ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第三話「初陣」リシャールの日常は、基本的には朝から晩までクロードにつき従ってそのフォローをいれたりすることだが、時には休みもある。 特に、伯爵一家が王都トリスタニアにて園遊会に出たりする時などは、竜籠に乗れる随員や荷物が限られるので休みが与えられることになる。 リシャールには、伯爵の居城での決められた仕事があるわけでもない。掃除にしろ実務にしろ、専門の人間が雇用されている。第一、中身はともかく、まだリシャールは十二歳の子供でしかなかった。 執事である祖父や護衛につく父、侍女頭の母はほぼ伯爵一家に付き従うが、今のところ、立場としては伯爵令息の御学友兼従者でしかないリシャールは、こういう場合連れて行かれることはまずない。執事見習いである二十歳の長兄のリュシアンなどは、最近随員に加わる比率が増えた。十八歳の次兄のジャンは、めでたくも昨年春に某伯爵家に住み込みの家庭教師として採用され、皆に見送られて王都に旅立っていったため、家族では唯一アルトワ伯爵に仕えていなかった。 無論、休みだからといって、暇を持て余しているわけでもなかった。 実験や鍛錬、自習に読書。 時間を掛けてやりたいことは、休日に集中させていた。 この日も、前日まではその予定であったが、父の一言でお流れになった。 リシャールは、亜人の討伐に随行することになったのだ。 やれやれとは思うが、否はない。 独立するにしてもそのまま伯爵家に仕えるにしても、何れは経験せねばならないことの一つだとリシャールは考えていた。 これまでも週に一度は鍛錬の日を与えられていたし、クロードの魔法の勉強の際にも、教師役のメイジから同じように手ほどきを受けている。クロードといっしょに、兵士たちに混じって剣の訓練も行っていた。 リシャールの考えるところ、比較的治安の良いとされるアルトワでさえ、そこそこの頻度で領内への出兵は行われているようだった。特に野盗には、見つけ次第即部隊が差し向けられた。近隣の他の領主のところではどうなのだろうか。興味はあるが、統制でもされているのか情報はあまり入ってこない。 コボルド鬼の討伐。 ただ、自分にイキモノを殺せるのかという疑問は、多少あった。前の人生では、理科の実験で解剖したヒキガエルが最大級である。 亜人とは言え人型である。抵抗感は強い。 亜人を殺して生きるか、殺さずに自分が死ぬかということでは生きたいと答えられる。 ただ、不必要な殺生なら関わりたくないのが本音だ 盗賊などは罪人とは言え人間である。戦争では、お互いが敵ではあるが、これまた人間である。 あれこれ考えをすすめるうちに、リシャールは思ったよりも自分が落ち着いているのが自覚できた。 初陣が亜人なだけ、まだ心の準備にも余裕があるのだろうか。 実感が湧いていないだけなのだろうか。 だが、最初にも考えたようにこれは避けては通れないものだった。 平民は貴族に税を払う。貴族はその税で贅沢をし、特権を享受する。 では、平民に支払われる対価はと言うと、治安やインフラなのだ。 もちろん、亜人討伐や盗賊の捕縛追討もこの中に含まれる。 貴族たらんとすることは、一人の元日本人にとっては意外に重い命題をつきつけてきたのだ。 店長だった時に、クレーム処理でお客さんに頭を下げてまわった時のように胃がきりきりしてきたが、気力でそれをねじ伏せる。 ここはハルケギニアなのだ。 魔法ある中世ヨーロッパ風の世界、彼はここで生きて行くしかないのだ。 「こんなもんかな……」 翌朝。 初陣である。初陣ではあるが、なんというか、リシャールは地味だった。 格好は普段の従者としてお仕着せではなく、丈夫な布地でできた地味目のズボンと上着に、下はくるぶしまでのブーツ、更にフードのついたマントを身につけている。もちろん、マントと言っても貴族が貴族たらんとして身につけるような物ではなく、平民にも許されているような分厚い生地の実用品である。 家族には、そのまま夜盗か野伏に転職できるぞと笑われたが、目立たない色を選んだのは当然だった。 リシャールは、別に戦場を鼓舞してまわる大軍団の司令官ではないから、これでいいのだ。本音を言えば迷彩服や防弾チョッキでもあるなら欲しいところだ。 