王都で一泊したリシャールは、荷馬車の到着を待って再びデルマー商会を訪れた。
 荷を無事に引き渡して代金の四十エキュー弱を受け取った後、荷馬車の差し回しについての相談を行って、当初は週に二便が届くようにした。生産量は、暫くはこのままなので売れ行き次第で加工場を建て増す予定だと答えておく。
 そんなこんなで昼下がりにはなっていたので、ギーヴァルシュには今日中には戻れないと判断したリシャールは、一度アルトワに戻ることにした。
「アーシャ、お土産だよ」
「きゅー」
 今回は魅惑の妖精亭のお姉さんに聞いて、王都で人気だという桃りんごのパイを買ってきたのだ。
 空中に上がってからアーシャに感想を聞いてみると、これまで食べたお菓子の中では一番美味しかったとの返事が返ってきた。
 のんびりではあったが夕方前にはアルトワに到着したので、アーシャには練兵場の寝床で休んで貰うことにしてまずはギルドに向かう。
 運良くセルジュがいたので、ギルドで人を雇えないか聞いてみた。
「それならば、受付に募集を申請すればよい。
 条件が折り合えば、名乗り出る者が出てくるじゃろう。
 しかし……どんな条件じゃな?」
「計数に強くて信用が置けるなら、誰でも構いません。
 それから仕事をして貰う先が主にギーヴァルシュと遠方になる分、賃金の上乗せ考えています」
「ギーヴァルシュか……」
 セルジュは少し考え込んでいるようだった。
「ふむ、リシャール君、誰でも良いのならわしから一人紹介しようかの?
 もちろん、本人が頷いたらなんじゃが……」
「え、よろしいのですか?」
 思わぬ申し出であった。
 しかし、それならばセルジュの店でも十分に使える人材ではないのかとも思ったが、口には出さない。本人に会ってから、リシャールが決めればいいのだ。
「うむ、その代わりちと訳ありじゃ。
 計数には強いし、信用を置けるのも間違いないんじゃが、わしの店では雇えないのでな」
「それはどういう……?」
 セルジュはここで声を潜めた。引き合わないほどの訳ありなら流石に雇えないので、リシャールの方も真剣な目になる。
「わしの妾の子なんじゃ。
 ……家内にはくれぐれも、くれぐれも内緒じゃぞ?」
 リシャールはセルジュの迫力に押されて、無言で首を縦に振った。
「あー、ちょっと家内に目を付けられそうになっておってのう……」
 何となく状況を察して、リシャールはもう一度無言で首を縦に振るのだった。

 その夜は久々に実家に顔を出して、母の手料理を食べ、ふた月振りの一家団欒を味わった。外祖母父や次兄の話などとともに、自身の近況報告などもする。
 翌朝ギルドに出向いたリシャールは、セルジュに紹介された相手を見て驚く。
「はじめまして、マルグリットです」
 リシャールよりも三つ四つ年上に見える、亜麻色の髪をして目鼻立ちのすっきりした美人だった。セルジュの妾という人も、多分美人に違いないのだろう。
「一応、娘は了承してくれた。
 ただ、引っ越しの準備もあるからの、アルトワを立つのは三日後ぐらいになるかな」
「では、その間にまともな家を建てておくことにしますよ」
「うん?
 リシャール君はどこに寝泊まりしているんだ?」
「今は加工場の事務所で寝ています。
 王都ではさすがに宿を取ってますが、移動の時は野宿も多いです」
「頑張っておるようじゃのう」
 それでは店に戻るからと、セルジュはマルグリットを残して早々に引き揚げていった。
 リシャールは受付で小部屋を借りると、マルグリットと条件について話すことにした。
「それでは改めまして、ラ・クラルテ商会のリシャールです。
 お父上には大変によくしていただいています」
「セルジュの娘、マルグリットです」
 お互いに簡単な自己紹介をしてから、話を詰めていく。
 給金は仕事場が遠方になることも含めて、標準的な商家使用人の倍額として月に二十エキュー、仕事はリシャールの補佐を含めた加工場の管理、雇用者への給金や原料の代金の支払い等、ギルヴァーシュにある加工場をほぼ委任する形になる。実質的には副会頭かギーヴァルシュ支店長といったあたりだろうか。
「私も父の仕事を手伝うつもりだったんですが、妾の子ということでちょっと無理があったんです。
 それに、女ですから雇って貰うにしても大した仕事を任されるとも思えませんでした。
 だからこれだけのことを任せてくれようとしている貴方には、感謝してもしきれません」
「あー、マルグリットさん、言葉遣いは普通でいいですよ。
 今なら他に誰も聞いてないし……。
 でも、僕もすごく助かります。
 実際、王都とアルトワに来るのにも三日分の自分の仕事を終わらせて、やっと商談に出られたんです」
 とにかく、三日分の壷を作り上げた上に、そろそろ満杯になりそうだった倉庫を拡張したりと、本当に忙しかったのだ。
「ええと、リシャール……さんは普段どのようなことを?」
「呼びにくかったらセルジュさんと同じにリシャール君で構いませんよ。
 働いてくれている漁師の奥さん達にもそう呼ばれてますから。
 ああ、僕の加工場での仕事は、主に壷を作ることです」
「壷、ですか?」
 ラ・クラルテ商会はセルジュやシモンのところのように大店ではないから、会頭自ら現場で作業するのは仕方ないのだ。逆に店が大きいと、つきあいやら何やらが忙しくなるから、現場どころではない。
「はい、商品を入れる壷です。
 どこかで壷を注文した方が楽でいいんですが探す暇もありませんし、経費の節減にもなりますからね。
 もっとも、輸送途中で壷が割れないように固定化の魔法かけたりしないといけないので、注文先が見つかったからと言ってすぐに壷仕事がなくなるわけではないのですが……」
「なるほど、大変そうですね」
 その後、支度金としてマルグリットに二十エキューを渡して、ギーヴァルシュで待つことにした。