甲冑の類はあるにはあったが高価で手が出なかったし、その重さが装着中常にレビテーションの呪文をかけ続けないと動けないほどとあっては問題外だった。 それでもいずれ手甲と鉄兜と胸当ては欲しいと、リシャールは考えていた。 持ち物は杖と、肩掛けにもできる小さなリュックだけだ。一応、腰には予備の短杖とナイフもぶら下げている。 リシャールが普段使っている杖は、軍用の鉄杖だった。祖父や母は伯爵の居城でお勤めする分には必要なかろうとあまりいい顔をしなかったが、父は認めてくれた。普段使いには重くて扱いにも難があるが、父も使っているし何よりも丈夫なのがいいとだだを捏ねてみたのだ。ブレイドの呪文をまとわせて剣として使うには充分な強度もあり、無骨な外観だが力強さが感じられるのでリシャールはとても気に入っていた。 リュックには、日帰りとのことで固焼きのパンと干し肉、リシャール特製の水筒に入れた水と蒸留酒。蒸留酒は傷口を洗うのにも使えると父から教えられていた。無論、オキシドールなどここにははないが、注射の清拭にアルコールが使われていることぐらいは、前世の知識の中にもあった。 そして汗拭きや包帯に使えるさらした麻布、予備の予備である短杖がもう一本等。魔法で色々と都合がつけられるので、僅かながら荷物が減らせるのだ。 練兵場には、指定された時間のかなり前に到着した。 今日の指揮官はセヴランだった。火のラインメイジで、父の元、常備軍に四人いる隊長陣の中では最も古株である。リシャール自身もたまに稽古を付けて貰っていた。 「おはようございます、セヴラン隊長。 今日はよろしくお願いします」 「ああ、おはようリシャール。よく眠れたかね」 「はい、大丈夫です」 「はっはっは、落ち着いたもんだな」 セヴランは笑いながらリシャールの肩を叩いた。 リシャールは十分に悩んだからか、殺生については吹っ切れていた。 あとは実際に行動してみるしかない。 「いま馬車を引きだしてるところだ。もう少し待っていてくれ」 「はい」 もちろん、準備している兵士達も大抵は顔見知りである。 「今日はコボルド鬼の退治だ」 「はい」 コボルド鬼は、人間ほどの身長を持つ亜人である。小柄で体もさほどの頑健さはないが、拾った剣や棍棒を振り回したり出来る程度には知能がある。 「報告によれば、規模はそう大きくないそうだが」 一旦言葉を切ってから、セヴランはリシャールに向き直った。 「言うまでもないが、油断はするなよ?」 「はい」 練兵場から南に馬車で数刻。 昼過ぎには作戦の開始地点に到着した。先行していたセヴランの部下が既に巣の位置もほぼ特定していたので、余裕を見て小休止してする。馬車というのは意外に疲れるものなのだ。 今回はセヴランとリシャールに加えて士官待遇の火メイジと水メイジが各一人、兵士は短銃を持った斧槍兵と剣兵が五人づつの十四人で討伐を行う。 一見人数が少ないように思えるが、実践慣れしたメイジは数個小隊にも匹敵する。初陣のリシャールでさえ、通常の対人戦ならば、魔法を使えば一般の兵士に負けることはまずあり得ないとされるし、父からもこの歳にしては優秀な方だろうとお墨付きも出ている。 父からは、セヴランの言うことをよく聞いて、落ち着いて行動すれば特に問題はないが、戦に興奮していらぬ事をすればたちまち危険度が増すから注意するようにと釘をさされていた。まあ、本当に恐くなったら頭抱えて目も耳も閉じて座り込んでいる方が迷惑もかからなくていいだろうと笑って告げられたのには参ったが、一面の事実なのだろう。 戦争映画などでも、新兵が狂ったように叫びながら上官の命令を無視して銃を乱射したりする場面があったかなと、リシャールは思い返していた。 なるほど、少なくとも味方を危険に曝さない分はるかにマシである。 「パトリス、距離はどれぐらいだ?」 「一時間程です。この丘陵を越えてしばらく行った林のあたりです」 「規模は?」 「目撃した村人の話や足跡から見て、最大でも二十はいないかと」 「了解した。出発するぞ」 作戦は至って簡単なもので、囮役が派手に注意を引きつけている間に側方から後方にかけて回り込んだ主力が奇襲するというものだ。野盗ならば捕縛などの手間もかかるが、今回は亜人相手なので皆殺しである。傭兵と違って報酬の為に切り落とした部位を持って帰る必要もないから、首袋なども用意していない。 セヴラン曰くいつも通りのことらしいので、リシャールも余計な口を挟まないことにした。 