 その日のうちにギ−ヴァルシュに戻ったリシャールは、翌日の分の壷などを用意して、泥のように眠った。
 翌朝からは、新たに来るマルグリットの住居兼宿舎を造ることにする。万が一人数が増えてもすぐ対応できるように、二階建てのつもりで間取りを考えていった。
 とりあえず、個室二つと仕事部屋、炊事場らしきものを作ったところで漁師の奥様方が到着したので、リシャールがいなかった間の様子を聞きながら作業をはじめた。
 そうこうするうちに夕刻前にはデルマー商会の馬車も着いた。御者から寝るところはないかと聞かれたので、早速新築の方に案内してみる。無料ならここで構わないとのことなので、リシャールと同じ食事で今夜は我慢して貰うことにした。ちなみに今日の夕食は、パンとイワシのスープである。寝具はまだないので、発泡スチロールを錬金してリシャールの敷物を貸す。特に寒いと言うことはないので、リシャール自身はフード付きマントをかぶって寝ることにした。
 翌日は馬車を送り出した後、ギーヴァルシュの港町まで出て窓枠や寝具などを買い込んだ。おかげで先の四十エキューは、もう無くなってしまった。仕方ないので新築の方は一旦作業を止めて壷を作ったあと、昼間から鍛冶仕事に精を出すことにする。店長やってた頃もこんなだったかと、気合いを入れ直した。
 戻ってからはそのようにして数日を過ごした。朝は壷製造と新築宿舎の手直しと増築、昼からはラ・ロシェールにナイフや剣、時には包丁などを卸しに行って資金を調達したり買い出しに行ったりで、夜は主に鍛冶仕事に精を出すという辛い毎日となった。正に自転車操業である。

「こんにちわ、大変お待たせしましたリシャールさん」
「マルグリットさん、大歓迎です。
 とりあえず宿舎の方へどうぞ」
 一週間ほど経って、リシャール待望のマルグリットがやってきた。荷馬車を仕立てて便乗して来たのか、馬車の荷台には家具や衣装箱が積まれている。
 御者にも手伝って貰いながら、リシャールもレビテーションをかけて重い荷物を運んでいく。
「えっ、きゃ!?」
 宿舎の方へと案内しようとすると、マルグリットがあとじさった。竜舎からアーシャがぬーっと顔を出していたのだ。
 リシャールは、そういえば、奥さん方も最初は驚いてたなあと思い出していた。確かに、普段見慣れていないとかなり恐いものだった。
「ん?
 ああ、僕の使い魔のアーシャです。
 アーシャ、こちらは今日から一緒に働いてくれるマルグリットさんだよ」
「きゅー」
「大人しいよい子なので、大丈夫ですよ」
「は、はぁ……」
 ほんとに大丈夫なんだけどなあ、とは思いながらもマルグリットを宥めて宿舎の方に案内した。
 その日は奥さん方にマルグリットを紹介し、あとは荷物の片づけなどをして貰うことにして自由に過ごして貰うことにする。リシャールは、その日もアーシャに乗ってラ・ロシェールまで出向いたが、地味ながらも歓迎会と言うことで、奮発してワインや肉などを買い込んできた。

「料理、お上手なんですね」
「まあ、慣れちゃいました。
 そんなに上手でもないですが、最近は機会が多くなりましたので」
 テーブルには油漬けを使ったサラダやアンチョビもどきのソースがかかったステーキなど、数種類の料理が並べられていた。実はまともな食器もグラスもないことに気付いたリシャールが先ほど大慌てで錬金したのは、マルグリットには話せないことである。グラスの素材であるガラスはともかく、食器の方の上薬っぽい物の錬金には少々手間取ったが、壷を作るときの応用で強引に錬金した。皿もグラスも歪んだりはしていないが、速度重視につきシンプルすぎるデザインであった。
「では、乾杯」
「乾杯。
 いただきます、リシャールさん」
 料理の方はマルグリットも気に入ってくれたようで、なによりだった。食べてもらいながら、これらがラ・クラルテ商会の主軸であることや、詳しい仕事の内容についてを話す。
「そうだ、二、三日に一回馬車も来ますから、えり好みは出来ませんけどトリスタニアから品物の取り寄せも出来ないことはないです」
「それは便利ですね。
 ……お店は出されないんですか?」
「店を出して商売も出来るんですが、どう考えても手間と赤字を増やすだけなんで今は出来ません。
 北モレーの村と、いつ通るかわからない数少ない旅人のために人を一人余計に雇うとなると、流石にちょっときついです」
「うーん、勿体ない気がしますけど、仕方ないですよね」
 マルグリットは店そのものにある種の憧れを抱いていたようで、ちょっと残念そうだった。
「はい。
 それに今のところは行商人に毛が生えたようなものですからね、まだまだですよ」
 ともかくも今食べているイワシ、これがラ・クラルテ商会のすべてなのだ。

 翌日からはマルグリットに仕事を教えながら、いつものように壷に鍛冶にと仕事に追われながら過ごしていった。
 マルグリットは、頭の回転が速かった。流石はセルジュの血を引くだけのことはあるとリシャールも納得した。計数の絡む書類仕事が異常に速いのである。
 聞いてみると、何れはセルジュが自分の店で働かせるつもりで色々と仕込んでいたらしい。それが正妻であるセルジュの妻に発覚して、横槍が入ったというのだ。妾であるマルグリットの母の方は、セルジュの商会で働くなどということはなく普通に妾として過ごしていたので、奥方も目を瞑っていたらしいが、その娘に直接店に入り込まれるというのは我慢ならないと逆鱗に触れた、というわけだった。
 セルジュもなんと勿体ないこととは思っただろうが、リシャールにとっては本当に行幸だった。

 マルグリットが来て二週間ほどが経過した頃、月をまたいだのでギーヴァルシュの街に出向き、ギルドへの上納金と領税を納めてきた。これでようやく、祖父とギーヴァルシュ侯爵に顔向けできたリシャールだった。城館ではついでに地代も納めておく。税は翌月末までに納入の決まりだが、早い分には文句は出てこない。
 ギルドへの上納金五十エキューと、マルグリットが計算してくれた商税五十五エキュー四十スゥをかき集めるために、三日分ほど壷を作り貯めてから運転資金も含めた片手剣三本を作りあげる事に専念し、更にまた壷を作り貯めて王都までの往復の時間を捻出した。荷馬車に言付けて、シモンに頼めば笑って現金で決済してくれただろうが、そちらにはあまり手を着けたくなかったのだ。ちなみに領税については、アルトワのギルドに入っている預託金から引き落とせるように話がつけてあった。
 王都に顔を出したついでに、デルマー商会と魅惑の妖精亭にも寄って聞いてみたが、評判は上々のようである。塩油漬けの方も楽しみだわと、スカロンに熱い抱擁を貰った。
 シモンにはラ・クラルテ商会への支払い分はギルドにそのまま納めて貰って、ラ・クラルテ商会の預託金として貰うように頼んであった。現在ギルドに預けられている金額は二百七十七エキューで、この内の二割が領税としてアルトワ伯へと納められる。
 平行して錬金鍛冶師として稼いだ金額も結構な額に達しているのだが、こちらは年に一度、三割が税として納められる。期末はまだ先だが、錬金鍛冶師としての売り上げを商会の運転資金に回しているので、その分を別枠で確保しておきたいのだ。
 ちなみに鍛冶屋の方が税が安くなっているが、職によって税制が異なるためであった。商人の方が力を持ちやすいので圧迫してあるんだろうなあとは、元現代人としての感想である。

 それから数日、いよいよアンチョビもどきこと本命である塩油漬けの出荷が開始された。初期の分は漁村から買い集めた塩漬けをベースにしているものも混じっているが、暫くすれば純然たるラ・クラルテ製の塩油漬けになる。もっとも、元の塩漬けを漬けていたのも働き手の奥様方なので、質としては何ら変わることはなかった。これも数を確保したいところであったが、現状は手一杯であった。
 それでもこちらが安定しさえすれば、本格的にもう一カ所加工場を作りたいところである。加工場から三十分ほど北に歩いた所にも北モレーと同じ様な漁村があり、リシャールはこちらにも同じ様な加工場が作れないものかと思っていた。