遭遇戦になる可能性があるので斥候を兼ねて二人ほど先行させた上で、前後左右にも人を配した地味な行軍を続ける。十四人しかいない小部隊をさらに分散させているが、この方が安全なのだと教えられた。 その命令を下したセヴランはというと、時折立ち止まっては短い呪文を唱えていた。 耳を澄ましてみてもよくわからなかったが、ディテクト・マジックのようである。先行した火のメイジがつけた目印を念のために確認しているようだった。 ひたすら地味だが、手堅さに要をおいているのだ。 そのうち、先に出ていた斥候に追いついた。いよいよである。 セヴランの手信号で部隊が散開する。 指定された位置に慎重に歩をすすめ、身長二メートル……いや、二メイル程のゴーレムを生成する。数は四体。 リシャールの傍らで同じように膝をついている兵士と頷きあって、準備を完了した。 彼はジョエルという名で、今回はリシャールと二人組で行動する。彼はアルトワ南部の出身で、志願兵として採用されたそうだ。おかげでこのあたりの地理にも明るい。 ほどなくセヴランによってサイレントの呪文がかけられ、何も聞こえなくなった。 こちらから見えているのは岩影に寝そべっている五匹だけだが、裏手にも十匹ほどが確認されている。 流石に緊張感が増してきた。 囮役の水メイジが派手に魔法を放つのを合図に、時間差をおいて攻撃する手筈になっている。 リシャール達は二番手になる。岩の裏側にまわった水メイジの合図でサイレントが解除されて戦闘が始まり、リシャールはそこから十を数えて二体のゴーレムを突っ込ませるのだ。リシャールは最大で四体のゴーレムを操れるが、使うのは二体だけにしておくようにセヴランに指示されている。余裕のない防衛戦でもない限り、予備は必ず残しておくものだと教えられた。 残り二体のゴーレムも待機はさせているし、護衛に付けて貰った兵士もいまかいまかと待ちかまえている。 リシャールも気分が高ぶってきた。体中を魔力が駆け巡って、ほとばしり出ようとしているのがわかった。 実戦への緊張が良い方向に影響しているのかも知れない。 力がみなぎる。 しばらくして、ついにリシャールの初陣がはじまる。 ぶるぶると空気の震える感触が肌に伝わり、氷の魔法と岩がこすれる甲高い音が耳に入ってきた。 サイレントが解除され、裏手に回った水メイジの攻撃が始まったのだ。 一、二、……。 目の前のコボルド鬼達は何事かと周囲を見回しているが、こちらに気づいた気配はない。水魔法を見てぎゃーぎゃーとわめき立てていた。 気のせいか、いつもよりも魔力の冴えもいい感じがしている。 五、六、……。 一瞬だけ、岩の向こうの数体が見えた。手負いのようだ。 ゴーレムを静かに起動させ、クラウチング・スタートのような前傾姿勢をとらせる。 八、九。 こちら側に居る連中が向こうに走り出そうとしている。 体内を巡る魔力にさらなる圧力をかけ、発動の手前にまで練り上げる。 十! 「行け、ゴーレム!」 ゴーレムの突撃と同時にこちらも飛び出す。人以上の加速でゴーレムは走り出した。 リシャール自身もこれまでにないほどに、魔力の開放感を全身に感じていた。いける! こちらに気づいたコボルド鬼が棍棒を構えるが、ゴーレムの方が一足早い。委細構わず殴りつける。 もう一体の方も別のコボルド鬼に対峙させた。こちらは先に殴られたが、僅かに土のかけらが落ちるだけに留まった。そのままのしかかって地面に押し倒し、同じように殴らせる。 「撃ちます!」 ジョエルの声と同時にばぁんと音がして、白煙が立ちこめ、火薬臭が鼻をついた。 裏手に回ろうとしていた一匹が倒れて動かなくなる。 リシャールはゴーレムの方をちらりと見て、コボルド鬼が無力化されているのを確認した。やはり、自重をのせた一撃はかなりの威力があったようだ。 見れば、ジョエルも短銃から斧槍に持ち替えている。 こちらに残る二匹にアース・ニードルの呪文を撃とうとリシャールが鉄杖を掲げた瞬間、二匹は火だるまになった。 セヴラン達も攻撃を開始したのだ。 「リシャール殿、とどめをさしてあちらに向かいましょう」 「ええ、急ぎましょう」 素早い動作で鉄杖にブレイドをかけ、ゴーレムが倒したコボルド鬼の心臓と喉に、それぞれ二回づつ突き刺す。 教えられたとおりに、機械的に作業を行うのだと自分に言い聞かせた。 嫌な感触が伝わるが、リシャールは考えるのを後回しにした。 