 ところで。
 忙しいのは忙しいのだが、雨が降るとすべての商品に天日干しが絡んでいるし漁師も海には出ないので、加工場は休みになる。急に暇が出来たりするのだ。
 そのような日にはマルグリットにも休んでもらい、リシャールは壷を作り貯めるか鍛冶仕事に精を出した。マルグリットも休むとはいいつつも、なにやら書類と格闘していることも多い。
 錬金鍛冶の方も、雨の日には大物を作ったり出来る。片手剣などを作ろうとすると、やはり丸一日は費やされてしまうのだ。
 最近はナイフや剣だけでなく、包丁や鎌などの日用品にも手を出していた。作成時間が短くて済むので、中途半端に空いた時間を有効に使えるのだ。壷ももちろん大事だが、こちらはこちらで大事な運転資金になるので疎かには出来なかった。
「マルグリットさん、休憩にしませんか?」
「はい、少し疲れました」
 マルグリットは手を止めて、リシャールの方に向き直った。月末に必要となる書類の準備をしていたらしい。
「あの、今日はお休みですから自由にしていただいていいんですよ?」
「ええ、でも明日楽になりますから」
「たしかにそうですね。
 でも無理はしないで下さいね」
「はい、リシャールさん」
「……そうそう、マルグリットさん」
「はい?」
「もう一カ所、この近所に加工場を開きたいと思うんです」
 リシャールは、商品の流通量を増やして欲しいとシモンからお願いされていた。もちろん、リシャールも増やしたいとは思っている。少しならば北モレーで雇う人数を増やせば解決するのだが、早晩限界が来ると思われた。
「急には無理ですが、その心づもりをしておいて欲しいんですよ。
 最終的には……可能ならですが、このギーヴァルシュにある漁村すべてとギーヴァルシュの街に加工場を置きたいところです」
「なるほど、リシャールさんの考えはわかりました。
 ……いっそ、先にギーヴァルシュの街近くに加工場の土地を確保して、規模を徐々に増やしていく方がよくありませんか?
 あ、少しお待ち下さいね」
 マルグリットに頼まれてリシャールが作った書類棚から、彼女は数枚の紙を探し出してリシャールに見せた。
「これが先月の、こちらが今月の収支です。
 塩油漬けが出荷されていなかった先月でさえ、アーシャちゃんの食餌代を含めても若干の黒字になっていますわ。
 もちろん、リシャールさんの作られた剣や包丁の代金は計算に入れておりません」
 マルグリットも毎日会うので見慣れたのか、アーシャのことをちゃん付けで呼んで、鼻面を撫でられる位にはなっていた。ちなみにアーシャは会頭専用の足ということで、食餌の代金は商会の会計から出されることになっている。
「作業や経費は全く変わっていませんから、今月は概算ですが五十エキュー程度の黒字になります。
 そしてリシャールさんの強みは土のメイジであることですから、土地を確保してしまえば建物の代金はかなり安く押さえられます」
 マルグリットの良いところは、土メイジやアーシャといったリシャールの強みなども計算して利用しようとしてくれるところである。歯に絹着せぬというか、セルジュの若い頃もこういった感じだったのかなと想像してみる。
「そういうわけで、地代と当初の資金さえ確保してしまえば後は勝手に回っていきますわ。
 問題は、要になる加工場をまかせられる人の雇用ですが……」
「ですねえ……。
 やはり人が足りないです。
 うーん、マルグリットさんが自由に動けるようになると僕の自由度もかなり跳ね上がるので、加工場の方からは早々にマルグリットさんも外してしまいたいぐらいなんですよ。
 そうすれば、別の商売にも手が出しやすくなると思うんですよね」
 任せられる人材がいないのである。そもそも規模の拡大が早すぎて、普通なら店主一人の小さな店か行商から始めて下働きを雇い、基幹の人材を育成云々、というのが一般的なのだが、ラ・クラルテ商会はそれらを段階を完全にすっとばしていた。マルグリットがいてくれるだけでも、リシャールは十分恵まれているのだ。
「まあ、焦らずに行きましょうか。
 人手については……そうですね、アルトワのギルドにも募集をお願いしておきましょう。
 実際に雇うかどうかはその人を見てからと言うことで」
「そうですわね。
 失礼ながら、会頭は十二歳の少年で、たった一人しかいない店番は若い女。
 アルトワやリシャールさんのことを知らないのであれば、子供の遊びかと正気を疑うと思いますわ。
 私だって、リシャールさんのことを前から噂に聞いていたからこそ、父の話に乗ったのですから。
 ……ラ・クラルテの天才児の名は、リシャールさんの想像以上にアルトワでは知られているのですよ?」
「そう言われても、あんまり実感ないんですよね……」
「知らぬは本人ばかりなり、ですのね」
「そうかもしれませんね」
 いったいどんな尾ひれが付いているのやら、わかったものではないのである。
 なんだかなあ、とリシャールはため息をついた。







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