炎に焼かれた二匹も含めてとどめをさし終え、ゴーレムを先行させながら裏手に回る。 こちらももう戦闘は終わっているようだ。 リシャールにとっては、あっという間の初陣だった。 かなりの魔力を使ったはずだが、特に疲れは感じていない。初めての戦闘に興奮しているのかもしれなかった。 「リシャール、そっちはどうだった?」 「隊長達のファイヤーボールを食らった二匹を含めて、合計五匹です」 セヴランにも疲労の色はない。 「そうか、こっちは十一だ。 ……念のために斥候をもう一度だしておく。 呼ばれた者以外は記録が終わり次第、焼却の準備を」「了解!」 「リシャールもジョエルと一緒に斥候に出てくれるか」 「はい、了解です」 「すまんな。二人ほど怪我人が出た」 「大丈夫なのですか?」 「かすり傷……ってほど浅くはないが、命に別状はない」 確かに水メイジの手当を受けている者がいるが、苦痛にうめきながらも、顔色が極端に悪いということはなかった。 リシャールも頷く。 セヴランはジョエルに向かって続けた。 「ジョエル」 「はいっ」 「南に向かって振り子斥候を半リーグだ。但し、帰りは直帰」 「了解」 「よし、いけ!」 「「了解!」」 リシャールが斥候に出るのは、もちろんのこと初めてであった。 ジョエルに注意点を教えて貰いながら、彼の後ろを付いて歩く。 二人以上で斥候出る場合は警戒する角度を重ねるのだとか、亜人相手には足音だけでなく、風向きや光にも注意しないといけないのだとか、リシャールがこれまで考えてこなかったような知識が集約されていた。 ちなみに振り子斥候というのは、出発点を起点に目標とする方向に向かって左右に大きく回り込みながら行う斥候の方法で、近距離の警戒に向いている方法である。 リシャールが慣れないこともあって少し余計な時間がかかったが、指定された範囲の警戒を終えた二人は先ほどの場所まで戻った。 「隊長、ただ今戻りました」 「ああ、帰ってきたか。 ……うん、特に問題はなかったようだな?」 「はい、コボルド鬼も含めて、危険なものには出会いませんでした」 「うむ、よろしい。 こちらも焼却その他の後始末が終わったところだ。 ……今ならまだ日のあるうちに帰れそうだからな。 悪いが少し休憩したら出発するぞ」 「了解です」 セヴランは、帰りも行きと同様に四方に人を配置した行軍隊形を取らせた。 怪我をした二人も足は無事なようで、行軍の速度こそ落としたが足取りに不安はない。 リシャールの脳裏には、『おうちに帰るまでが遠足です』という懐かしい言葉が浮かんだ。くすりと笑う。 「おいおい、初陣直後にしては随分と肝が据わってるな」 「ふふ、そうでもないですけどね。 ほら」 リシャールは左手をセヴランに見せた。 「はっはっは! 自分で気づくなんざ、充分に肝の据わってる証拠だ」 リシャールの左手は戦闘中から今に至るまでずっと握り込まれていたせいで、手のひらに爪の跡がしっかりと付いていた。 「まあ、これでお前さんも第一歩を踏み出したってわけだ」 「はい、色々とありがとうございました。 ……丁度良い機会だったんですか?」 後半は小声である。 十二歳は初陣にしては早い方であるが、世間でも例がないわけではない。 だが、リシャールは気付いてしまった。 戦闘の規模が適度すぎたことに。 セヴランも少し眉をあげた後、小声に切り替えた。 「まあな。 ……大人の事情を見透かしてんじゃねえ、と言いたいところだが、そういう妙に鋭いところも含めて、お前さんには少々期待するところがあってな」 「はあ」 「とりあえず、お前さんは全力でやってりゃいい」 「? よくわかりません」 リシャールは本気でわからなかった。 「はっはっは、それでいいのさ」 この初陣は、恐らくは父達の手によって仕組まれていたのだろう。予想される相手の数に対して、リシャールを含まずに魔法使い三人を投入するのは、明らかに過剰であった。 ああ、まだまだ守られているんだなとは思ったが、今はこれでいいのだろう。中身はともかく、この世界のことをよく知らない子供でもあるのだ。実際、まだまだわからないことだらけだ。 今日はもう考えるのはよそう。 馬車までは、もうすぐだった。 その日、リシャールは初めて酒場に誘われた。 セヴランによる乾杯の音頭は、『リシャールの初陣と初戦果を祝って』であった。 ←PREV INDEX NEXT→ |